チハルだより

絵本・童話作家 北川チハル WEBSITE

おしらせ

童話・絵本テキスト教室「はるかぜ」受講生募集 原稿のご依頼 えほんのひろば

わたしの仕事場

2015-05-19 | エッセイ



日本児童文学者協会会報zb通信no83に書きました!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60周年!

2015-04-14 | エッセイ


「付箋」を寄稿。日本児童文芸家協会創立60周年記念誌。表紙、すきです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追想片々 年中行事

2013-07-04 | エッセイ

 
 春、花に触れ。

 夏、雲を見上げ。

 秋、木の実(このみ)を拾い。

 冬、鳥を追いかけた。

 幼いわたしは、近所の友と野をかけまわり、虫や蛙と戯れた。けれど、家族とともに年中行事によく触れた記憶はない。何事につけ、あっさりを好む家だったから。

 ひな人形は、五歳の引越しで行方知れず。迎え火も初詣も余所様のこと。お月見は、いつするものなのか知らなかった。それでもわたしは、好きなときに月を見た。お供えのかわりに、心から語りかける自分の言葉を知っていた。

 小学校にあがり、一冊の本に出会った。講談社の幼年文庫『たのしい行事 春・夏・秋・冬』(西本鶏介/著 中村千尋・中村美幸/絵)。低学年向けに年中行事を紹介する読み物。まるで、おとぎ話を読んでいるようだった。憧れた。と同時に、年中行事の感覚を肌に持たない自分が根無し草のように思われた。心許なさに襲われた。

 やがて、わたしは保育士になった。初勤務は3歳児一八人のクラス担任。園の年間指導計画をもとに月案、週案を練る。

 指導計画は、当時厚生省が定めた保育所保育指針の5領域に記される「ねらい」を視点に作成された。5領域とは、こどもの発達の側面をみるために設定されたもの。「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」から成る。ただし3歳未満児は、発達の特性から各領域を明確に区分することが難しい。そのため一括されており、「環境」の領域にある年中行事は、3歳児の保育内容ではじめて言及された。「行事に参加して、喜んだり楽しんだりする」という一文。

 喜んだり楽しんだりしたのは、わたしも同じ。先輩保育士が語る行事の由来をこどもたちといっしょに目をまるくして聞いていた。活動には、胸をときめかせて参加した。こどもと同じ位置に立つことは、保育士として、ふさわしくない場合もあるだろう。ただ、感動をこどもたちと分かちあえる喜びは大きかった。

 わたしも由来を伝えられる大人になろう。そう思い、年中行事の本を読んだ。3歳の心に届く言葉を探した。

 七夕祭りには、こどもたちが浴衣を持って登園した。保育室で浴衣をきれいに着せてあげたくて、わたしは着付教室に通った。茶や花も、こどもたちと楽しむために習った。

 もちろんクラスには、活動を楽しまない子もあった。

 運動会ヤダ、餅つきしない、母の日のお絵かきなんかしたくない……。K君がそうだった。二年目に受け持ったクラスの4歳の男の子。五月、「母の日」に贈るお母さんの顔を描こうとはしなかった。

 わたしの配属園では園長の方針で、「さあ、みんな一斉に」という活動は少なかった。給食、昼寝など決まった時間以外、こどもたちは自由に遊ぶ。そのなかで保育士は、指導計画に基づく「ねらい」を念頭に活動を準備して、環境を整える。こどもたちそれぞれが、自ら「やってみたい」「やりたい」と思えるような場(コーナー)作りを心がけ、消極的な子には、ひとりひとり、様子を見ながら声かけをする。参加まで時間のかかる子もいるため、活動の期間は余裕を持って数週間程度設けられた。

 ところがK君は、いつまでたっても活動に参加しようとする気配がない。

 ある日、声をかけてみた。するとK君は、意外にも自分からクレヨンを持ってきてコーナーのいすに腰掛けた。

 けれど、目の前の画用紙を見ようとはしない。魂が抜けたようにぼうっとしているだけだ。どうやら頭では、「絵を描くほうがよい」と思っているが、心や体が「描きたくない」と静かに叫んでいる様子。

「K君のお母さん、いま、なにしてるかな?」

 わたしが聞くと、K君の表情が、とたんに明るくなった。

「おそうじしてるよ。あ、おかいものかも!」

 お母さんのことをつぎからつぎへと話すK君を見て、わたしは思ったのだ。画用紙は真っ白ながら、K君の心には、しっかりとお母さんの顔が描いてある、と。

 このことをわたしはそのまま、K君のお母さんに伝えた。お母さんは、K君を抱きしめた。

「Kは頑固で、みんなと同じことが何故できないのかと思っていたけれど、先生の話を聞いてほっとした」

 K君は、わたしに教えてくれた。ほんとうに大切なことは、カタチに縛られるものではない。「行事に参加して、喜んだり楽しんだり」できなくたっていいのだ。その子の心が輝いているのなら。

 年中行事とは、人を愛し自然や文化を愛する心から生まれてきたのだと思う。だからとても寛容だ。その意味や由来を知る人知らぬ人、分け隔てなく暦とともに毎年めぐってきてくれる。その日を忘れた人のもとにさえ。


■児童文芸 2013.4-5月号 特集「年中行事を楽しもう!」より 発行:(社)日本児童文芸家協会


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポプラのおばちゃんだより 『いちねんせいがあるきます!』

2011-03-16 | エッセイ



わが子が小学校へ通う春、まず心配になったのが、「ちゃんと歩いて行けるかな?」小さな足で歩く道は遠いよね。小さな体に背負ったかばんは重いよね…。

それから毎年、地域の見守り活動で、子どもたちといっしょに通学路を歩いています。春がくるたび、新一年生のすがたにハラハラドキドキ。横を通る車にビクンと揺れる細い肩。(車、ゆっくり走ってくれたらいいのにね。)野の花を見つけてしゃがむ足元に錆びた缶。(ごみ、ないといいのにね…。)

新しい道に転んで泣いて、未知の世界に驚き笑う一年生にとって、学校へ行くってことは大冒険! でも、だいじょうぶだよ。おうちの人も、先生も、すぐには打ち解けられない上級生も、地域の人も、空も、風も応援してる、はじめはみーんな、一年生だったんだから…。そんな気持ちで書いたおはなしです。一年生の「なんだか不安…」が、「とっても楽しみ!」となりますように☆

■ ポプラのおばちゃんだより
20114月号 「編集局から この一冊!」より


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もしもスランプになったなら

2010-09-03 | エッセイ


 スランプって、たぶん、高尚な志を持つ方のもの……そう思うわたしには、縁のない言葉です。
 字を知らない幼いころから、頭の中で、おはなしを作っては、おしゃべりすることが好きでした。耳を傾けてくれる遊び仲間が、近所に沢山いたからです。
 けれど、母には、ひどく心配をかけました。ありもしない話をするうそつきは、ろくな大人になれないと……。
 母を決して悲しませたくはなく、かといって、この遊びを忘れる術など、つゆ知らず。
 わたしは、口のかわりに、手を動かすようになりました。「頭の中のおはなし」を、内緒で紙に書いたのです。
 はじめは絵を。やがて、見よう見まねで覚えた字を。けれど、この秘め事は、母の目を逃れられはしませんでした。
 ある日、小さな娘の落書きを見つけた母は、言ったのです。
「よく書けてる」―字の練習、と思いこんだようでした。
 勘違いで褒められたとは気づかずに、わたしはさらに、手を動かすようになりました。ホッチキスで紙を綴じ、絵本を作り、ほいほいと、ひとにあげるようになったのです。家族、友だち、先生、近所の優しいおばあちゃん……貰ってくれたひとたちの、笑顔がうれしくて、うれしくて。
 そんな気もちのままに、いまを迎えてしまったわたしです。書くことは、喜び以外のなにものでもありません。
 だからこそ、読んでくれたひとにも喜びを、心に残るものを届けたい。いまの自分にできる「最高のプレゼント」として、真心あるおはなしを書いていたいのです。
 真心あるおはなしを書くために、大切にしていることは、自分自身の素直な気もち……ありのままである時間。
 母であり、妻であり、嫁であり……さまざまな役を担って社会に立っているときは、始終気ままでいられるほどに、わたしは強くありません。誰かを困らせるのは、いやだから。自分も苦しくなってしまうから、素直な気もちを覆い隠す便利なベールを何枚も、大人になるたび、手に入れました。
 けれど、便利なベールは、ときに心の息を奪います。それゆえ、ひとりになって、ベールを脱いで書くのです。
「いつ脱ぐか」は、重要です。
 時を違えれば、寒さと寂しさと恥ずかしさに襲われます。いろいろ試していくうちに、わたしには、午前が一番よいと気がつきました。南に昇るお日さまが、心を明るく開放してくれます。晴れてなくても、だいじょうぶ。雲のむこうに、お日さまは、いつだってちゃんといてくれます。
 書きたくないときは、書きません。無理しても、「最高のプレゼント」は書けないから。かわりに、絵本を広げたり、歌ったり、楽器を弾いたり、手芸に没頭してみたり。心の欲するままにすごしていれば、すぐに、書きたくなってくるのです。
 こうした時間を持てるのは、家人の理解と協力あればこそ。ふたりの娘と夫にも、気もちのいい時間をすごしてほしいと願っています。
 さいわい、わたしは家事が好き。家人とすごす時間も大好きです。ひとりの時間は、一日いくらかあれば充分です。
 長時間、机に向かって書くタイプではありません。紙やペンがなくても平気です。料理や掃除や洗濯や、繕い物をしながらぼんやりと、頭の中で「書く」のです。いえ、浮かんでくる文字と追いかけっこする感じ、でしょうか。
 物事は、うまくいくときもあれば、そうでないときもあります。分かっていても、めげて心の疲れがとれないときは、気に入った川原に寝転び、日向ぼっこをしています。
 〆切前や緊張で体が硬くなったときには、タコタコダンスかウサギダンス。どんな踊りであるかは語りません。トップシークレット、なのです。
 自分を見失いそうなときには、おへそに手をあてて深呼吸。「なんとかなる」と呪文のように唱えます。それでも、心の悲鳴がやまないときは、「コノ道マッスグ歩イタラドコ行ク散歩」や「ドコマデ曲ガラズ行ケルカドライブ」することも。
 もしもこのさき、スランプというものが訪れたなら、わたしは素直に受け入れようと思います。そのときの、わたしに必要なことなのだと思うから。
 もしもスランプが、不安を連れてきたのなら、わたしは怯えてそのさきに、強さを見つけたひとのおはなしを書きたいです。
 もしもスランプが、痛みを連れてきたのなら、わたしは泣いて、それまで知らなかった優しさに、気づいたひとのおはなしを書きたいです。
 もしもスランプが、絶望を連れてきたのなら、わたしは苦しみぬいて、やがて空を見上げて微笑んだひとのおはなしを書きたいです。
 読んでよかったと、思ってもらえるようなおはなしが、書けるのならば、幸せです。


■児童文芸 2010.6-7月号 「私のスランプ脱出法」より 発行:(社)日本児童文芸家協会


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お二人様

2010-08-07 | エッセイ


 東京の出版社、あかね書房の編集さんから、私のサイトにメールが届いたのは、昨年二月半ばのことでした。幼年童話のご依頼です。とても嬉しかったのに…不安も拭えませんでした。
 私は絵本のテキストや幼年童話の原稿を書く仕事がとてもとても大好きです。お声がかかれば、中学年以上対象の短編なども書いています。この中で、自分自身、どんなものが書けるのか、一番予測できないのが幼年童話。「こういうものを書きたいナ」と思っても、「どういうものが、できるのか」は、書いてみないと分かりません。いつもラストが見えないままに書きだします。このさきに、どんなラストが待っているのカナ?と、ワクワクしながら書いて、書いて、「あれれ、まいごになっちゃった!」を繰り返しているのです。
 こんなとき、ふしぎな気持ちを味わいます。(もうダメ完成しない)(この原稿とまだまだ向き合える)…困却と歓喜のお二人様が心の中で二人三脚するような…。
 この感じ、大好きな本を手にしたときと似ています。先を読みたい。でも、読むと終わっちゃうから読みたくない…好きすぎて読了できない本が何年も、私の机の上でうたた寝ばかりしています。
 本当に好きなことは終わりにしたくないの、というこのワガママ病、年々ひどくなるのでしょうか、最近は、書きたいものを自ら書き出すことさえノンビリになってきて…〆切を守っているのがふしぎです。いえ、幼年童話に関しては、各社の担当編集さんお揃いで、病を見抜いておられるのかも…。〆切はいつもあいまいで、「できれば来年までに」「書けたらいつでも送ってね」なんてありがたいお言葉に助けられているのでした。
 こんな私にメールをくださった編集さんのご期待に応えられるものかしらと思いつつ、数週間後、高槻のカフェでお会いしました。
 私は持病をうまく説明できなくて、でもふしぎなことに、編集さんはやっぱり〆切をおっしゃらず…。私はすっかりホッとして、口も軽くなったのでした。
「私ね、こういうの書きたいナって思ってて、ずっと書いていないのが三本あるんですけど……編集さんだったら、どれを一番お読みになりたいですか?」
 そうして、編集さんがお答えになったものを書きあげたのが、この春に出版された『おねえちゃんってふしぎだな』(竹中マユミ絵)。憧れのお姉ちゃんのすごいところやふしぎなところを見つけちゃう妹のおはなしです。
 これを書きあげるまでに、私は何度もまいごになって、そのたびに、あの例の、お二人様がやってきて…このうえなく楽しい時間をすごさせてもらったのでした。持病…バンザイ?


■京都新聞 2010年7月27日 丹波版 口丹随想


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都新聞 口丹随想&ロールケーキ

2010-07-27 | エッセイ


京都新聞 口丹随想 北川チハルの「お二人様」掲載日でした…山に住むチハルのところには京都新聞が届かないのですが…あんまり田舎で…配達区域外ナノデス…掲載紙は後日郵送してくださいマス…でも今日…わざわざコピーをくださった亀岡ジェントルマン様が…おいしそ~なロールケーキ・タオルは東京レディ様からのいただきもの…ここにコラボしちゃってるわけは…「お二人様」が『おねえちゃんってふしぎだな』のことを書いたものだから…画家の竹中マユミさんとおそろいです☆


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都新聞 口丹随想 2010.7.27のおしらせ

2010-07-23 | エッセイ


京都新聞 今度の口丹随想(2010.7.27予定)は、北川チハルの「お二人様」~☆

    

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えほんのひろば

2010-03-29 | エッセイ


「えほんのひろば」へ、毎回百冊の絵本を持って出かけています。かめおかっこひろば(子育て支援センター)ふれあいプラザにやってくるお子さん、親御さんたちと一緒に絵本を楽しむためです。
「子どもに絵本を読んであげたいけれど、どうすればいいのか分からない」
「絵本は一日どのくらい読めばいい?」
「うちの子は、絵本に全然興味がないみたい」
「絵本をなめたりかじったり、破ったりしてしまう」
「お店や図書館へ行っても、絵本がいっぱいありすぎて、どれを選べばいいか、とても悩む」
「子どもより、親のほうが絵本が好きで」
など、様々な思いや悩みをお持ちの方々が、たくさん遊びに来てくれます。お子さんは、0~3歳ぐらいが多いでしょうか。
 わたしの親子で楽しむ絵本デビューは、上の子が生後三か月のころでした。なかなか眠らず、抱っこで歩いていないと泣くわが子。ともに涙しながら寝転んで、絵本を広げたのが始まりです。まだ首のすわらない子に絵本は早いと思いましたが、情けない自分の涙を止めたくて、わたしはわたしのために、わたしの好きな絵本を声に出して読んだのです。
 ふしぎなことに、子どもはぴたりと泣き止みました。絵本を読む親の声に泣き止んだのです。内容を理解したわけではないでしょう。親の心が、絵本に癒されていくことを感じ取り、赤ちゃんも、ほっと安心したのでしょう。
 その後、わが家の絵本は、どんどん増えていきました。今では二人の子どもたちも、活字の並ぶ本を好む、中学生と小学生。棚に眠る絵本たちが、あんまり寂しそうなので、補修やクリーニングを施して、「えほんのひろば」で、自由に遊んでもらうことにしたのです。
 赤ちゃんに、いっぱい絵本にふれてほしいから、こまめな補修とクリーニングが必要で、そのため貸し出しはしていません。一斉の読み聞かせもしていませんが、「これ読んで」とリクエストがあったなら、字のない赤ちゃん絵本も読んでいます。ただ、どんな読み方をしようとも、決してママには、かないません。
 赤ちゃんは、ママに読んでもらうことを、なによりも喜びます。絵本は読み方よりも、そばに寄り添って読んでくれる人の心が大切です。家族の声が、いちばん安心できて楽しめて、心地よいものなのです。
 親御さんたちにも楽しんでほしいから、赤ちゃん向け以外にも、様々なグレード、ジャンルの絵本をご用意しています。親子で遊ぶ絵本タイムのお手伝いは、とても楽しくてうれしくて、「えほんのひろば」へ行く日が毎回待ち遠しいのです。

■京都新聞 2010年3月23日 丹波版 口丹随想


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物書きの勇気

2009-09-16 | エッセイ


〈おはなし作り〉は、わたしにとって、子どものころからの、お気に入りの遊びのひとつ。それを本気で仕事にしたいと思うようになったのは、いまから十三年ほど前、長女が生まれてまもなくのことでした。
 幸運に恵まれて、思いがけずデビューも叶い、物書きとして、童話や絵本の世界に携わることができるようになりました。この世界ならではの驚きに、出会うことにもなりました。
 たんに〈おはなし〉の原稿を書くことのみが、わたしの役目なのだと思っていたら、あらまぁそんなと、ひるむこともあるのです。
 たとえば、人様の書いたものを拝見し、コメントしたり、選考したり。わたしなどがと思いつつ、きっと心をこめて書かれただろうお作です、わたしなりの精一杯で、お応えしていくしかありません。
 これまで読ませていただいたお作の数は、まだいくらもありはしませんが、それでも、感じるところはあるのです。上手な文章を書こうとすること以上に、子どもを知ろうとすることに、書き手がもっと心を注げば、いい作品が、ますます生まれるんじゃないのかなあ、と。
 子どもを知ったつもりになって書くことも、考えものだとは思うのです。経験が、じゃまをする場合だってあるでしょう。
 毎月発行されているフレーベル館の保育絵本、キンダーブックで、わたしはいま、〈生活おはなし〉の連載を受け持っています。かつての保育士経験が生きることは、もちろん少なくありません。ただ、おもしろい〈おはなし〉を書こうとすればするほどに、経験や、歳月の流れとともに、しなやかさから遠ざかっていく観念が、立ちはだかってくるようです。そこを飛びこえ、はばたく勇気が必要になってくるのです。
 やはり月刊保育絵本を発行するチャイルド本社から出た自作『ふたごのあかちゃん』は、なけなしの勇気が功を奏したものでしょうか、ひさかたチャイルドより、シリーズ第2弾となる『ふたごのあかちゃんとにげたとら』が、書店に並ぶようになりました。
 時々ぐらつく勇気をそのたび支えてくれたのは、ナチュラルに絵本を愛し、楽しんでくれるたくさんの読者さん。日常と、日常を飛びこえた、ゆかいな世界のバランスを見つめてくださった編集さん。そして、魅力あふれる楽しい絵を描いてくださった、はたこうしろうさん。はたさんのドラマティックな画面構成、キュートなキャラクター、本のすみずみまで行き渡るデザインセンスが、きらめく命を絵本に吹き込んでくれました。
 この世界、いい仕事をする方は、いい顔で、子どものそばに立っている…そんな気づきもありました。
 必然の人との出会いや、偶然の出来事が、なにかしら与えてくれるものを勇気に変えて、今日も書いていけたなら…。これは、ちっぽけな、ひとりの物書きのひとりごと。

■京都新聞 2009年9月8日 丹波版 口丹随想


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009-05-13 | エッセイ
 

 私は窓が好きなのです。
 震災で、住むべき家を失って、亀岡の古家へ移ることになった時、見知らぬ土地へ不安が募っていきました。それを拭ってくれたのは、当分入れる家具もない、二階のからっぽの部屋の窓。腰高のよくある横引き窓でした。
 近づくと、眼下に植木屋さんの緑の庭、ほどよく離れた所には、段々と連なる家々が見えました。
 けれど部屋の真ん中で、仰向けに寝転ぶと、その窓は、「空しか見えない窓」になったのです。ささやかな秘密を見つけたようなときめきが、体に満ちていきました。この窓のある家ならば、きっと暮らしてゆけるだろう、と感じるものさえあったのです。
 思えば、「窓好き」は、昔からのことでした。お転婆でありながら、よく熱を出す子どもであった私は、たびたび布団の中で、すごすはめになりました。そんなとき、窓をぼんやり眺めては、耳をすましていたのです。
 表通りの人の声。戸袋に巣材を運ぶ小鳥の羽音。雲の流れ。風の道。うつろう日の光の色あいや、夕空に踊る蝙蝠の影…。それらはすべて、幼心を優しくくすぐるようでした。
 窓は、私にとって、外と内の空間を隔てるものではなくて、繋ぐもの。そして、大きな世界の営みを小さな部屋に映し届けてくれる、明るい瞳なのでした。
 大人になり、曇った窓に指で落書きする子を眺めることも、好きになっていきました。その子が、声にはならない、言葉にできない想いの淵を窓に伝えているようで、なんとも愛おしいのです。
 そして、その子が私の視線に振り向いて、はにかむ姿も好きなのです。やがて、その子が去った後、窓に残る落書きの、静かな声に耳をすますのも、いいものです。
 窓に落書きなどしたら、跡がついて掃除がとっても大変よ、と、昔、母に叱られました。今、母となり、私もたびたび、同じことを言いたい気持ちにかられます。
 けれど、やはり、窓に伸ばす子の指を止めることができません。それどころか、さあさあどうぞというように、毎朝、家中のカーテンをすっかり開けてまわるのが、癖になっていきました。そう、ドレープばかりか、レースまでも、きっちりと。
 外と内の空間を繋げてくれるだけでなく、景観を楽しませてくれるだけでもなく、幼子の遊び心にひそむ想いも、黙って受けとめてくれる窓…そんな窓をとうとう本に登場させることができました。
『まどのおてがみ』(文研出版)。風邪をひき、外へ遊びに行けない子が主人公。揺らぐ少女の心を、画家のおおしま りえさんが、色鉛筆で見事に描いてくださった絵本です。

■京都新聞 2009年5月12日 丹波版 口丹随想


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素晴らしき才能

2009-01-30 | エッセイ

 
 原稿を書くことが仕事なのに、原稿用紙が苦手です。あのマス目がいけません。
「あなたはね、いまからね、ここにきっちり文字を書くのですよ。ええ、ええ、マス目から決してはみ出さず、行儀よく」などというような、無言の圧力をどうにも感じてしまいます。
 ノートの罫線も同様です。
 自由な気持ちをのびのび表現するのには、整然と引かれた線は、無粋で、おじゃまで、おせっかい。だからいつも、無地のメモやチラシの裏に、縦横かまわず、書き散らしていくのです。
 そういうわけで、いざパソコンで、原稿の打ち込み作業を始めても、どの文が、どの文につながっているのやら、まるでパズルを解いているかのよう。メモを読み取ろうとするだけで、頭はオーバーヒートへ一直線。結局は、メモに背を向けて、お昼寝か、コーヒータイムか、よそ事をはじめるか…あるいは気のむくままに、キーボードをぽつぽつたたき、あらたな原稿を仕上げていくかのいずれかです。
 こうしてせっかく書いたメモたちは、多くがお蔵入りとなる運命。めったに読み返すこともありません。書きとめたアイデアも、どんどん忘れていくけれど、なんの問題もありません。忘れてしまうようなアイデアは、はなから、たいしたものではないのでしょう。
 長いものを書く才能も、持ちあわせてないようです。四百字の原稿用紙に換算すれば、私がふだん書くものは、せいぜいが二十枚。短編が好きなのです。
 完成までの時間はまちまちで、十枚が半日で仕上がることもあれば、五枚に数年かけることも。
 新刊『はなちゃんのはなまるばたけ』(岩崎書店/西村敏雄・絵)は、十八枚の初稿を仕上げるまでに、構想から二年半、出版までに三年半かかりました。はじめて小学校で字を習う「はなちゃん」が、なかなかうまくはいかなくて、「オヤオヤ、マーマー、アラアララ!」な一日を送るおはなしです。
 うまくいかないことなんて、そうそう珍しくはないけれど、決められた枠の中で、努力してもきっちりできない自分に気づくとき、人間は、おとなでも子どもでも、「枠」の無言の圧力を感ぜずにはいられない…そんなものではないのでしょうか。
 けれど、子どもは素晴らしき才能の持ち主です。どんな状況にあろうとも、なにかしら、面白いことを見つけては、屈託のない心でもって、世界を明るく照らしてくれるから。
 この偉大なる、愛すべき子どもたちへ敬意をこめて、これからも、ささやかなおはなしを贈りつづけていきたいと思う年頭です。


■京都新聞 2009年1月27日 丹波版 口丹随想


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベスト・コンディションで書くために

2008-10-10 | エッセイ
 

 小学生のころから、肩こりに悩みっぱなしの私です。でも父は、とぼけた顔で言うのです。
「俺ァ、肩がないから、肩こり知らん」
 小柄で肩幅が狭いのは、私も同じなのですが。思うに父は、肩がこっていても、自覚しない人なのです。と同様に、私は「スランプ」を自覚できない人間です。
 まだ字を習わない、幼い頃から、頭のなかで、でたらめなお話をつくるのがすきでした。そして人に聞かせ、喜んでいたのです。その遊びを仕事にしてしまった私です。「お話づくり、だーいすき!」という感覚が、いまも、しぼんでいくことはありません。仕事は、楽しいことばかりではないけれど、すきなんだからしょうがない、そんな気持ちでいるのです。きっと私は死ぬまでに、書きたいことを全部書ききることはできないな、とも思うから、スランプを感じるいとまが、ないのかも……。
 そのような人間に、「スランプ脱出法」は書けないけれど、かわりに〈ベスト・コンディションで書くために〉私がふだんしていることを、いくつか、ご紹介したいと思います。

一、 お日様のもとで書く(夜は気分が暗くなっちゃうので書かない)
一、 「なんとかなる」と、ときどき、おまじないみたいに唱えてみる
一、 思いつくまま、へんてこな脱力系ダンスを踊る(恥ずかしいから、人前ではしないけど……)
一、 おへそに手を当ててみる(自分を見失いそうなとき、おへそはちゃんとここにある、と思うと安心します)
一、 とにかく、眠る

 こうしてみると私って、ちゃらんぽらんな人間ね、って、あらためて思います。「スランプ」というのはもしかして、志の高い方のもとにのみ、訪れるものなのかもしれません……。

■第24期 実作通信ニュース№3 2008/10 「私のスランプ脱出法」 発行:(社)日本児童文学者協会 事業部


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わらない宿題

2008-09-13 | エッセイ


 夏休みが終わっても、宿題ができていない…時折、そんな夢を見るのです。
 子どものころ、実際に、そのようなことは(多分)ありませんでした。どうしてか、宿題は先生からの挑戦状、なんて思っていた私です。とりあえず、受けてたってみなくちゃね、というスタンスでした。できばえはともかく、新学期までには一通り、なし終えていたはずなのに…なぜ、このような夢を見るのでしょう? ひぐらしの絶唱に目を覚まし、窓から吹きこむ朝風に、秋の気配を感じつつ、肌布団にくるまって、うつらうつらと考えました。
 夏休みが近づくと、毎年わくわくしたものです。なにか特別な、扉が開いていくような予感さえ、ありました。ところがいざ夏休みが始まると、ヒマでヒマで退屈で、やっかいな休み時間が、永遠に続くような錯覚に、幾度もとらわれていたのです。そんな呪縛を払うべく、小さな志を打ちたててはみるものの、あえなく挫折の味を知る、その繰り返しだったように思います。
〈今年こそ泳げるようになりたいな〉という願望は、何度も溺れた恐怖ののちに果てました。
〈本を百冊読む!〉という宣言は、十冊ほどで早々、撤回。数にとらわれると、内容を楽しめない、というのが言い訳です。
〈今年の自由研究は、大学ノート一冊分、お話を書いて本にする〉という目標は、何ページで見失ったのか、もう記憶にもありません。覚えているのは、あのころ書いたお話は、ほとんどが起承転転。結が宙をさまよう、未完のオンパレードだったということのみ…。
 なんて中途半端な人間かしらと子どもなりに自覚したものでした。それでもいつかは、もっともらしい大人になれるんじゃないのかな、と、あふれる希望をふりまいて、未来を信じていたのです。
 大人になった私はいま、仕事を休んでも、ヒマな感とはほど遠く、楽しい時もつらい時も、永遠でないことを知っています。
 母親にもなったから、わが子を笑って見ていられもするのです。わくわくと夏休みを迎え、あれもこれも、やりかけては投げだして、さんざん遊び、そのうち、ヒマでヒマで退屈で、と、ふくっれつらする娘たち。それは、毎年の見慣れた情景でありながら、夏の終わりになればふと、それぞれの成長も感じます。葉陰でひっそりふくらんだ、青柿みたいに目立たないものではあるけれど。きつくなった上履きや、雷におびえる小犬を抱きしめてやる横顔に、ちらちら、ほのめいているのです。
 いっぽう私は少しでも、この夏、成長できたかな…終わらない宿題の夢を見させる真因は、このような疑問にあるのかもしれません。


■京都新聞 2008年9月2日 丹波版 口丹随想


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶯の谷渡り

2008-05-14 | エッセイ

 春、古家のバルコニーで洗濯物を干していると、小鳥たちのさえずりが、いっそう高らかに聞こえます。亀岡の山里に来て十一年、当初はそのにぎわいに驚いたものでした―小鳥ってこんなにおしゃべりだったのね! 同時に浮かびきたのは、ふるさと愛知の父の顔。
 父は鳥の声を聞くだけで、その名を言い当ててしまう人。幼いころ、時折見せてくれた芸当です。何故そのようなことができるのか、尋ねたことはありません。人の話を聞くことよりも、自分の話をすることに夢中な子どもでしたから。「口から先に生まれた子」と言われるほどに、そう、たぶん小鳥よりも、わたしはおしゃべりだったのです。
 一方、父はめったに自分を語りません。寡黙な父に、せっかく教わった鳥の名を、聞いたそばから忘れた娘がわたしです。移れば変わる、実家あたりの緑や小鳥はやがて減り、いつしかわたしは大人になって、ふるさとを遠くはなれていきました。
 あのときに、きちんと覚えておいたなら、鳥の名をわが子に教えることができたのに…洗濯物を干す手がとまり、思いはめぐっていきました。そうだ、ここに父を呼ぼう、少々老けた父は喜んで、鳥の名を教えてくれることだろう…。
 勝手な望みを胸にして、数年前、旅の途中の父を呼び、バルコニーへ連れだしました。
「いま、むこうの山で鳴いている、あの声の鳥は何?」すると父は、しばらく黙り、やがて首をふったのです。「聞こえない」。耳が、遠くなっていたのでした。
 バルコニーのフェンスに寄りかかり、もう父には届かない小鳥の声を聞きながら、わたしは言いがたい想いを抱え、うろたえました。その感情は長々とどまり、ついに筆を執らずにいられなくなったのです。書きあげたのは、『わたしのすきなおとうさん』(おおしまりえ・絵/文研出版)。この春、出版されました。原稿に向き合いながら、おろおろ悩んでいるうちに、作者の私的な想いやら、モデル像は昇華され、普遍の親子愛というものが、物語に芽生える感覚が湧きました。これぞ創作の醍醐味です。
 あのバルコニーで並んだ日、ひとつだけ、父は教えてくれました。目の前の林から高く鳴く声がしたとたん、ゆっくりつぶやくように言ったこと。「あれは、鶯の谷渡り」
 わたしはそののち、本や資料をかき集め、山を歩き、耳をそばだて双眼鏡をのぞいては、いくらか父の芸当の真似事ができるようになりました。時折わが子に、ひけらかしてみるものの、「へえ」とうなずき、別の遊びへ移る娘たち。父が見れば、「昔のお前にそっくりだ」と笑うでしょう。今日も、ふるさとを遠くはなれたこの山に、鶯の谷渡りが響きます。
 
■京都新聞 2008年4月29日 丹波版 口丹随想掲載


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする