さて、今日は冬至です。それと同時に、かのじょの実母の命日でもあります。
かのじょの気持ちは、今日の本館の詩を読んでくださればわかるでしょう。かわいそうな死に方をした人。愛していると言ってあげたかったが、言えなかった。
かのじょが小さい頃に子供と家を捨てて、出ていった人。それから会ったこともなく、母親と言われても、ピンと来ない。それが子供としての正直な気持ちでしょう。あれからどんな暮らしをしていたのかは知らない。だけどその最期はあまりにもみじめなものでした。生活保護を受けながら暮らしていた、一人住まいのアパートで、かのじょの実母はたばこの火が原因の火事で焼死したのです。
ですが、その人の愚かな人生は、かのじょに強い影響を与えました。どんなにつらいことがあっても、自分の子供にだけは、あんな思いをさせたくない。だからかのじょは、夫との心のすれ違いが何度あろうと、その結婚をあきらめなかったのです。
かのじょの結婚は、幸せではなかったかもしれない。けれど、家庭と子供を見捨てて出ていくような母親には決してなりたくはない。そういう思いはかのじょの中に岩のようにどんと座りこんでいたのです。
実母の死は、みなの幸せを考えず、自分のことだけを考えて行動をした場合、どんなことになるかということを如実に教えてくれます。馬鹿な人だった。愛していたら、もっとみなのことを考えなさいよと、忠告できたかもしれないのに、そんなことさえ言えなかった。
この日は、愛せなかった母のことを思い出す日。それが、自分をこの世に産んでくれた人への、せめてものかのじょの愛だったのです。