散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

ブラックペアンの感想文その3 ヒューマンドラマとして見てみると

2018年06月22日 | ドラマ
今、橋本陽介という人の「物語論、基礎と応用」という「もの凄くつまらない本」を「手にして」いました。「手にして」と書いたのは最初の方しか読んでないからです。まあ最初の方を読めば、あとは金太郎飴のように同じことの繰り返しみたいです。つまらない物語分析を延々と書いている。題材は「シンゴジラ」とか「流行りもの」を用いています。でもつまらない。途中から「いい加減にしろよ、テメー」という気持ちになってきて、読むのをやめてしまいました。「そんな分析どうでもいいから感想でも書けよ。そっちの方がよっぱど面白しれーよ」と思います。

などと多少下品な言葉を使って書いたのは、今から書く「感想」では、私も多少の「分析」をするだろうからです。だから「つまらなさ」は同じかも知れません。

最初から、第一話を見た時から、こりゃ「ヒューマンドラマだな」と思っていました。「人間愛」がこの作品の主題です。それに比べると、医学界の問題とか手術機械とゴッドハンドの対立などはサブの主題に過ぎないと思います。

大きく分けると4種類の人間が登場します。役名でなく、俳優名で書きますが、趣里さんだけは「猫田」と書きます。趣里さんでは分からないだろうと思うからです。黒崎准教授も役名で書きます。

1、人間愛に溢れ揺らぐことがない、なおかつその人間愛を実現する(つまり人々を救う)技術を持つ人々

二宮、内野聖陽、猫田の三人がこのグループに属します。プラス加藤綾子と看護師長です。どうやら極楽とんぽ加藤もそうみたいです。内野については説明が必要かも知れませんが、長くなるので書きません。

2、人間愛は持っているものの、時々それが揺らぐ人々、なおかつその人間愛を実現する(人間を救う)技術が多少不足している人々

小泉孝太郎、黒崎准教授、キングオブコメディの今野がこのグループに属します。

3、人間愛に溢れ揺らぐことがない。しかしそれを実現するだけの技術を「まだ」少ししか持たない人々

竹内涼真と葵わかなです。ただこの二人は成長するのでやがて「1」に昇格すると予想されます。

4、人間愛がない人

市川猿之助です。志垣太郎は「分類不可能」と考えました。志垣太郎に人間愛がないのは明らかですが、なんだか特殊な存在に思えます。

つまりこの作品に「人間愛がない人は猿之助一人しかいない」のです。

他の人々は自分なりのやり方でなんとか人間愛を実現しようとします。だからこのドラマは「きわめて人間愛に溢れたもの」となっているのです。つまりは優れたヒューマンドラマです。

徐々に視聴率が上がっています。徐々に視聴者が「人間愛ものだ」と気が付いたから、「かな」と思います。それだけでは説明つかないことは分かっていますが、「もしかしてそうかな」と思います。




司馬さん原作ドラマの中の薩長同盟「長州がかわいそうじゃないか」

2018年06月22日 | ドラマ
司馬さんの作品の中では「竜馬がゆく」については二回ぐらいしか読んでいないと思います。他の作品は、あの「坂の上の雲」ですら5回以上読んでいるのに、「竜馬がゆく」はあまり読みません。「ちょっと竜馬がカッコよすぎる」のですね。もうちょっと渋い主人公が好きなんだと思います。「花神」の村田さんとかです。

最近は「薩摩が龍馬を利用して同盟を結んだ」なんて説もあります。つまり「坂本龍馬の功績はそんなに大きくないのだよ」という意見です。「いろんな意見があるな」ぐらいには思います。

以下はドラマの話です。史実とフィクションが「混在」しています。だから「それは史実ではない」と言われても困ります。

薩長同盟。1866年の3月です。大政奉還が1867年の11月です。鳥羽伏見の戦いが1868年の1月です。ほぼ2年にわたって機能した同盟であると言っていいでしょう。

最終的に結ばれたのは小松帯刀の京屋敷だったはずです。

長州の代表は桂小五郎、品川弥次郎、三好重臣らです。あれ三好って誰だ?と思って調べると、奇兵隊出身ですね。明治になってからは一貫して陸軍において働いたようです。

3月の8日ごろに桂小五郎らは京に入り、「毎日、毎日、山海の珍味で」もてなしを受けます。

が、桂からは薩摩に同盟を申し入れません。むろん体面からです。それは薩摩も同じです。

龍馬は遅れて京に入ります。

龍馬は桂に向かってこう言います」

「長州がどうした。薩摩がなんだ。武士なんぞ、藩なんぞ滅びるべくして滅びるぞ。藩の体面にばかりこだわるなら、お前たちは日本人じゃない」

桂はこう答えます。

「同盟がならずば長州は滅びるであろう。それでもいい。薩摩が残って日本の為に戦ってくれるなら幸いである。今、長州は朝敵となり周りはすべて敵である。このような弱い立場にたつ長州から同盟を申し入れたなら、それは対等な同盟とはいえない」

それを聞いた龍馬は西郷に会い、西郷を叱り飛ばします。

「いい加減に体面遊びはやめろ。長州は四面に敵を持っている。体面にこだわってはいるが、日本のことを考えていないわけじゃない」

そしてこう言うのです。

「長州が、長州がかわいそうじゃないか」

司馬さんはあの長い「竜馬がゆく」を「この一言を書くためだけに書いた」と、たしか小説の中でも言っていると思います。

これを聞いた西郷を天を見上げ、そして正座し、姿勢を正してこう言います。

「坂本さーの言う通りごわす」

こうして薩長同盟はなりました。ドラマの話です。




人の世が続く限り、裏切り金吾の名は永遠に語り継がれていく

2018年06月22日 | ドラマ
毛利家は、系譜上は鎌倉幕府の大江広元を祖としています。系譜というは実に怪しいものですから、本当のところは私なぞには分かりません。

考えてみれば、これほど日本史に影響を及ぼした藩はありません。

中国地方の毛利家は、最初は小大名、というか豪族でした。毛利元就の時、版図を一挙にひろげ、中国地方全体を領有します。「大毛利」と呼ばれました。

毛利元就の時、周りの国人勢力を次々に「乗っ取り」ます。代表例が吉川、そして小早川です。

関ケ原において、吉川は徳川と密約をし、全く動きません。吉川が動かないので、後方の毛利家本体も動けませんでした。

ここは、ちょっと気になります。吉川が動かなくても、毛利家本体が動けないってことはないのではないか。追い越していけばいい。

合戦素人の私にはそんな疑問が湧きます。とにかく毛利本体、大将毛利秀元は動きませんでした。宰相殿の空弁当なんて言葉も、ここから生まれます。

毛利家はややこしい藩で、この時の当主は毛利輝元です。が大阪城におり、関ケ原にいません。代わりの大将は毛利秀元です。でもこの人、この後長州の「当主」にはなりません。

で、最後の最後に、秀吉の親戚筋で小早川の養子となり、当時は当主だった、小早川秀秋が裏切り、関ケ原は家康の勝利、、、ということは誰でも知っていることでしょう。

この小早川秀秋は当時、金吾中納言と言われていました。「金吾」とは、官職の唐名です。

金吾中納言が裏切ったので、東軍が勝った。このことにあまり異論を唱える人はいないようです。裏切り催促のため、家康が鉄砲で脅したのか、大砲で脅したのか、は時々話題になります。

まあ、東軍が負けたとして、徳川が滅亡したかは、わかりません。徳川には後詰がありました。秀忠です。「秀忠は関ケ原わざと遅れた」という説は、負けた場合を想定したばあい、少しばかりの真実味を帯びてきます。

金吾中納言、その後若死にします。ドラマでは精神がおかしくなって、石田三成の怨霊を見るようになって、乱行を繰り返し、とまあ、こんな感じで描かれることが多いようです。

処刑される直前の三成を「見に行くシーン」も有名です。

ドラマで三成はこう叫びます。「人の世が続く限り、裏切り金吾の名は永遠に語り継がれていく。わしは、死んで鬼となっても、汝を殺さずにはおかん」と。

裏切り金吾の名は永遠に語りつがれたか、それは分かりませんが、小早川秀秋の裏切りは、ちょっと歴史が好きな人間なら知らない人はいません。

さて、徳川と密約を交わした吉川。予定ははずれ、毛利本家は取り潰される寸前までいきます。吉川は己の功績をもって毛利本家を助けてほしいと頼み、実際そうなります。

ところが、毛利本家には「吉川が余計なことをしなければ、毛利が天下を握っていた」という恨みが残ることになります。じゃあ本体が動けばいいのに、という風に私なぞは思います。

毛利はいうまでもなく「長州藩」となります。で、260年後に徳川を倒します。日本史にこれほど影響を与えた藩は、ほかにないでしょう。島津,薩摩藩は、関ケ原では勝敗を左右したわけではありません。長州藩は幕府成立に手を貸しただけでなく、倒幕でも主体となって戦いました。

朱蒙(チュモン)の感想文

2018年06月21日 | ドラマ
チュモン。

一頃、随分話題になった作品です。数年前に録画をして、それをBDRに移してそれっきり見ていませんでした。字幕スーパーだったからです。で、昔のBDRを取り出して見てみました。

チュモンは神話上の人物で、神話上高句麗の始祖です。彼の子供が南に下って百済を作ったという神話もあり、百済にとっても始祖的存在です。

60話ぐらいまでずっと「3人兄弟の後継者争い」が描かれます。正直退屈な感じがしました。早送り、早送りなので、この辺りは真面目に見てません。

最後の20話ぐらいが、高句麗建国で、ここはやや面白い。

なぜ「やや」かというと、この作品は政治性が強い作品で、「朝鮮はひとつ」「敵は漢帝国」が主題になっています。だから基本、チュモンは朝鮮(古朝鮮)の民とは戦わないのです。敵は漢のみ、で、後は融和的態度によって統一を進めます。ドラマとしては、どうも面白味に欠ける気がします。

見ていて心配になったのは、主役の俳優さん。まだ若いのですが、朝鮮民族全体の父みたいな役を演じて、精神は大丈夫かなと思いました。で、ちょっと調べたら、反日活動俳優になっているようです。「なるほど」と思いました。そういう方向にいってしまう、周りがそう仕上げてしまう、その陥穽にはまってしまったなと思います。

もっとも作品には反日はありません。だって時代は一世紀、日本は勿論、倭国、邪馬台国だってなかった時代です。「倭寇」なんて言葉も出てこなかったように思います。「倭人はいた」かも知れませんが「倭国」も「ヤマト王権」もまだない。存在しない「倭国」「日本」に対して「反」の姿勢はとれません。

とにかく反中国というか、反漢帝国という面が非常に強い作品になっています。調べてないけど、きっと中国では放映できないでしょう。

高句麗の本拠地は今は中国です。北朝鮮の上あたりですね。陸地がつながっていると、色々面倒だなと思います。「固有の領土」とか言い出したらきりがない。どこまで遡るのだという話です。

話はずれますが、固有の領土という表現はよくないですね。日本語としてもオカシイ。たとえば尖閣諸島なら明治20年代、1895年ぐらいから、です。どうして明治以来の領土と言わず、固有の領土というのか。いろいろ政治的思惑が隠れてはおりましょうが、不正確というか、あいまい過ぎる日本語で、どうにも変な感じがします。

チュモンに戻ると、これは2006年の作品のようですが、もうこういう「国威発揚的時代劇」は韓国では流行っていないようです。史実すら考慮されず、ファンタジー時代劇の時代になっているようです。「よう」と書いたのは、しっかり調べてはいないからです。それはなんというか、「いいこと」のように感じます。

わたしは「日本人」なのか。「民族」について。

2018年06月21日 | 歴史
「民族の定義」に定説はありません。「よく言われるような仮説」ならあります。

日本民族の「仮説」による定義はこんな感じです。

1、日本に比較的長く住んでいて、日本文化や日本の政治的社会文化を受容している。
2、母語が日本語である。
3、自分を日本人だと思っている(帰属意識)
4、遺伝子レベルで日本人的である。
5.「見た目」がアジア人である。

「1」なんぞは簡単に反論できます。日本に長く住んでいる外国人タレント。中には15歳ぐらいで日本に来て、50年ぐらい日本にいる人もいます。国籍も帰化して日本人。でもいつまでたっても「外国人扱い」です。日本文化に対して学者並みの知識があっても、なかなか日本民族だと認定されません。
「4」もダメですね。遺伝子レベルで「日本人的」なら世界に沢山いるでしょう。例えばフェギアスケートの長洲未来さん。完全にアメリカ人ですが、遺伝子レベルでは「日本人的」かも知れません。それに遺伝子レベルということになると、北方系、中国系、朝鮮系、南方系と日本人ぐらい多種多少な遺伝子をもった集団は世界でもそんなに多くはないのです。

一般には「2」と「3」と、あと「5」が重視されるように思います。「5」は多民族国家「的な」国では全く意味のない定義ですが、日本の場合「単民族的な雰囲気がある」ので、それなりの意味を持つようです。むろん日本人は様々な「人種?」で構成されていますから、厳密にいえば「5」は意味を持ちません。

わたしは「たぶん」ですが、1から5まで全部当てはまります。だからきっと日本民族なんでしょうが、確定的には言えません。民族の定義に定説がないからです。

父は海軍の少尉でした。父系の祖父は職業軍人で陸軍大佐でした。母系はもっときっちりしていて「士族」です。これは間接証拠になるようなルーツですが、聞き伝えですから「あて」にはなりません。

やはり日常生活の上では、「母語」と「帰属意識」と「見た目」で「なんとなく」そう思っている人が多いのでしょうね。宗教が加わる場合もあるのですが、日本人を識別する宗教はありません。「キリスト教を信じているなら日本人ではない」という言葉は成立しないのです。わたし自身は無宗教です。

ここでユダヤ人を持ち出すともっと混乱します。ユダヤ人とは「ユダヤ教の信者」だ、という定義が古くから存在します。だからユダヤ教の信者なら「日本人でも英国人でもベトナム人でもユダヤ人です」となりますが、この表現は論理的におかしい表現です。「ユダヤ人」の定義なぞ、それこそ確定的な説はないので、こういう混乱が起きるのです。

さて、わたしは「日本人」なのか。「日本民族に属している」のか。

その答えは、たぶんそう(日本人、日本民族)なのだろうし、私はそう思っているが、そもそも定義がないのだから、確定的なことは厳密には「言えない」つまり「定義がないのだからわからない」、ということになります。

「イニョン王妃の男」雑感

2018年06月20日 | ドラマ
あまり「真面目には」見てないので、内容には踏み込めないと思います。

韓国では2014年に放送され、ネットの情報が正しいならば、あの「トンイ」より視聴率が高かったということになっています。

まず「イニョン王妃」とは誰なのか。少し韓国時代劇を見ている人なら、誰でも知っている、のかな、と思います。

トンイに出てくる「幸せ薄き王妃」です。白い服を着ている。チャンヒビンと南人派に散々な目に遭わされ、粛宗に見放され、幸薄い蟄居生活をいつも送っている、あの王妃です。

最後は王妃に復帰しますが、病気で6年後に死亡。基本トンイには優しい「いい人キャラ」でした。

で、その王妃に「男がいる」という話かというと、違います。

正確には「歴史上の人物であるイニョン王妃を護衛する男と、現代娘の恋の物語」です。

または「現代時代劇においてイニョン王妃を演じる現代女優と、過去からタイムスリップした、本物のイニョン王妃を守る男の物語」です。

簡単に書くと、イニョン王妃を守る男が、現代にタイムスリップ(過去にも自由自在に戻れる)し、ドラマでイニョン王妃を演じる女性と恋におちるという物語です。

「吹き替え版」があるので、あまり画面は見ないのですが、PCに向かって文章を書きながら、音だけ聴いています。

韓国ドラマは吹き替え版が少ないのが難点です。字幕は疲れるし、画面をずっと見ているのは苦痛です。

このドラマ、色々な局で放送されていて、今はNHKです。CMがない。

第一話を見た感想としては「チャンヒビン役の女優が、美しくない」というところでしょうか。「トンイ」では性格は悪かったけれども美しかった。粛宗が心奪われたとしても仕方ない美があった。

このドラマのヒビンは下品な感じで、どうもいただけません。

もっとも粛宗、必ずしも美に心奪われたわけではないとは思います。西人派と南人派の権力バランスをとるため、王妃をコロコロ変えた感じも強くします。

それより「いいね」と思ったのは、久々に見た韓国現代劇の女性の「とびはねている感じ」です。かつての韓国現代劇の女性は「泣いてばかりいた」印象が強いのです。

男性と対等に張り合い、飛び跳ねている。いい感じがします。現代の韓国社会を反映しているとすれば、さらにいいことです。

これがトンイより視聴率が高い理由は全く理解できませんが、そのあたりを探ると、現代の韓国の本当の姿が見えてくるかも知れません。


薩摩寺田屋事件、志士たちの限界について 

2018年06月20日 | ドラマ
薩摩寺田屋事件、、、坂本龍馬が「襲撃されて生き延びた」のも寺田屋なので、薩摩をつけないと区別がつかなくなる場合があります。

寺田屋に集結し、朝廷および幕府の要人を暗殺し、「島津久光が尊王攘夷の旗もと決起せざるえないようにしよう」「久光を無理にでも自分たちの主張に巻き込んでやろう」とした一部薩摩人を、同じ薩摩人が「上意打ち」した事件です。

この段階での薩摩人志士たちの思想は「尊王攘夷」であり、倒幕を明確に意識していたかというと、たぶんそうではない。せいぜい憂国というレベルだったでしょう。幕府を前提にして、久光の武力によって、幕府を「尊王攘夷」に巻き込む、というのが志士たちの限界だったと思います。「幕府の存在が前提」ですから、倒幕というような思想は持っていなかったと思われます。

そんなに多くの人間が死んではいません。特に二階にいた「にせどん」、若者たちは説得されて、結果生き延びました。

その中に、大山巌や西郷従道もいます。どちらも明治政府の柱となっていく人物ですから、彼らが生き延びたことは、後の世にとって幸いだったと思います。

島津久光は馬鹿ではありません。特に漢学の教養にかけては一流の人物でした。が、時代を読む意識は薄く、あえて時代を読まないようなところがありました。

その後も「力づくで徳川慶喜を政治の場に引っ張り出したり」「生麦事件を起こしたり」と、色々と「やらかす」のです。

徳川慶喜にとっては迷惑な話です。政治はあくまで家臣の仕事であり、将軍家族の貴族である慶喜はかかわらない、それが伝統であり守るべきルールでした。だから「力を背景に幕府を脅した」久光の行動は、慶喜を激怒させます。「薩摩が幕政に介入したことは許せない行動である」、この時点で徳川慶喜は明確にそう思ったと考えられます。

徳川慶喜を首相のような地位につけて、久光自身は大喜びでしたが、実はここでも「やらかして」いるのです。伝統的な江戸幕府の政治体制を内側から崩しています。

が、後年になって考えてみるならば、この政治眼がない人物が、色々「やらかして」くれたおかげで、明治維新は結果として早まったと考えられます。生麦事件の結果、薩摩はさんざんイギリス艦隊に砲撃されますが、そこでやっと久光たちは「列強の恐ろしさ」を認識します。「幕府にまかせていては日本が危ない」ことを理解するのです。

大久保がどこまで計算して「久光を操っていたのか」はよく分かりません。でも大久保のような常識をもった人間ではとてもできないようなことを久光は「やらかして」いますから、やはり久光という「おかしな個性」によるところが大きいのでしょう。

明治になって、久光は自分が「やらかした結果」に気が付きます。そして明治政府に対して大いなる不満を持ちます。が、久光が「自分がやってきたこと」に気が付いた時には、もう既に幕府はなく、廃藩も間近に迫っていました。



今見た夢の話 夢一夜

2018年06月20日 | ドラマ
起きたばかりですが、今見ていた夢の話を記録します。どうせ昼には忘れてしまうからです。なんせ「抑圧された願望」(ユング)なので、すぐ自己抑圧してしまうわけです。ユングが正しいならば。

こんな夢をみた

どうやら大学生です。
初デートをしています。彼女の門限は7時という「お堅い」家庭で、しかも親父が家庭の中で絶大な権力をもっている、と彼女はいいます。
彼女が誰かは覚えていないし、実際の人物ではない気がします。
ところが、いつも利用する駅が「新しくなって変わって」しまっているのです。
そこで僕らは迷います。地下4階ぐらいで迷ってなかなか地上に出られません。
やっと彼女の家に着いた時には7時5分ぐらいになっていました。

5分の遅れなのに、親父が鬼のような形相で怒っています。
僕らはただ「うなだれて」説教を聞いています。
ところがこの親父が何か「言ってはいけないこと」を言います。
どんなことかは覚えていません。

僕は「ちょっと待て」と言います。子供の頃に使っていた巻き舌です。
「お前、今、なんて言った、え、もう一回言ってみろ、世の中には言っていいことと悪いことがある、分かってんのか!」とタンカを切ります。
親父はちょっと驚きますが、負けずに言い返してきます。

僕もひるむことはありません。
「一応年上だから顔立てておけば、好き放題いいやがって、娘を自分の所有物のように扱いやがって、もう許さねえ、お天道様が許しても、この俺が許さねえ!」

と言ったところで目が覚めました。

これに「似た体験」は一度もありません。おそらく「ブラックペアン」の二宮君の巻き舌を見て、「あの言葉が使いたい」という「願望」が表出したのだと思います。

ブラックペアン 6月17日 第九回の感想

2018年06月19日 | ドラマ
ブラックペアンの作者は海堂尊さんです。「社会派」の方ですね。チームバチスタの栄光では「麻酔医の残酷すぎる実態」に目を向けました。そして「ジャネラルルージュの凱旋」では「救命医療の問題」をとりあげます。

ブラックペアンでは、手術における「機械と人間の問題」「医療過誤の問題」に焦点をあてています。また、私たちにはどうでもいいことですが「論文主義」にも一石を投げています。

そういう「社会性」を比較的深く有しているという点において、「ドクターX」とは本質的に違う作品だと思います。もっともこれは人それぞれでありましょう。全く同じと感じる人がいても、別にそれを否定する気持ちはありません。

さて、機械と人間の問題です。

1980年頃、イエローマジックオーケストラが登場した時、坂本龍一が「楽器の音と電子音の戦いが生じることになる」と予言しました。実態はというと、戦いはあまり生じることなく、むしろ「融合」が生じたような気もします。

ブラックペアンにおいても、前回までは、機械と人間、手術機械とゴッドハンドの「対立」が話題とされていました。

でもこの九回をみるかぎり、それは音楽と同じように、「融合」したように見えます。簡単に書くと、手術機械である「カエサル」を、ゴットハンドである渡海(二宮)が操作するのです。一流の機械を一流の医者が操作し、「超一流の手術が実現された」と、ドラマの中ではそう指摘されています。指摘したのは極楽とんぼの加藤さんです。役者として出演しています。

もちろん「ドラマの流れ」は不自然極まりないものです。教授(内野聖陽)の命を救うなら、渡海が最初からメスを握ればいいだけの話です。でもそういう風に自然には流れません。

最終的にはそういう不自然な流れにも意味があることが判明します。渡海がカエサルを操作したことによって、「高階」は論文を完成させ、それが教授の学会での地位を高めることにつながります。

もっとも、よく分からないのは、内野も猿之助も、何故理事長になりたいのか。日本外科学会理事長。理事長になって何を「達成」したいかがあまり描かれないので、単なる出世競争に見えてしまいます。そこはこのドラマのマイナス面だと思います。

「感想」だから「感じたこと」を書けばいいのですが、どうも「理屈っぽく」なっています。

猿之助、というより市川亀治郎、昔から好きなんですが、このドラマでは唯一といっていい「カタキ役」です。ちょっと損してるように思います。

「高階」、小泉孝太郎、演技がうまいとはとても言えませんが、頑張っていることは分かります。話ズレますが「た・か・し・な」または「たかしな!」を脚本家はひそかに流行させたいのかと思います。

でも実際は「ジャマ」の方が受けているようです。

来週は最終回みたいです。ブラックペアンがなぜブラックなのか。それは原作を読んでいない私でも、ちょっとウィキペディアを調べればすぐわかります。でも脚本家は「多少のひねり」を加えてくるに違いありません。ひねってくれないと困ります。ひねってくれないとつまらない。佐伯の体にブラックペアンを仕込んだ感じもしますが、それぐらいではつまらないかな。

「社会派ドラマ?」の割りには「荒唐無稽」ですが、それでも海外ドラマばかり見ている私にとって、日本の最近のドラマの中では、とびぬけて面白い作品だと思えます。



職場ストレス解消法を懐疑的に評価してみる。パート2。

2018年06月19日 | 日記
ストレスに強い人は、こんな人らしいのですが、

1、自分の思い通りにならなくても「まあいいか」と受け流せる性格
2、嫌なことがあってもくよくよせず、すぐに切り替えられる
3、何でも自分に都合良く解釈するポジティブさがある
4、困った時はすぐに人に頼れる
5、趣味を持っていて、現実逃避が上手

「1」と「2」は「ストレスに強いと同じ意味」です。同じことを別の表現で書いているだけ、意味ありません。「3」は「何でも自分に都合よく」では生きている上でもっと困った事態に陥るのではと心配です。「4」「5」は評価できると思います。

逆にストレスに弱い人とは、

1、まじめで、細かいことにもこだわる几帳面
2、一度言った自分の意見は譲らない頑固者
3、自分の意見があるのにはっきり言えず人に合わせる
4、頼れる人が周りにいないと考えて悩みを溜め込みがち
5、すぐに他人の失敗を責め立ててしまう

「3」は他の要素と矛盾しているように見えますが、まあいいか。「5」が面白いですね。他人を責めるとストレスが溜まる。そういえばそうです。

で、解消法なんですが、

1.体を動かす

そりゃそうでしょうね。のんびりと自転車でも漕いで。でもどうやら「有酸素運動」のことらしいのです。忙しくて泳いだり、サッカーしているヒマないわ!と言われたらどうするのか。まあウォーキングなんかは「いい」のでしょうね。でも真面目な人間は「ウォーキングしなくちゃ」がストレスになる場合も多いと思います。文句言ってますが、「体を動かす」には賛成です。

2.泣ける映画、ドラマを見る

「泣ける」が気になりますが、「感動できる」ぐらいなら分かります。実際泣けるシーンを見て「昇華」(精神の解放みたいなことを)することは有効だと思います。全部見るのは大変なので、そのシーンだけ見るのです。

3.紙に書いてみる、できたら客観的に振り返る

紙はやだな、と思います。PCを使いたい。匿名の愚痴日記ブログとか有効。書いても「下書き」にすれば公開されず、あとで「後悔」もしません。でもネットにつなぐと流失があるから、自分のPCのメモ帳かオフィスにでも書けばいいのです。紙は重要ではなく、書くことで自己認知をしたり、認知の仕方を変容させたりすることが大切だと思います。

4.紙をビリビリに破く

ものを壊すという意味でしょうね。有効な感じも受けますが、「紙をビリビリに破っている自分が嫌だ」という気分になりそうな気がします。ということで今実践してみました。特になんということもない気がします。有効かな?

5.仲のいい人と時間を過ごす

そんな時間はない人が多いのでは。仲がよくても、だからこそ「何でも言えるわけではない」場合もある。相手も忙しい。だから「仲がよくなくても、何でも言える人と時間を過ごす。またはメールする」が現実的かと思います。「何でも言える人は仲がいい人だ」ということになると、じゃあ賛成です。

6.家を掃除する

これはそうだと思います。体の運動にもなります。ただ「家を掃除する」のは大変です。終わりがない。だから「他の部屋を倉庫にしても自分の部屋だけは片づける、小綺麗にする。」ぐらいが現実的かと思います。「他の部屋」を犠牲にできない場合は「家を掃除する」しかないと思います。

7.大声を出す、騒ぐ

ライブの応援とかを指しているようです。金がかかります。「カラオケ」ならさほど金かかりません。「大声で歌う」がいいかと思います。できれば一人で。他人がいるとなかなか「バカほどの大声」は出しにくいものです。

8.ぼーっとする

有効かな?私の場合、寝てる時、寝た状態に近い時以外は「ぼーとすること」ができません。絶えず何かをやっているか、考えている。だから「ストレスたまるんだ」と言われても、「できないことはできない」のです。

9.湯船につかる

こりゃまた非常に平凡で、でも「有効な手段」です。「なんとかの湯」とか入浴剤に「こる」のも楽しいと思います。


なんやかんやで私は「非指示的な(うるさいこと言わない)理解者を得る」ことが一番重要と思うのですが、「5」だけですね、それに触れているのは。前も書いたけど、「非指示的な理解者」って意外と「いない」ものなんです。

慶長伏見地震とか加藤清正とか大阪城とか

2018年06月19日 | 歴史
はじめに書いておきますが「城とは天守閣そのもののことでなく、堀を含めた全体を城という」ということは「分かって」います。


さて大阪で大きな地震がありました。M6は十分に大きいですし、人も亡くなっているので「大きい」と言っていいと思います。

慶長伏見地震は1596年のようです。M7.5級の巨大地震で、伏見城の天守閣が倒壊したようです。この時、加藤清正が秀吉を助け出し、朝鮮の役で悪くなっていた関係が改善した、という逸話がありますが、どうやら史実ではないようです。でも、有名な逸話です。

慶長伏見地震の大阪城への影響について、ネットで「ちょっとだけ調べた」のですが、ネットで調べたぐらいでは分かりませんでした。

秀吉大阪城は大坂の陣で燃え、燃え落ちた瓦などはそのあと、地下に埋められ、埋め立ての材料とされます。そしてその上に徳川大阪城が築かれます。

その徳川大阪城も、江戸末期にほぼ焼失します。

で以下は間違いなのですが「そのあと太平洋戦争で焼けて、戦後になってコンクリートで復元された」と思い込んでいました。

それは間違いでした。

江戸末期に焼けて、そこから本格復元はなされなかったようです。ではいつ復元されたかというと、昭和6年のようです。戦前に天守閣が復元され、大阪城公園ができたようです。

なんでコンクリート復元なんだろう、という問題に関しては「科学の時代だったからだろう」と考えていましたが、それも違うようです。

建築基準法の問題で「木造の巨大建造物は建てられなかった」らしいのです。

色々と「間違った解釈を自分でして」、間違いに気が付かないままを信じていました。ほかにも沢山あると思います。

大阪城とは関係のない話ですが、

そういえばコンクリートですら、巨大ビルは禁止されていました。1970年まで、建物の高さは、原則として百尺(31メートル)に制限されていたのです。


近代化をしないことは罪なのか。朝鮮、中国のこと。

2018年06月18日 | 歴史
福沢諭吉が何故「脱アジア」を唱えなくてはいけなかったか。それは中国や朝鮮がいくら待っても「近代化」をなしてくれないことへの「失望」からです。絶望感と言ってもいいと思います。

もし朝鮮と中国がもっと早く近代化をなしとげて、近代的な法制度と軍隊を持ってくれていたら、日本はロシア、ソビエトに対する恐怖に怯えなくても良かったかもしれません。

日本の仮想敵国は明治から冷戦時代まで、ずっと、ロシア(ソ連)でした。

明治時代には恐露病という言葉すらありました。ロシアに恐怖するという意味です。

日露戦争は勝ち(実質的には引き分け)ましたが、その後、ノモンハンではロシアから生まれ変わった新生ソビエトに手ひどくやられます。

日本、朝鮮、中国が団結して、列強に立ち向かう。福沢諭吉や島津斉彬ら、そういう構想を持った人間が日本には少なからずいました。

「明治維新を中国、朝鮮に輸出する」。

そういうおせっかいを日本がやらざるえなかったのは、ひとえに「列強に対する恐怖」からです。

しかしそういう試みはことごとく失敗し、福沢が育てた朝鮮留学生は、あるいは迫害され、あるいは殺され、福沢はついに「脱アジア」を唱えるに至ります。

その後、あろうことか日本が列強の一員に加わり、と誰でも知っている不幸な歴史がはじまります。

西郷は征韓論を唱えたと言われます。彼は征韓とは言わず、遣韓と言っていました。言葉がどうあろうと、「戦争になる」と止められました。しかし「もし自分が死んで、日本と戦争となれば、朝鮮はいやでも近代化をせざるをえない。そして朝鮮にも志士があらわれ、維新が起きるにちがいない」と「そう考えていた」、というのは司馬さんの説です。西郷を随分と「ひいきしたような」考え方ですが、「自分が朝鮮にとっての黒船となる」という意識は西郷にあったと思われます。日本、中国、朝鮮の団結による列強への対抗、これは西郷の師であり主君である島津斉彬が唱えた構想だからです。

その後、長い年月と悲惨な歴史を経て、韓国は近代化、民主化をしました。しかし富の格差の問題はのこり、富裕層が特権階級のようなものになり、それが社会をむしばんでいるようです。

北朝鮮は工業的な近代化はなしたものの、政治の近代化である民主化はなされずにいます。

これは誰の責任なのか?むろん答えはでるわけもありません。また「責任を問うべきこと」なのかも分かりません。

民主化をしないこと自体は罪ではないからです。民主制度なしに「うまくやっている国」は現在の世界にもあります。

日本に責任があることははっきりしています。ただ「近代化をしていてくれたらなら」、日本は侵略できなかったわけで、そのチャンスはありながら、特に朝鮮はそのチャンスを逃してしまった。

朝鮮の人は激怒するような意見でしょうが、「日本が悪い」のは当然のことなので、そればかり言わず「なぜ侵略を許してしまったのか」、内部の要因も考えるべきだと、あえて書きます。

何を言いたいのか。自分でも焦点が定まっていないことを、書きながら感じています。単純ではないのです。

「近代化をなさなかったからいけないのだ」。

そう言い切れれば簡単なのですが、近代化をしないこと自体に責任があるわけもなく、日本だって、アヘン戦争さえなければ(列強への恐怖さえなければ)、太平の眠りの中でまどろんでいたかったのです。「民主化をしないことは罪なのか」「近代化をしないことは罪なのか」。そう簡単に「答えてはいけない問題」だと思います。

難しい問題です。

よく言われる「職場のストレス解消法」を懐疑的に評価してみる。

2018年06月18日 | ドラマ
職場のストレス解消法、こんなことがよく言われます。私なりに評価してみるとこうなります。

1、人間関係が原因のストレスは自分を変えることで解消する

「相手を変えることはできないから、自分を変える」というもので、よく言われます。そんなことが簡単にできるぐらいならストレスは感じません。無理言うなと思います。

2、職場のストレスを解消するには認知する

「認知行動療法」のことでしょうか。「ものの見方を変える」ということです。うーん、たしかに「真面目で公平な人間」にとって、「不真面目だったり」「不公平だったり」する人間は「気にさわる」ものです。しかし実際にそういう人間によって仕事に支障がでている場合は、「気にしない」「認知する」では解消しません。

ただ「自分はちょっと真面目かつ公平にものを考え過ぎるのではないか」と自己認知を変えてみることは、なんとなく有効な気もします。

3、職場のストレスは細かく小さな休憩をとって解消する

小さな休憩、がどう作用するかは分かりませんが、「できるだけ体を休める」ことは重要です。その為には「利用できるものは利用する」ことが大切でしょう。掃除だって金を出せば代行してもらえる時代です。

4、職場のストレスを表面化させるために書く。

これは有効だと思います。日記でもいいし、メールでもいい。書くことによって楽になることはあります。ただし「書く時間などないほど忙しい」場合もあります。

5、頑張り屋さんな人ほど自分のストレスをひた隠しにしてしまいがち。

これはその通りだと思います。

6、職場の友人等に、愚痴をこぼす

愚痴をこぼすこと自体に罪悪感を感じる人がいます。たいていは真面目な人です。しかし愚痴をこぼすことは有効です。ただ「職場の友人」はいかがなものか。信用できるかどうか分かりません。「本当に信用できる人」に愚痴をこぼす、そういう相手をゲットすることは大切だと思います。

7、そういうものだと割り切り、宝くじなど現実逃避のことを考える

現実逃避はうまい方法です。実際には仕事が終わってからの現実逃避。仕事中に現実逃避すると、かえって仕事が増えてしまいます。真面目な人は「現実逃避はいけないこと」と考えがちですが、それは「とらわれ」だと思います。

8、職場のストレスを解消するなら根本的に解決する、対決する。

相手が管理職の場合は、組合を動かしたり、内部告発をしたりして対決することもありうることかと。でも「それで疲れてしまう」ことも多いので、覚悟が必要です。ただ「匿名の内部告発」などは「組織がそれを認めている場合」(きちんとした組織は認めているはず)、有効だと思います。それほど疲れませんしね。卑怯だ、とか真面目に考えないことが大切です。権力者相手ならこれは「やってもいい」ことです。間違った行為ではないのだから。「自分ファースト」でいいのです。それに組織改革につながる希望だって「ない」とは言えません。

なんやかんや書きましたが、最も大切なのは「非指示的な理解者」だと思います。比喩的に書くならば「答えはアンダースタンド」、「わかってる人」を周りに増やすこと、意外と難しいのですけどね。



北条早雲の血脈

2018年06月17日 | 歴史
後北条氏は北条早雲が流浪の浪人の身から一代で作り上げた、なんて書くと「学者さんに怒られ」ます。学説ではそうではないからです。

でも「後北条氏は流浪の身から一代で作り上げた」「齋藤氏は道三が油売りの身から一代で作り上げた」。「研究」なんて無視してそう考えた方が、ドラマとしては楽しいように思えます。特に道三の方は、学者さんたちの「二代で作り上げた説」も、なんだか根拠が薄い気がしてなりません。

さて「武士による政治」。鎌倉幕府から足利幕府に至るまで、中央集権制はかなり薄いですから「武士による政治」という言葉も問題が多いわけですが、まあそういう政治があったとします。

武士のイメージ。これは江戸時代に入ってだいぶたってからのものが、今のイメージとなっています。原型は「暴力で物事を解決する人々」です。鎌倉武士がそうですね。ただ彼らにも「仁義」みたいのはあるようです。今の暴力団にもある彼らなりのルールですね。義経なんてのは「仁義なき戦い」をして、舟の漕ぎ手を矢で射たりするものだから、鎌倉武士に一方では恐れられ、一方では嫌われます。

そういう人々ですから、あまり民政という考え方はしません。ただ富国強兵策はとります。それが時に「民政のように」みえることもあります。また執権泰時は少しばかり民政を推奨しましたが、地頭たちに浸透はしませんでした。

民を多少なりとも大事にしよう、という民政の考え方が広まったのは、島原の乱を経て、寛永の大飢饉を経験してのち、と言われます。

しかし、後北条氏、小田原北条氏は、早くから「民政」の考え方を持っていた、らしいのです。

私は前々からどうして北条氏が秀吉に服属しないで最後まで抵抗したのか、が気になっています。多くは「傲慢さが原因」という風に理由づけされます。

それもあるでしょう。あるでしょうが、「民政」という面からみると、ちょっと違ってきます。

秀吉は百姓上がりですが、同時代の人間がそうであったように、「民政」の考えはあまりありません。惣無事令、あれは領主間の紛争禁止令であって、民政とはあまり関係しません。戦闘がなくなって、結果として民は「ほっとした」かもしれませんが。

秀吉の朝鮮侵略は朝鮮の民を苦しめましたが、同時に日本の民も苦しめました。秀吉を民政主義者とは言えないでしょう。

ところが北条氏は民政主義的なところがあります。そのあたりが一番重要なのではないか。秀吉に最後まで服属しなかったのは、「民政をめぐって両者に大きな考え方の違いがあったから」ではないか。

何かの本にそんなことが書いてありました。これは私としては「なるほど」と思う説です。

日本の情勢も知らず、小田原評定をやって滅んだ愚かな田舎武士、そう描かれることの多い後北条氏ですが、本当にそんな説明でいいのでしょうか。どうにも疑問です。

後北条氏の滅亡も不思議ですが、鎌倉北条氏の滅亡も凄まじいですね。六波羅探題の北条氏も鎌倉の北条氏も、見事なまでに徹底して滅んでいきます。後に「中先代の乱」が起こったことを考えれば、鎌倉の北条高時は逃げられたと思うのですが。

これも武士の美学、滅びの美学で説明されてしまいますが、本当にそうなのでしょうか。

日本の歴史には色々不思議なことが沢山あって、記録がないから分からないことだらけ。

だから面白いわけでしょうが。

芥川龍之介と柳生石舟斎

2018年06月16日 | ドラマ
柳生石舟斎という人は、言うまでもなく、柳生宗矩のおやじさんです。柳生十兵衛のおじいさんですね。「言うまでもなく」かどうかは本当は分かりません。さほどドラマには登場しないし、日本史好き、刀剣好き以外の人間にとっては「なじみが薄い」名前かも知れません。

10年ぐらい前の大河ドラマ。海老蔵さんの「ムサシ」では藤田まことさんが演じました。「無刀取り」で有名ですね。

元祖無刀取り、ではないようです。新陰流は上泉信綱を開祖としてますから、無刀取りの元祖は上泉さん。しかしドラマの世界では「柳生石舟斎の無刀取り」が広く知られています。

流派とか技の問題は、ややこしくていけません。上泉さんの前だって無刀取り的な戦闘行為はあったはずですし。剣の流派のことはよく知りませんし、あまり知りたいという願望もありません。

意外とドラマには「登場しない」人です。藤田まことさん以前になると、テレビ東京の正月の大型時代劇。松本幸四郎さんの柳生宗矩、の中で平幹二朗さんが演じています。私はVHSで録画して何回も見たのでよく覚えていますが、テレビ東京ですから、日本全土の国民の認知度は分かりません。

やっと芥川が登場します。

柳生石舟斎の名を「ドラマの世界で有名にした」というか、お茶の間で有名にしたのは芥川比呂志さんという俳優です。「という」は失礼ですね。有名な方だから。でも私もはっきりと顔は覚えていないのです。

1920年生まれ、で81年に亡くなられた方です。芥川龍之介の長男です。

「春の坂道」という大河ドラマ。総集編すら残っていません。最終回のみデジタル処理されて、数年前に放映されました。

本編52話は、1971年の放映ですから、私はほとんど覚えていません。でも芥川比呂志さんの柳生石舟斎だけはよく覚えているのです。主役は柳生宗矩ですが、宗矩さんのことは死ぬシーンしか浮かびません。でも石舟斎の無刀取りはよく覚えています。家康の前で披露してみせるのです。「鬼気迫る演技」で脇役とも言える「柳生石舟斎の名」を世間に響かせました。「鬼気」は幼少の私の心さえ掴んだようです。ちなみに家康は山村聰さん。映画「トラトラトラ」の山本五十六役の方です。家康がこの方だったのも、不思議なほど覚えています。

芥川比呂志さんの演技があまりに素晴らしかったので石舟斎の名が世間に広まった。

ということは、芥川龍之介がいなければ石舟斎の名は「ドラマの世界では」、今ほど広まらなかったということになる。芥川の息子が柳生石舟斎の名を世に広めた。これがこの話のオチです。

実際は芥川が「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺した時、芥川比呂志さんは7才でした。だから龍之介より母親の「芥川文」さんの努力のたまものだと私は思います。文さんは音楽家のヤスシさんも育てました。芥川が死んだ時の態度も実に見上げたもので、素敵な女性だなと感動すら覚えます。

芥川の文さん宛の恋文が残っています。驚くほど「素直な芥川龍之介」がそこ(恋文の中)にはいて、なんとなくほっとするような手紙です。機会があれば別稿で書きたいと思います。