春、古家のバルコニーで洗濯物を干していると、小鳥たちのさえずりが、いっそう高らかに聞こえます。亀岡の山里に来て十一年、当初はそのにぎわいに驚いたものでした―小鳥ってこんなにおしゃべりだったのね! 同時に浮かびきたのは、ふるさと愛知の父の顔。
父は鳥の声を聞くだけで、その名を言い当ててしまう人。幼いころ、時折見せてくれた芸当です。何故そのようなことができるのか、尋ねたことはありません。人の話を聞くことよりも、自分の話をすることに夢中な子どもでしたから。「口から先に生まれた子」と言われるほどに、そう、たぶん小鳥よりも、わたしはおしゃべりだったのです。
一方、父はめったに自分を語りません。寡黙な父に、せっかく教わった鳥の名を、聞いたそばから忘れた娘がわたしです。移れば変わる、実家あたりの緑や小鳥はやがて減り、いつしかわたしは大人になって、ふるさとを遠くはなれていきました。
あのときに、きちんと覚えておいたなら、鳥の名をわが子に教えることができたのに…洗濯物を干す手がとまり、思いはめぐっていきました。そうだ、ここに父を呼ぼう、少々老けた父は喜んで、鳥の名を教えてくれることだろう…。
勝手な望みを胸にして、数年前、旅の途中の父を呼び、バルコニーへ連れだしました。
「いま、むこうの山で鳴いている、あの声の鳥は何?」すると父は、しばらく黙り、やがて首をふったのです。「聞こえない」。耳が、遠くなっていたのでした。
バルコニーのフェンスに寄りかかり、もう父には届かない小鳥の声を聞きながら、わたしは言いがたい想いを抱え、うろたえました。その感情は長々とどまり、ついに筆を執らずにいられなくなったのです。書きあげたのは、『わたしのすきなおとうさん』(おおしまりえ・絵/文研出版)。この春、出版されました。原稿に向き合いながら、おろおろ悩んでいるうちに、作者の私的な想いやら、モデル像は昇華され、普遍の親子愛というものが、物語に芽生える感覚が湧きました。これぞ創作の醍醐味です。
あのバルコニーで並んだ日、ひとつだけ、父は教えてくれました。目の前の林から高く鳴く声がしたとたん、ゆっくりつぶやくように言ったこと。「あれは、鶯の谷渡り」
わたしはそののち、本や資料をかき集め、山を歩き、耳をそばだて双眼鏡をのぞいては、いくらか父の芸当の真似事ができるようになりました。時折わが子に、ひけらかしてみるものの、「へえ」とうなずき、別の遊びへ移る娘たち。父が見れば、「昔のお前にそっくりだ」と笑うでしょう。今日も、ふるさとを遠くはなれたこの山に、鶯の谷渡りが響きます。
■京都新聞 2008年4月29日 丹波版 口丹随想掲載