今日の朝、牛田クリニックの帰路、通りかかった「古民家ギャラリー うした Pカフェ」
を覗きました。
折しも、「第二回 山頭火展」(10月8日~20日)が開催されていました。
「種田山頭火 = 明治15年、現山口県防府生まれ、昭和15年没」
俳人 = 自由律俳句という短い句に描写される。
” 分け入っても分け入っても青い山 ” が私の中で印象に残っている有名な句です。
オーナ-の女性から説明を聞きました。
句友の「大山澄太」が牛田早稲田に住んでいたころに「山頭火」が訪ねて来た時に詠んだ
句だそうです。
山頭火直筆の -このみちー 万年筆書きだそうです。
オーナーが「帯芯に草木染で描いて居られる作品」でした。
早稲田、二又土手は当時、ハス畑だったそうです。
「仏通寺」の作品もありました。
句友、大山澄太が住んでいた「屋敷」は今も現存だそうです。
オーナーからいろいろ聞きました。
久しぶりに山頭火に触れられて楽しい時間でした。
カフェですので、新作との「りんごジュース」を頂きました。
すっきりした美味しいものでした。
を覗きました。
折しも、「第二回 山頭火展」(10月8日~20日)が開催されていました。
「種田山頭火 = 明治15年、現山口県防府生まれ、昭和15年没」
俳人 = 自由律俳句という短い句に描写される。
” 分け入っても分け入っても青い山 ” が私の中で印象に残っている有名な句です。
オーナ-の女性から説明を聞きました。
句友の「大山澄太」が牛田早稲田に住んでいたころに「山頭火」が訪ねて来た時に詠んだ
句だそうです。
山頭火直筆の -このみちー 万年筆書きだそうです。
オーナーが「帯芯に草木染で描いて居られる作品」でした。
早稲田、二又土手は当時、ハス畑だったそうです。
「仏通寺」の作品もありました。
句友、大山澄太が住んでいた「屋敷」は今も現存だそうです。
オーナーからいろいろ聞きました。
久しぶりに山頭火に触れられて楽しい時間でした。
カフェですので、新作との「りんごジュース」を頂きました。
すっきりした美味しいものでした。