ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

父親 2002.5.1

2002-05-01 08:42:26 | 嫩葉
父親
入園式や卒園式はもちろんのこと、普段の送り迎えや諸行事に父親が参加する姿が多く見られるようになった。非常に喜ばしいことである。数年前までは、たまに二、三人の父親たちが参加したとしても、圧倒的に多数の母親たちの影に不慣れな姿を見せていたが、最近では堂々と参加している。子どもの成長にとって父親の責任と役割が重要であることは今さら説明する必要はないだろう。おそらく、家庭の中でも「子どものことは母親だけの役目」と考えている父親は、むしろ珍しい存在になりつつある。
最近、子どもの成長にとって父親の役目に関する興味深い本が2冊出版された。一つは、音楽家で同時に大学付属の幼稚園の園長を兼務しておられる服部公一氏の「父親しだいで子供は決まる!」(集英社)という恐ろしい題名(内容は題名ほど恐ろしくはない)の本である。服部氏の園長として経験が語られている。「私は青年時代からNHKの幼児番組や学校放送の現場と深い関りを持ってきたし、アメリカで音楽療法の実践で子供たちと親しく接触してきたのだが、幼稚園長になって幼児と日常的に触れあってはじめて幼児教育の重要性を実感し、『これこそ超重要な教育だ』と自覚したのである。」(8頁)服部氏ほど華やかな経歴はないが、わたしも幼稚園の園長として、これを実感している。「幼児教育をおろそかにすることは天に向かって唾をするようなもので、それが十何年かたつと親の顔に降りかかってくる。」これも同感。この本の良さは「同感することが多い」ということで、同感しない人にはあまり意味がない。
ところが、もう一つの本、前にも紹介したことがある正高信男助教授(京大霊長類研究所)の「父親力」(中公新書)は、さすが動物行動学者、子どもの教育について父親の果たすべき役割のポイントを突いている。新書版とはいえ、学者の本であるからそのポイントに至るまでの前段がくどいほど長く、「はじめての記憶」から始まり、「なぜ子どもはかわいいのか」、幼児期における「笑い」の意味するもの、人間としての根源的経験である「死の問題」等々、専門的研究成果を踏まえた上で、ビシッと語る。「子どもが母親とのコミュニケーションに困惑したときが、父親の出番の一つのチャンスである。」(128頁、筆者が少し文章を調整している。)本書において正高氏は、子どもの成長に関心を抱く父親が、しばしば「もう一人の母親」になっている現状を批判し、父親固有の役割を「社会化のための手助け」である、と論じておられる。この本には、学者としての著者というよりも、「二児の父親」としての情熱(使命感)があふれている。 (園長・牧師 文屋善明)

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