ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

基礎 1999.9.1

1999-09-01 16:09:25 | 嫩葉
基礎
礼拝堂の建築工事が始まった。先ずは基礎工事。これがまた大変な工事である。掘って掘ってまた掘って、と大きなショベルカーによって10トンダンプで約20台分の土が運び出された。それでも、それは掘った土の約半分で残りは埋め戻しように園庭に山のように積み上げられた。掘り下げた一番底にコンクリートが張られ、建物の支柱を支える鉄骨のアンカーが埋め込まれ、その周りは鉄筋とコンクリートで固められた。基礎がこれほどの大工事だとは想像もしていなかった。しかし、これでもまだ不十分である。要するに、基礎は基礎自体を支える岩盤に接続しなければならないのである。幸い、現在の地盤は固く、割合に浅いところにあったので工事費はかなり安くできた。これが深いところに岩盤があると、何本もの杭を打ちこまなければならないとのことである。しかも、これらのすべての作業は、建物が立つとまったく見えなくなってしまうのである。見えなくなってしまう基礎作りのために、ただひたすら汗を流し、穴を掘る人々に頭が下がる。
幼稚園教育は人格形成の基礎作りであると言われる。成人したときに、誰によってどの様にして基礎作りがなされたのか、すべて忘れ去られる。基礎作りとはそういうものであり、それでいいのである。基礎がちらちら見えるような建物はみっともない。しかし、暴風雨や洪水や地震のときに基礎の真価が現われる。もちろん、そんな目に遭わないほうがよいに決まっている。
しかし、ここでも忘れてはならない点は、基礎は基礎自体を支える岩盤に接続していなければならないということである。人格にとってそれは何か。残念ながら幼稚園でできることは少ない。基礎工事は生易しくない。しかし、基礎によって岩盤を作り出すことはできない。人格形成における岩盤とは、自分の誕生を喜こんでくれた人々、受け入れ、愛してくれた人々の関係に他ならない。これを「根源的信頼関係」という。これがしっかりしているならば、どんな困難にも打克つ力がある。残念ながら幼稚園は岩盤にはなり得ない。むしろ、岩盤との関わりを強めることに奉仕するだけである。
わたしの尊敬する神学者が、神を定義して「Grand of Being」(存在の基礎)と表現していたことを思い出す。(園長・牧師 文屋善明)

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