goo 自由日記⒉

色んな出来事を載せています、見てくださいね!

ひろしま遊歩100選ガイドツアー(比治山地区散策)に参加する! 2

2019-10-20 19:10:30 | ひろしま遊歩100選ガイドツアー
  13:30
  午後からも続きます。
 ◎ 比治山スカイウオーク
   平成10年3月開通
   段原と比治山山頂を結ぶ動く歩道
 



◎ 富士見展望台
   正岡子規 句碑  → 日清戦争従軍記者正岡子規が、比治山に登り城下の風情を
             句にしたもの   昭和33年3月設置
    ” 鶯の 口のさきなり 三万戸 ”  (明治の頃)
  

 展望台から市内、瀬戸内海の「安芸の小富士」、宮島、己斐方面と大幅に見渡せる。
 


 



 「ひろしま文芸の碑」 書:森戸 辰夫 昭和50年設置
 



 ◎ ABCC
  広島市に設置されたのは、昭和22年で、日赤の一室でスタートし、
   翌年宇品の凱旋館に移動、
   昭和25年に比治山の旧陸軍墓地跡にカマボコ型2階建てを作り、
   昭和26年1月にこの地に再移転した。
   昭和50年から日米共同運営の「放射線影響研究所」となる。
 
 

 

 



  道ばたの黄色い花。
 

  ◎ 陸軍墓地
   明治5年(1872)に、比治山の南を陸軍墓地に指定、
   以来西南戦争以降、太平洋戦争までのお墓が作られた。
   (沖縄県以外の将兵約5000柱)
 
 

 

 

 

 


 「ラッパ手:木口 小兵」→ 死んでもラッパを離さなかった。
 

 


 ◎ 汐見展望台
  「田淵 十風子 句碑」 昭和56年設置
 

 「松田重次郎翁像」 (現マツダ創設者) 
 昭和45年5月設置  作:圓鍔 勝三  書:池田勇人 記:森戸辰男
  


 ◎ 馬魂碑
  馬が人畜に貢献してくれた事えの感謝を表した碑。
  昭和12年5月設置
 

 

 


 比治山は緑も多く、森の様でした。
 「はんてんの木」(ユリノキ)
 

 

 
 ◎ 忠魂暮碑
   「忠魂暮碑」という名称は他に例のないもので、陸軍墓地の取り壊しの時に
   作られ、ABCCの建設時に、ここに移設されたものと思われる。
 


 「ひかり茶屋」廃業しているが、午後集合した地点に戻ってきました。
 



 ◎ 殉職消防組員之碑
  昭和25年11月設置
  水主町の武徳殿前にあったが、原爆で倒壊、移転再建したもの。
 

 
◎ 殉職警察職員之碑
   昭和22年9月設置
 


 ◎ 早速整爾銅像跡
   明治元年三篠町(当時は新庄村)にて生まれる。
   県会議員・衆議院議員・市会議員など
   大正元年農林大臣・昭和元年大蔵人大臣
   なぜか台だけで像がありません。
 

 


 (これよりデジカメ充電切れの為、スマホ画像です)

 ◎ 加藤友三郎銅像跡
   広島県出身の最初の総理(第21代)他に池田勇人・宮沢喜一
   生誕地大手町 (現中電病院南の公園内)
   新設された銅像は中央公園設置。
 


 「さざんか」が咲いています。
 

 


 ◎ 彫刻の小径
   野外彫刻  「ポケット」 作:佐藤 忠良 平成元年3月設置
 

 

 小径となっていますが、彫刻は2体だけで淋しいです。
 

 


 「野外彫刻  「EVE] 作:船越 保武  平成元年3月設置
 


 


  ※ 
  午後 15:15
  最終見学地です。
  比治山を散策しましたが、南部分は立ち木も多く、朝、雨が降っていましたので
  随分と蒸し暑かったです。
  比治山は標高約70mの小高い丘ですが、結構高低差があり、
  スカイウオークは急斜面でした。
  「マツダの創始者、松田重次郎の像」は随分と大きいのに驚きました。
  本社のある向洋方面を見ているそうです。
  野外彫刻を沢山見ました、制作意味が分からないものが多く、現代美術の難しさを
  痛感しました。
  12000歩、7、5kmのスマホの歩数計です。
  皆さんお疲れ様でした         
 ー END ー
  
  
 
  
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひろしま遊歩100選ガイドツアー(比治山地区散策)に参加する! 1

2019-10-20 13:20:40 | ひろしま遊歩100選ガイドツアー
 ひろしま遊歩100選ガイドツアーに参加する!
 令和元年10/19日 (土) 9:30 比治山下集合  15名参加
 
      ~ 比治山地区散策 ~     (No-15)

  <主な立ち寄り先>
 ~多門院~長性院~比治山神社~骨董街~山王神社~御便殿跡~野外展示場~
 ムーアの広場~富士見展望台~陸軍墓地~汐見展望台~彫刻の小径


 朝、大雨が降りましたが15名の参加があり、元気に出発しました。


 
 ◎ 吉祥山遍照寺多門院 
  慶長9年(1604)福島正則がこの地に移築
  真言宗 (広島県真言宗教団)
  ご本尊:毘沙門天王  虚空蔵菩薩
  広島新四国88ヶ所霊場 第54番霊場
 

 

 

 
 新四国88ヶ所霊場の石仏、1番~48番まで確認。
 

 

 

 広島県指定史跡 「頼家の墓」
 

 

 (頼山陽の墓は京都にあり)
 原爆被災説明板 多門院 (爆心地から1,75km)
 


 ◎ 良雲山千日寺長性院
  元和3年(1617)信濃国松本の僧、正誉玄斉和尚より創建
  ご本尊:阿弥陀如来 浄土宗鎮西派
  広島新四国88ヶ所霊場 第55番霊場
  鐘楼門の仁王像あ、霊園にあった樹齢300年楠を使用して、
  原爆犠牲者の供養と世界平和実現記念し、檀徒中西さんが制作「右・阿形仁王」
 

 

 

 絵文字よる般若心教
 


 ◎ 比治山神社
元は黄幡大明神と称し、正保3年(1645)比治山南の谷から現在地に移り
  勝楽寺の鎮守社となる。
  ご祭神:大国主命、他四神
  明治元年、神仏分離の際に「比治山神社」になった。
  
 

 「お宮参り」「結婚式」が行われていました。
 

 


 ◎ 段原骨董街
   かっては全国に名を馳せた骨董街ったが、再開発により昔の面影はない。
 

 

 ◎ 明泉寺
  385年の歴史が伝えられるお寺、(1620年に建てられた。)
  浄土真宗  被爆山門 → 爆心地から1900m
 

 ◎ 山王神社
  正保3年(1646)に、猿田彦大明神を奉斎したのが始まりと言われる。
  平成14年に、奥州藤原家縁の神社る福島県の  ”光照山王神社”の発祥本宮
  であることが、古文書古により判明一段と注目される事となる。
 

 

 御神木 「山王松」の切株。
 


 
 (急坂を上り、比治山御便殿跡広場にきました、イベントが行われて賑やかでした)
 ◎ 御便殿跡広場
  現代彫刻 ”テクテクテク” 
       作:茂上 壽之
  人口の滝 ”壁泉” ポルトガルから運ばれた石で制作
 

 



 「皇太子殿下御展望の碑」(昭和天皇)
 「大典記念」  他・・・
 

 

 


  広島市まんが図書館 → 前身は、青空図書館、平成9年 まんが図書館として開館。
  

  「笛吹少年」 → 作:船越保武  昭和58年2月
 

 
 ◎ 野外展示場
  現代美術館周辺の広場に設置された彫刻群
  「 Head 」 作:フィリップ・キング
 

  「小さな鳥」 作:フェルナンド・ポテロ
 

  「地球電話・広島」 作:岡本 敦生
  

  「根香」 作:空 充秋 
  

  「ヒロシマー鎮まりしものたち」 作:マグダレーナ・アバカノビッチ
 


 ◎ ムーアの広場
   谷貝彫刻 ”アーチ”  作:ヘンリー・ムーア
        昭和62年12月設置
 


 「現代美術館」 立ち寄りませんでした。
 


 ◎ 彫刻の丘
  「安芸の翼」 作:澄川喜一  昭和63年3月
 

  「疾風フラッシュッバック」 作:野田正明  平成23年3月
 

  「私たちの星」(風のサーカス) 作:新宮 進 昭和63年12月
 


 ◎ 雲霓橋
   立体交差点の橋(跨道橋)
 

 


 12:15
 ここで、午前の散策は終わり、各自昼食にしました。
 私たち3名は、近くのベンチでお弁当にしました。
 
    続きます・・・

  
  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする