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仏教経典の中の王様「法華経全28品」の完全解読に大チャレンジ!

どんなに素直で真面目な者であっても、佛の神通示現の力には適わない 【妙荘厳王本事品】その10

2015年02月26日 22時29分21秒 | 生活・文化
これは単なるお金に狂った大馬鹿同士の見栄の張り合い劇だと、多くの佛教信者はそのように完全に思ってもごく当たり前ではないでしょうか?
 
この法華経を初めて知る私たちの脅威の始まりは、巨大な財宝の豪華さや珍しさを最大の舞台装置として用い、そのまま誰もを佛教へ上手く関心づかせ、引導していく大胆かつ合理的な大乗精神の実現という意味を教えられたはずでしたね。
 
ところで、その大乗を初めて理解していくうちに私たちは知らぬ間に今ではもう実際の大金持ちに成れたと同じになっていたのでしょうか?
そんな思いがけない錯覚さえ覚えるほど、ただただ豪華表現を教えとして見せられながら、そのままどんどんエスカレートしてこの法華経のもうじき最終に近いこの妙荘厳王本事品に至り、最初から最後までもうこれで最高だろうと思わされるほど寝ても覚めても豪華荘厳合戦の佛と王の関係に遭遇してしまっているのです。
 
もうこれは滅茶苦茶、佛のお金好きの計り切れなさはには十分思い知らされたという感じになるのではないでしょうか?
またもしかしたら、この雲雷音宿王華智佛にしてみれば、この大馬鹿王族たちにはこれくらい大宝イメージを施しても、まだ佛教の本筋をわからない鈍感で無神経な者たちとしての制裁や他者への見せしめに活用しているのでしょうか?
 
そのどちらにしろ、娑婆世界というどちらかというと貧相に悩む国民俗たちが主流と思える性質にとって、これは実際の現実の心の哀しみのほうを醸し出させようと狙っているのかもしれません。
というのも、現実には金のない庶民の娑婆世界にとって、これでもう釈迦の大乗の話にはいい加減着いていけなくなり、限界が来ることこそ本音の心に立ち戻れるというところなのかもしれないということです。
 
ここまで聞かされたなら、もうどんな馬鹿でもまだ体が小さかった子供の頃の完璧な素直な気持ちに戻れたわい!となってしまいそうですから。
  
 
リンクHPへ ⇒ 第10-27日号  第一微妙の色を成就したまえり  【妙荘厳王本事品第二十七】(五十六行~六十一行)
 


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