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モデルより本モノ

2012年02月28日 21時25分56秒 | まちづくり
私は日本海沿岸の田舎に生まれ、ここで住んでいます。
私たちの住んでいる地域も近頃は社会福祉介護のネットワークが進み、やっと社会福祉が作り出す地域に信頼感をもち始めてきました。
私たちの住んでいる地域は早くから社会福祉活動を最重要としていたようです。
その点は平成以降の全国的に本格的にスタートした介護福祉事業の足並みにも幸先良く進歩していけたのだと思います。
しかし、何かが違って見えるのは何故でしょう?
そもそも社会福祉事業というのはまだまだ日本では歴史が浅いのだと思います。
日本人は何か新しいことは特に好きなようですが、それを自ら行うとなるととても下手なんだと思います。
本来、新しいことに対しては全く何をしていいかわからないのが実情で、新しいことが好きというだけでわからないままに急ピッチに闇雲に進めてしまうのではないでしょうか。
これがいつもの日本の特徴的問題なのではないでしょうか。
決して手が早くて、せっかちなどの国民性ではないと思いますし、どちらかと言うと真新しいものにはどの国よりもだいぶ躊躇するほうではないかと思います。
こんな国民性は興味深く研究してみると思いがけない大発見をしてしまうようにも思うのですが、とにかく入念過ぎるほど慎重に考える国民だと思います。
あまり考えすぎて考える葦になってしまった、いわば物言わぬモデルさんが多いのではないでしょうか?
古代の邪馬台国の復活などがちょっとした話題になっている?と思うのですが、ひょっとして邪馬台国って、その後の日本の歴史を作り出す単なるモデルだったんではないでしょうか?
ただ形だけの要塞らしきを作っておけば、それをおそれて侵略を防げるという、神秘なモデルを作ったのだと思います。
日本の混乱の歴史は、最初のモデルから始まっていると思います。
モデルは何を意味したか?またどんな神秘性を持っていたか?・・・それはそのモデルにしかわからないというのが日本の仕組みではないでしょうか。
基本的にモデルが一番頭が良いのだと思いますが、物言えぬモデルに適切な社会権を与えることが出来たら、その人は本モノの日本を組み立てることが出来ると思います。

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