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釈迦は何も記録を残さなかった   【普賢菩薩勧発品第二十八】その10

2015年03月27日 16時21分44秒 | 生活・経済
釈迦はどうして法華経の書写の事を基本的に大事な修行としなかったかの疑問が残ります。
これに関しては、釈迦伝説の一説によると、佛教を分け隔てなくどんな者にも理解できるように大普及させるには伝達表現が難義で不可能に思えることであっても何が何でも何とかして言葉で伝えていくしか方法はないという精神を貫いていたという説があるということです。
 
また、釈迦は死ぬまでに保存用の記録などは一切残さなかったという説もあるそうです。
これはやはり、どんな者にも平等に正しく伝えていくには不変である経典の字句そのものをそのままに伝達していくには差別や誤解が生じても通常と考えてよいのかもしれません。
 
ですから、それよりも言葉により語り継いでいくことにより、その場その状況に応じてそれなりの便宜を図った正しい方便を用いて各々の立場や性質に沿って解かり易く、各々がしっかり飲み込むるように伝えていく方法が最も確かな手段として、書写よりも断然重んじられたと考えられるのです。
  
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なお、前回に於て、過去七佛のお話をいたしましたが、過去七佛とは過去世の三佛と現代、つまり當来世の四佛ということで、その當来世の四佛目が釈迦だということでしたね。
 
そして、これは私自身の発想になるのですが、過去世の三佛の時代には十界の内、地獄・餓鬼・畜生が暗に当てはまっているのではないかということでした。
そして現代の當来世が始まった一代目の佛の時代から人間界ということになるのではないかということでしたが、それに対し畜生界と人間界の間の阿修羅界が抜けていることに関しては大乗仏教初期の頃の分類に於ては阿修羅はまだ天竜八部衆に属していたという説により、阿修羅界として人間界の下に置かれたのはだいぶ後になってかららしいということでした。
 
しかし、これがもし後になって當来世一代目佛の段階に阿修羅界が介入されてきたために、その後後々までに當来世一代目佛の段階は人間界なのか阿修羅界になったのかのにわかな混乱が続いていると考えてみることを提案してみたいと私は思っています。
 
その人間なのか阿修羅なのかの微妙な違いに関して佛陀という新たな佛が存在しだしたのではないかと私は推測してみました。
そのように想定することにより、普賢や宿王華などのやや佛陀に近寄った精神により微妙な判断のズレを起こしていると考えられるのではないかということなのです。
 
宿王華や普賢が経巻の書写を優先に推し進めさせられたり、自ら推し進めているというのは、彼らは特に阿修羅の暴れを全面的に食い止めたいとする、元々の阿修羅界の無かった人間界だけの主義の時代を引き継いでいることによる新しい活字有利時代を優先的に推し進める者たちではないかを考えられるのではないかと思えるのです。
 
 
 リンクHPへ ⇒ 第10-28日号-自ら書き若しは人をしても書かしめ-普賢菩薩勧発品第二十八-五十六行-五十九行/
 


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