朝起きて、詩人の谷川俊太郎さんが亡くなったことを知った。
亡くなったのが13日ということだから
谷川さんがいなくなって6日が経っている、と思った。
ほぼ日の糸井さんも今日まで(昨日まで)知らずにいたらしい。
糸井さんは「今日のダーリン」で
「11月13日に亡くなったと発表されていたから、
ほんとうは、その日からこの世に谷川さんはいない。
しかし、ぼくらが、いや世界がそれを知るのは11月19日だったので、
それまでの1週間ほどは、みんな谷川さんのこの世への不在を知らないので、
さみしがってもいないし悲しんでもいなかった。
“谷川俊太郎がいないことを知らない時間“は、
何か特別に書かれた詩のように、ぼくは思える」
と書いていた。
そして、最後に
「別れとさみしいの練習はもうさんざんしてきましたけどね」と。
今日は谷川さんの詩集と
以前鎌倉マダムが送ってくれた「谷川俊太郎質問箱」(ほぼ日ブックス)を
ぽつりぽつりと読んでいた。
谷川さんの詩集の中の「にじ」という詩を紹介します。
わたしは めをつむる
なのにあめのおとがする
わたしは みみをふさぐ
なのに ばらがにおう
わたしはいきをとめる
なのに ときはすぎてゆく
わたしはじっとうごかない
なのに ちきゅうはまわっている
わたしが いなくなっても
もうひとりのこがあそんでる
わたしが いなくなっても
きっと そらににじがたつ
谷川さんのタマシイは、今どこにいるのだろう。
わたしにもわかる時がかならず来るのだなあ。
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