ジョン・ジュード・パレンカー
原題「ヌーロ・ヘッド」
これは虚無に落ちた存在というものを描こうとすれば、こういうものができるだろうという例である。
画家の本霊はいるが、ほとんどいないのと同じなのだ。おそらく、生きていく中でとても耐えられない事象に遭遇し、ほとんどの自己活動を自ら取りやめ、虚無に閉じこもったとみられる。
画家の画業を代行しているのは、バックにいるほかの霊だ。その霊が、虚に落ちた本霊の状態を描いたというものがこの絵なのである。
自己存在の本質を虐待するあらゆる虚無の嵐が吹き荒れる世界では、こういうことになる存在がたくさんいる。その実例の一つが描かれたものであろう。
しかし、この絵に痛いものとして捨てきれない暖かさを感じるのは、バックの霊が本霊を愛しているからだ。彼は愛によってこの絵を描いているのである。
本霊はいないのと同じであるがいないわけではない。いないものを愛することなどできるはずがないからだ。