テレビで流れていたニュースから、
<エルトゥールル号……>と聞こえ、
「ああ、木暮先生」
と思った翌朝1月10日に、
先生はお亡くなりになりました。
わたしのあたまやこころやからだは、
ちぐはぐとしはじめて、
気がつけば、
仕事部屋の
クローゼットのとびらをあけてしゃがみこみ、
先生からのおたよりを
ひっぱりだしては読み返し……。
さいごにいただいたのは、
先月の『うちゅういちのタコさんた』の書評と
今年納めの月例入院のお知らせでした。
さいしょにいただいたのは、
平成10年のものでしょうか。
先生は、私がデビューする以前から、
お手紙で、沢山のお言葉をおくってくださいました。
次女が生まれたときには、
次女の名前にちなんだ絵葉書でお祝いを、
デビューの際には、
これからの心構えと激励を。
先生は、
これから書き手になろうとする多くのものへ、
どんなときも惜しまずに、
お心をくだいてくださるお方でした。
いつかきっと、と夢を見つつ、
夢は夢のままかもね、と
ゆれる私に、
先生が、おくってくださったお言葉です。
今日は日記に、
「倉岡さん(私の本名)は期待できる」と
書きました。
入選しやすい童話童話しないシリアスな作品を
書いていく姿勢と資質をみたからです。
入選などしにくく、
本にもなりにくい作品世界かもしれませんが、
「書かないではいられない」
必然性のあるテーマを追求していって、
作家の道をめざして下さい。
倉岡さんはいつか遠からず、
きっと大きな花を咲かせることでしょう。
信じて期待しています。
先生にお目にかかったのは、一度きりとなりました。
18日、先生のお別れの会に行ってきます。