遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『親鸞を読む』  山折哲雄  岩波新書

2023-01-18 16:42:30 | 親鸞関連
 序章と第7章は、本書が2007年10月に刊行されるにあたり書き下ろされた章だという。第1章~第6章は、1990年~2004年春までに各種媒体に発表された論考に加筆されたそうだ。まず全体の目次構成と初出の原題を << >> 書きで併記して示そう。

 序 章 ひとりで立つ親鸞
 第1章 歩く親鸞、書く親鸞 -ブッダとともに-
             <<京都を出て京都に帰った親鸞>>
 第2章 町のなか、村のなかの親鸞 -道元とともに-
             <<洛中の地名に想う>>
 第3章 海にむかう親鸞 -日蓮とともに-
             <<「環日本海」の原風景 -親鸞と日蓮>>
 第4章 弟子の目に映った親鸞 -唯円と清沢満之-
             <<清沢満之と「歎異抄」>> + <<清沢満之という生き方>>
 第5章 カミについて考える親鸞 -神祇不拝-
             <<親鸞における「内なる天皇制」>>
 第6章 親鸞を読む -日本思想史のもっとも戦慄すべき瞬間-
             <<日本思想史のもっとも戦慄すべき瞬間>>
 第7章 恵信尼にきく -日本思想史の背後に隠されていた「あま ゑしん」の素顔-
            
 章立てのタイトルと初出時のタイトルの全体を対比的に眺めてみると、タイトルから受ける印象は「親鸞をからだでよむ」という命題との関係でみて微妙に変わる。おもしろいものだ。

 序章において、著者は半世紀以上にわたり「長いあいだ親鸞を読みつづけてきて、実は頭で読んでいるにすぎなかったことに気がついた」(p2)と述べ、「頭で読むことから、からだでよむことへの転機」(p3)が訪れたという。「親鸞をからだでよむ」、加えて「親鸞のテキストや伝記を中心とする体系的な記述」(p3)から脱出して、「親鸞その人と対面する」(p6)という試行錯誤と「思考実験のあと」(p6)が本書の叙述だという。
 上記の続きに、「二つの補助線」を明記している。一つは、随分以前に、親鸞の肖像画を見て、親鸞の表情に衝撃を受けたと記す。そして、親鸞の「鏡御影」の表情と道元の「月見の御影」を対比し、印象の類縁性に言及し、時代の精神の刻印を指摘する。もう一つは、「親鸞は日本における宗教改革の輝かしい先導者であった、という命題である。わたしはやがてそのような理論や解釈が何のいわれも証拠もないことに気がつくようになった」という。二つ目の補助線については、この序章において、「鎌倉時代の『改革』運動のすべては、やがて『先祖崇拝』という名のより大きな信仰に呑まれていく」(p13)という事実で、宗教改革の先導者という命題をほぼ否定している、「宗教改革」という言葉が西欧からの思想的な輸入品にすぎないと指摘している。この説明は納得しやすい。
 この2つの補助線を考えると、論考の初出以前に、「親鸞をからだでよむ」ための転機は来ていたようである。

 本書の読後印象を要約すれば、親鸞その人に寄り添うように親鸞の遍歴に同行する立場にたち、親鸞の著述を親鸞の視点から見つめた結果として、著者の見解を述べた書といえる。

 著者の解説で印象深い箇所の要点を覚書を兼ねてご紹介しよう。括弧は引用文。
*親鸞の自著は最初期と最晩年との間に23年の歳月を経るが字のぶれはみられない。
 生命の強靭さがあらわれている。 p30-31   第1章
*親鸞は、天親の「親」と曇鸞の「鸞」からの合成。「『親鸞』を選びとったとき、おそらく源信と源空から離陸しえたという自覚を抱くことができたのである」(p38)第1章
*親鸞が恵信尼とともに20数年住んだ常陸国の稲田は、北越地方からの移住民(新百姓)たちの開墾地。親鸞は、流罪地・開墾地といういわば村のなかで生きてきた。 第2章
*親鸞は流罪人として日本海を船旅した。日蓮は佐渡島に配流された。芭蕉は「奥の細道」紀行で日本海に接した。そこに三者三様の体験がある。親鸞はそこに「難思の弘誓は難度海を度する大船」の着想を得た。『教行信証』の執筆が始まった。 第3章
*唯円は『歎異抄』の前半で親鸞の考えを示したが、後半で異端を断罪した。
 「親鸞書簡の全編に流れている主調音は、ただひたすらに謙虚なつぶやきのそれであり、その言々句々はつねに隠忍自重に撤する響きにみたされている」(p89)「かれはすくなくとも『異端糾問』につながるようなことはいささかも認めてはいないのである」(p87)
 「唯円は『歎異抄』という作品において、もしかすると師・親鸞の信心のあり方を裏切っているかもしれない」(p92)という著者の指摘は興味深い。
*蓮如本『歎異抄』を残した蓮如は、蓮如本末尾に「宿善のない者(無宿善の機)に、この書物は読ませてはならない」と記した。お蔵入りにしたようだ。
 著者は「わたしにはその蓮如の『宿善』が清沢のいう『修繕』の考えと重なってみえる」(p96)と指摘する。清沢は明治になって『歎異抄』を再発見した人と私は記憶する。
 著者は「清沢満之の文章は、親鸞の肉声や『歎異抄』の文章とは異質な音色をひびかせているのである」(p103)と論じている。この点関心を抱いた。今後の課題。本書で清沢の一端を知る機会になった。   第4章
*「宗教がその本来の力を保つためには、何よりも現世利益の因果と機能を自己のうちに統合しなければならないのはいうまでもない」(p123)と著者は論じている。
*著者は親鸞の和讃を分析し、「親鸞はおそらく農民大衆とともに、このような『霊界』の存在を信じていたのである」(p124)と論じている。 第5章
*『教行信証』こそが親鸞の著作であり肉声。第一次資料。『歎異抄』は「聞き書き」であり、第二次的資料である。『歎異抄』には逆説の魅力と断言命題の発する毒性に衝撃力が含まれる。両者の関係の分析が必要。  第6章
*親鸞は自ら「非僧非俗」と称した。その言葉が『教行信証』の後序に出てくる。第6章
*親鸞は『教行信証』に善導の『法事讃』からの引用を「仏にしたがひて本家に帰せよ」と書き換えている。もとは「家に帰せよ」である。  第6章
*「信仰者の本来の生き方は、師とか弟子とかいう世界から解放されたものでなければならない。それは師から離脱し、弟子をすてるような単独者の生き方のなかで模索されるべきものではないか。・・・・親鸞はみずからすすんで東国の地をすて、弟子たちをすてたのであったとわたしは思うのである」(p148)と著者は記す。  第6章
*著者は『教行信証』に凝縮されている主題は何かと提起し、「この作品に展開されている重大なテーマはただ一つ、父殺しの罪を犯した悪人は果たして宗教的に救われるのか、という問題だった」(p149)と論じる。この点、いつか読んで確かめてみたい。 第6章
*親鸞の最後の解答は、「善知識」と「懺悔」の二条件が決定的に重要だとする。
 「『善知識』とは善き師、そしてその師について自己の罪を深く反省することが『懺悔』である。」(p151)と。この二条件のクリアが「親鸞における『悪人正機』の核心である」(p152)と帰結させている。 上掲と併せて、確認課題となった。  第6章
 この論法が、『歎異抄』の悪人正機説との矛盾・撞着を生むと述べ、その相違を論じて行く。本書を開き、ご一読ねがいたい。  第6章
(『歎異抄』は読んでいるものの、『教行信証』は未読なので考えたこともなかった。)
*著者は、『歎異抄』は可能性の悪、『教行信証』は実現してしまった悪と峻別し、決定的に異なる状況を語っているという。  第6章
*「恵信尼文書」と称される重要資料は、大正10年(1921)初冬に、西本願寺の宝蔵で発見された。翌年に鷲尾教導がその全文と註を付して出版・紹介したという。このことを本書で初めて知った。 p169 第7章
*恵信尼文書では「ゑしん」とだけ記されることから、「あま ゑしん」としての「あま」の実態が考察されている。この点が興味深い。 第7章

 浄土真宗の開祖とされる親鸞、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」というメッセージを残した親鸞、その人を知る上で好個のガイドになる教養書の一冊だと思う。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもご一読いただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<親鸞聖人関連>本の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在  7冊
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