明日からまた最初の序品第一から始まります。
皆さん再びがんばって1か月毎日続けてみましょう、よろしくお願いします。
さて、2月から月周りはついに10段階目へ突入します。
この日月説法が昨年5月1日から発刊スタートして以来、この2月でもう早いも
ので10ヶ月目を迎えることになったのです。
この10ヶ月の間でさまざまな変化があったと思いますが、時間の長さは速く思
えても、今回のこの10ヶ月におけるさまざまな成長は10年掛かったに匹敵す
るのではないでしょうか?
皆さんにはどんな成長があったでしょう?
私は今までになく人間関係がとても上手くいくという、明らかな大変化を生じて
きたことを感じています。
なお、Facebookを本格的に始めたのもこの時期からでしたが、私の場合はそれほ
ど多くの友達は集まりませんでした。
しかし、僅かずつでも知り合いが増えていくということはそれも僅かづつですが
さまざまなリアルタイムな情報が入り、本当に情報に疎い私でも不思議とインタ
ーネット情報などが他の人よりも急に得意になれたという自信錯覚を持つほどに
なったのです。
そして、自分には到底似ても似つかないと思っていたウェブライターなどいう者
にいつの間にかなっていたのです。
そして、どちらかというと完全主義で物事に懲りすぎる自分なのでして、特に新
しい分野の仕事は基本から徹底して身に付けようと完璧を狙うため、他のことは
すべて後回しになってしまい、目の前の一つに集中しだしたら他のことは一切考
えないということがかつては通常の日常でした。
ですから、ある一つを片付けなければその先のことへは進めなかったのです。
要は一つが終了すれば自ずと次の段階が自然に見えてくるといったことばかりを
信じていたわけです。
とにかく今夢中な事柄に別なことで混乱することは避けたかったし、いつの間に
かそういう仕事のやり方に嵌まっていたのでした。
実はそういうメビウスの帯のように同じ所がぐるぐる廻ってくるような一喜一憂
の挫折が常の状態から完全に開放してくれたのがこの毎日の法華経解読だったの
です。
そして、この最初の短期間に世の中や経済には「コツ」と「ツボ」の関係のよう
に最低限二つのペアになったものが一組になって、やっと稼働というものだとい
うことを知ることができたのです。
これは、私流に考えれば車の両輪の関係というよりも、ただ放っておけば安定し
て真っ直ぐ走るだけの両輪に対し、時に応じて方向を切り替えるハンドルの必要
さのことです。
つまりこのペアを別々にではなく、ハンドルを曲げれば両輪も同時に曲がってい
くように、同じ時に同じ目的で常に一緒に機能するものであることを心がけると
いうことです。
これは、積み重ねのコツばかりに全力を尽くす最中では、ツボが目の前を通りか
かっても気付かない不運を言うのです。
これは種を作っていて、それを蒔く時期を知らずに逃してしまうことと同じなの
です。
種を作り終えたから、それを待っていたように自動的に蒔く時期がやって来ると
いった安易な考えを捨て去ることなのです。
HPブログはこちら!⇒第10-1日 微妙第一なるを演説したもう 【序品第一】(六十四行~六十八行)
皆さん再びがんばって1か月毎日続けてみましょう、よろしくお願いします。
さて、2月から月周りはついに10段階目へ突入します。
この日月説法が昨年5月1日から発刊スタートして以来、この2月でもう早いも
ので10ヶ月目を迎えることになったのです。
この10ヶ月の間でさまざまな変化があったと思いますが、時間の長さは速く思
えても、今回のこの10ヶ月におけるさまざまな成長は10年掛かったに匹敵す
るのではないでしょうか?
皆さんにはどんな成長があったでしょう?
私は今までになく人間関係がとても上手くいくという、明らかな大変化を生じて
きたことを感じています。
なお、Facebookを本格的に始めたのもこの時期からでしたが、私の場合はそれほ
ど多くの友達は集まりませんでした。
しかし、僅かずつでも知り合いが増えていくということはそれも僅かづつですが
さまざまなリアルタイムな情報が入り、本当に情報に疎い私でも不思議とインタ
ーネット情報などが他の人よりも急に得意になれたという自信錯覚を持つほどに
なったのです。
そして、自分には到底似ても似つかないと思っていたウェブライターなどいう者
にいつの間にかなっていたのです。
そして、どちらかというと完全主義で物事に懲りすぎる自分なのでして、特に新
しい分野の仕事は基本から徹底して身に付けようと完璧を狙うため、他のことは
すべて後回しになってしまい、目の前の一つに集中しだしたら他のことは一切考
えないということがかつては通常の日常でした。
ですから、ある一つを片付けなければその先のことへは進めなかったのです。
要は一つが終了すれば自ずと次の段階が自然に見えてくるといったことばかりを
信じていたわけです。
とにかく今夢中な事柄に別なことで混乱することは避けたかったし、いつの間に
かそういう仕事のやり方に嵌まっていたのでした。
実はそういうメビウスの帯のように同じ所がぐるぐる廻ってくるような一喜一憂
の挫折が常の状態から完全に開放してくれたのがこの毎日の法華経解読だったの
です。
そして、この最初の短期間に世の中や経済には「コツ」と「ツボ」の関係のよう
に最低限二つのペアになったものが一組になって、やっと稼働というものだとい
うことを知ることができたのです。
これは、私流に考えれば車の両輪の関係というよりも、ただ放っておけば安定し
て真っ直ぐ走るだけの両輪に対し、時に応じて方向を切り替えるハンドルの必要
さのことです。
つまりこのペアを別々にではなく、ハンドルを曲げれば両輪も同時に曲がってい
くように、同じ時に同じ目的で常に一緒に機能するものであることを心がけると
いうことです。
これは、積み重ねのコツばかりに全力を尽くす最中では、ツボが目の前を通りか
かっても気付かない不運を言うのです。
これは種を作っていて、それを蒔く時期を知らずに逃してしまうことと同じなの
です。
種を作り終えたから、それを待っていたように自動的に蒔く時期がやって来ると
いった安易な考えを捨て去ることなのです。
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