ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

木目 1999.8.1

1999-08-01 16:08:05 | 嫩葉
木目
プールでは園児たちが歓声をあげて遊んでいる。とても楽しそうである。今日、プールに入れない園児たちはどうしているのかな、と思って礼拝堂をのぞくとそこではカプラ(フランス製の木片遊具)でこれまた楽しそうに遊んでいる。わたしもカプラで遊びたくなり、何枚かピースを手にして、何か園長らしいものを組み立てたいと思いをめぐらしていた。その内、カプラを手にしているだけで、楽しくなってきた。木の匂い、触覚が心地良い。それよりも何よりも、その木目が美しい。次々、ピースを取り替えて眺めていると、当然のことながら同じ木目のピースはない。1枚1枚全部違った木目模様をしている。こんなに美しい線を誰が描いたのだろう。
すると、どこからか声が聞こえてきた。「僕のこの線はネ。とても暖かく雨も十分降った夏に描かれたのだヨ。」別な声が聞こえてきた。「わたしのこの線を良く見て。ここの部分が少しへこんでいるでしょう。これは30年ぶりといわれた台風のとき、折れそうになったときにへこんでしまったのだヨ。」弱々しそうな声がした。「僕のこの線はとても黒くて細いでしょう。これはとても寒い冬を過ごしたときにできたからなんだ。」「僕たちの木目模様は、暑い夏を過ごし、寒い冬を越すと出きる年輪なんだ。」
わたしはカプラを眺めながらウトウトとして夢を見ていたようだ。しかし、夢の中で確かに声を聞いた。1本1本の木は、その木自身の持つ成長する力と、それが置かれた環境との響き合いの結果として美しい年輪を内に秘めている。その木が生きて繁っている間は誰もその美しい年輪を見ることができない。
わたしたちの幼稚園は「きめの細かい保育」を目指している。わたしはうかつにも「きめの細かい」の「きめ」が「木目」だということに気が付いていなかった。159人の園児がいれば159の木目模様がある。それぞれが独自で美しい。その模様はその子ども自身の成長する力と子どもを取り囲む環境とが作り出したその子ども自身の個性である。同じ模様は二つとない。それぞれの木目の美しさに感動し、大切にすることが保育者の責任である。何人かの子どもたちを1把1束ねにして「子どもというものは」というような形で対応しない。それがわたしたちが目指している「きめの細かい保育」である。(園長・牧師 文屋善明)

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