13:30
午後からも続きます。
◎ 比治山スカイウオーク
平成10年3月開通
段原と比治山山頂を結ぶ動く歩道
◎ 富士見展望台
正岡子規 句碑 → 日清戦争従軍記者正岡子規が、比治山に登り城下の風情を
句にしたもの 昭和33年3月設置
” 鶯の 口のさきなり 三万戸 ” (明治の頃)
展望台から市内、瀬戸内海の「安芸の小富士」、宮島、己斐方面と大幅に見渡せる。
「ひろしま文芸の碑」 書:森戸 辰夫 昭和50年設置
◎ ABCC
広島市に設置されたのは、昭和22年で、日赤の一室でスタートし、
翌年宇品の凱旋館に移動、
昭和25年に比治山の旧陸軍墓地跡にカマボコ型2階建てを作り、
昭和26年1月にこの地に再移転した。
昭和50年から日米共同運営の「放射線影響研究所」となる。
道ばたの黄色い花。
◎ 陸軍墓地
明治5年(1872)に、比治山の南を陸軍墓地に指定、
以来西南戦争以降、太平洋戦争までのお墓が作られた。
(沖縄県以外の将兵約5000柱)
「ラッパ手:木口 小兵」→ 死んでもラッパを離さなかった。
◎ 汐見展望台
「田淵 十風子 句碑」 昭和56年設置
「松田重次郎翁像」 (現マツダ創設者)
昭和45年5月設置 作:圓鍔 勝三 書:池田勇人 記:森戸辰男
◎ 馬魂碑
馬が人畜に貢献してくれた事えの感謝を表した碑。
昭和12年5月設置
比治山は緑も多く、森の様でした。
「はんてんの木」(ユリノキ)
◎ 忠魂暮碑
「忠魂暮碑」という名称は他に例のないもので、陸軍墓地の取り壊しの時に
作られ、ABCCの建設時に、ここに移設されたものと思われる。
「ひかり茶屋」廃業しているが、午後集合した地点に戻ってきました。
◎ 殉職消防組員之碑
昭和25年11月設置
水主町の武徳殿前にあったが、原爆で倒壊、移転再建したもの。
◎ 殉職警察職員之碑
昭和22年9月設置
◎ 早速整爾銅像跡
明治元年三篠町(当時は新庄村)にて生まれる。
県会議員・衆議院議員・市会議員など
大正元年農林大臣・昭和元年大蔵人大臣
なぜか台だけで像がありません。
(これよりデジカメ充電切れの為、スマホ画像です)
◎ 加藤友三郎銅像跡
広島県出身の最初の総理(第21代)他に池田勇人・宮沢喜一
生誕地大手町 (現中電病院南の公園内)
新設された銅像は中央公園設置。
「さざんか」が咲いています。
◎ 彫刻の小径
野外彫刻 「ポケット」 作:佐藤 忠良 平成元年3月設置
小径となっていますが、彫刻は2体だけで淋しいです。
「野外彫刻 「EVE] 作:船越 保武 平成元年3月設置
※
午後 15:15
最終見学地です。
比治山を散策しましたが、南部分は立ち木も多く、朝、雨が降っていましたので
随分と蒸し暑かったです。
比治山は標高約70mの小高い丘ですが、結構高低差があり、
スカイウオークは急斜面でした。
「マツダの創始者、松田重次郎の像」は随分と大きいのに驚きました。
本社のある向洋方面を見ているそうです。
野外彫刻を沢山見ました、制作意味が分からないものが多く、現代美術の難しさを
痛感しました。
12000歩、7、5kmのスマホの歩数計です。
皆さんお疲れ様でした ー END ー
午後からも続きます。
◎ 比治山スカイウオーク
平成10年3月開通
段原と比治山山頂を結ぶ動く歩道
◎ 富士見展望台
正岡子規 句碑 → 日清戦争従軍記者正岡子規が、比治山に登り城下の風情を
句にしたもの 昭和33年3月設置
” 鶯の 口のさきなり 三万戸 ” (明治の頃)
展望台から市内、瀬戸内海の「安芸の小富士」、宮島、己斐方面と大幅に見渡せる。
「ひろしま文芸の碑」 書:森戸 辰夫 昭和50年設置
◎ ABCC
広島市に設置されたのは、昭和22年で、日赤の一室でスタートし、
翌年宇品の凱旋館に移動、
昭和25年に比治山の旧陸軍墓地跡にカマボコ型2階建てを作り、
昭和26年1月にこの地に再移転した。
昭和50年から日米共同運営の「放射線影響研究所」となる。
道ばたの黄色い花。
◎ 陸軍墓地
明治5年(1872)に、比治山の南を陸軍墓地に指定、
以来西南戦争以降、太平洋戦争までのお墓が作られた。
(沖縄県以外の将兵約5000柱)
「ラッパ手:木口 小兵」→ 死んでもラッパを離さなかった。
◎ 汐見展望台
「田淵 十風子 句碑」 昭和56年設置
「松田重次郎翁像」 (現マツダ創設者)
昭和45年5月設置 作:圓鍔 勝三 書:池田勇人 記:森戸辰男
◎ 馬魂碑
馬が人畜に貢献してくれた事えの感謝を表した碑。
昭和12年5月設置
比治山は緑も多く、森の様でした。
「はんてんの木」(ユリノキ)
◎ 忠魂暮碑
「忠魂暮碑」という名称は他に例のないもので、陸軍墓地の取り壊しの時に
作られ、ABCCの建設時に、ここに移設されたものと思われる。
「ひかり茶屋」廃業しているが、午後集合した地点に戻ってきました。
◎ 殉職消防組員之碑
昭和25年11月設置
水主町の武徳殿前にあったが、原爆で倒壊、移転再建したもの。
◎ 殉職警察職員之碑
昭和22年9月設置
◎ 早速整爾銅像跡
明治元年三篠町(当時は新庄村)にて生まれる。
県会議員・衆議院議員・市会議員など
大正元年農林大臣・昭和元年大蔵人大臣
なぜか台だけで像がありません。
(これよりデジカメ充電切れの為、スマホ画像です)
◎ 加藤友三郎銅像跡
広島県出身の最初の総理(第21代)他に池田勇人・宮沢喜一
生誕地大手町 (現中電病院南の公園内)
新設された銅像は中央公園設置。
「さざんか」が咲いています。
◎ 彫刻の小径
野外彫刻 「ポケット」 作:佐藤 忠良 平成元年3月設置
小径となっていますが、彫刻は2体だけで淋しいです。
「野外彫刻 「EVE] 作:船越 保武 平成元年3月設置
※
午後 15:15
最終見学地です。
比治山を散策しましたが、南部分は立ち木も多く、朝、雨が降っていましたので
随分と蒸し暑かったです。
比治山は標高約70mの小高い丘ですが、結構高低差があり、
スカイウオークは急斜面でした。
「マツダの創始者、松田重次郎の像」は随分と大きいのに驚きました。
本社のある向洋方面を見ているそうです。
野外彫刻を沢山見ました、制作意味が分からないものが多く、現代美術の難しさを
痛感しました。
12000歩、7、5kmのスマホの歩数計です。
皆さんお疲れ様でした ー END ー