<福島民報ニュースより>
標葉郷、小高郷が出陣式 27日開幕の相馬野馬追 避難先から武者続々
■福島で再会、気勢
【標葉郷騎馬会】福島市のホテル辰巳屋で行い、浪江、双葉、大熊三町から県内外に避難している騎馬会員ら約60人が出席した。
相馬小高神社の方角に向かって礼螺(れいがい)を行い、相馬胤茂相馬小高神社禰宜(ねぎ)と林茂騎馬会長が役付けごとに供奉章と肩印を手渡した。
相馬禰宜が「相馬野馬追が開催される三日間だけは、東日本大震災前の気持ちに戻ってもらいたい」、林会長が「故郷から出陣できる日を信じて、職責を全うしよう」とあいさつした。
吉田栄光郷大将は「武勲を目指して威風堂々と出陣し、避難生活を送る住民に大きな勇気を与えよう」と呼び掛けた。
祝宴に移り、中島三喜軍師と浪江町の馬場有町長、浪江町が役場機能を移している二本松市の三保恵一市長らが祝辞を述べた。
■誇り胸に原町集結
【小高郷騎馬会】南相馬市原町区のニューさいとうで行い、騎馬会員ら約60人が出席した。
相馬小高神社に向かって礼螺(れいがい)を吹奏した後、相馬胤道宮司が本田信夫会長に供奉証を手渡した。本田会長は佐藤邦夫郷大将、清信正幸軍者ら騎馬会員に供奉証、肩章、辞令を交付した。
本田会長が「伝統を絶やさずにつなぐことが責務。威風堂々の出陣を」と激励した。相馬宮司、佐藤郷大将があいさつし、松本充弘副軍師が訓示した。相馬野馬追執行委員長の桜井勝延南相馬市長や山沢征小高区野馬追執行委員長らが祝辞を述べた。
式後、祝宴が開かれ、騎馬会員が「相馬流れ山」を斉唱し、出陣に向けて士気を高めた。
( 2013/07/15 08:38カテゴリー:主要 )
*27、28、29日の三日間、相馬野馬追が開催されます。出陣される騎馬会員の皆さんの数多くの武勲と、無事の帰還(避難中では避難先にかな)をお祈りいたします。
さて、今日は30年ぐらい前の野馬追の思い出話です。
いつも野馬追の時は塾は3日間休みにしていました。7月22日は仕事休みの前日ということで、酒を友人たちと遅くまで飲み、翌23日の朝は当然二日酔い状態でベットで就寝中。「相馬流山」の民謡が外から聞こえ、そういや今日は野馬追だ。ど~れ、行列でも見っぺ、と何気なく2階のベランダに出ると、
いきなり「エーイ、そこのもの。2階から見下ろすとは無礼であるぞ!」と一喝されました。御先乗りにお叱りを受けたのです。
ただ、怒られているときに、アレ~、怒ってんのは、友人のO君でねえがなぁーと思いながらベランダから部屋へ。そして、また就寝。
翌24日の夕方、中央公園でのミニ野馬追の神旗争奪戦を見た後、友人たちとまた酒飲みに。飲み始めて2時間ぐらい経ってから、
「そういや、東京から帰ってきて野馬追に出ているO君に電話してみっぺ」
「みんなで酒飲んでんだげんちょも来ねが?」
「行ぐ行ぐ!」
久しぶりにO君とも酒を酌み交わし、学生時代の話やらで大盛り上がり。
「ところで、オレよー、昨日野馬追行列の御先乗りに怒らっちゃんだ。いやー、びっくりしたどー」
「アレッ、山ちゃん(私の通称です)。どごのへんで怒らっちゃんだ?」
「オレ、今、佐藤内科の近くのアパート2階を借りてんだ。そのベランダから見でだらだー」
「ナニー、やっぱりアレ、山ちゃんだったのがー。2階を見上げ注意しながら、もしかして山ちゃんでねーがぁー、って思ってたんだー。少し、首ひねったの分がんねがったがー」
「やっぱり、O君だったのがぁー。オレは二日酔いで寝ぼけ眼だったげんちょも、鎧兜姿でも何となくそうでねーがなぁーど思ったんだあー。今度まだ同じ場面の時は、『山ちゃんいつまでも寝でんでねーどー』って怒ってくいよなぁー」
みんなで大爆笑
他愛もない思い出話でした。皆さんも何かしら野馬追の思い出があると思います。今日は、家族や知人、友人と話すきっかけの話題にどうでしょうか。