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色んな出来事を載せています、見てくださいね!

ひろしま歴史街道散策くらぶ(10月散策会)に参加! 3

2019-10-18 22:34:00 | ひろしま歴史街道散策会
 
 さらに続きます。
 ◎ 桐原山 正明坊 品窮寺 (ほんぐうじ)
   仏護寺十二坊の一つであった。
 

 

 


 本堂で「阿弥陀如来」を拝み、境内の「親鸞聖人像」を拝みました。
 


  「水害記念碑」 → 昭和3年の水害についての碑。
  高さ120cmの花崗岩の石柱である。
 

  生け垣も「船形」です。
  地面の「ヒメツルソバ」も広がっています。
 

 


 「菱正宗」 → 可部で2軒目の酒造元。
 

 


 ◎ 中川醤油店 → 大正10年頃、合衆国から帰国して醸造業を始めたと言われる。
  

 


 ◎ 明神社
  ご祭神:市杵島姫命
  江戸時代の初期、可部の豪商・立田屋屋敷神を祀ったのが始まりだと言われる。
  

 

 狛犬は子供を抱いている。
 


 「一等水準点」→ 明治31年、測(量)図に載る海抜21,67m(当時)の水準点
 

 


 ◎ 明神公園 → 舟入堀跡
  太田川の舟運の基地となった船着場で巾2間、長さ10町あまりの専用堀割で
  太田川と連絡。
  

 

 


 「鉄灯籠」 → 可部の鋳物業が盛んであったことを物語る。
 

 


  
  午後、17:15
  最終見学地、日も暮れかかり、雨はやみましたが、「交流会」に行く人と別れて
  可部線「広島駅」行きで帰路につきました。
  以前、回ったところもありましたが、雲石街道をめぐりました。
  12000歩くらい歩いていました。   
  皆さん、お疲れ様でした。
   
                ー END ー

  
  
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(10月散策会)に参加! 2

2019-10-18 16:44:20 | ひろしま歴史街道散策会
  
   続きます。
  ◎ 紫雲山 圓明院 願船坊
   浄土真宗本願寺派
   天保元年(1644)「憎頓」なるものの時に真宗本派に流転。
   延享3年(1746)「聞隆」大谷派本願寺に転流して願船坊を創設、
   明治12年(1879)願船坊の名称は公称となり、現在に至る。
 

 

 

 
 がんす言葉
 ”可部の願船坊にゃ 聴聞が願すか
  願しゃ願すと話が願しようが 願船けぇ願船ので願しようて ”
 

 (子供のころから祖母たちから聞いていました)

 「大文字山」 → 3年に一度点灯される。
 


 雲石街道の古民家の2階の「スリガラス」は珍しい。
 

 蔵の並ぶ街道筋。
 

 「可笑屋」
  可部の街歩き観光の拠点。
 

 一つ目の「折目
 高松山城主、熊谷氏が城下の防衛ために折れ曲がった道路形態にしたわれる。
 

 「趣のある小路」
 

 女優の「戸田奈緒」さんの家。
 


 ◎  金剛閣 勝円寺
  真青院大瀛和上御遺跡
  

 

 

 「木坂文左衛門の墓」
 木坂文左衛門は、幕末、天保通宝(百文銭)の鋳造図り、偽金作り、一人で罪を被った。
 

 「ひげ地蔵」
 

 


 胡子神社 → 市神島姫命、 芸藩志に記載がある。
 (第2の折目)
 

 

 警鐘台跡 → 現在石積みの土台が残っている。 
 (可部貯蓄銀行)芸備銀行と合併して現在の「広島銀行」となる。
 


 雲石街道 (石見銀山へ通ず)
 


 道標 → 標識に「手」があるのは大正時代のもの。
 


 小雨が時折降りましたが、
 まだ続きます・・・


 
 
  
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(10月散策会)に参加! 1

2019-10-18 11:26:30 | ひろしま歴史街道散策会
 ひろしま歴史街道散策くらぶ散策会(雲石街道と可部宿)に参加!
 令和元年10月17日(木) JR可部駅集合後、バス移動  15名参加
   案内人  佐々木卓也 指南役  
 
 散策経路
友貞神社~可部牛馬市跡~願船坊~街並み~折目~圓勝寺~品窮寺~
  明神社~明神公園


 可部駅からバス移動で、
14:00
バス停、可部中学校前から散策です。
 国道54号線 (広島市役所から18km)地点。
 

 
 ◎ 道標
  (謂れは聞き逃しました)
 

 
 古い蔵が沢山あります。
 

 可部、旧雲石街道
 

 ◎ 横川橋
  橋の下は「南原川」
  川の右側辺りを「三入の庄」左側を「可部の庄」と言われる。
 (可部の地名の謂れは、律令制のころ、税を徴収する単位を郷と云い、可部の辺りは
  「漢弁(かべ)郷」と言われていたことに由来します)
 


 何故か、「秀吉五三の桐紋」の蔵。
 

 ◎ 道標 
  旧出雲・石見街道分岐の道標
      (左側、旧石州街道)
 

 旧出雲街道。
 

 高松山 → 高松城跡
 

 ◎ 友貞神社
  ご神体 :市杵島姫命。 
       上中野村の八幡宮だった。
  

 

 そばの神仏習合の「お地蔵さん」
 

 
 ◎ 稲荷神社
  ご神体:倉稲魂命。
  農耕の神、稲荷(ダキニ天)信仰と習合し境内前に牛馬市場あり商人も参拝し 
  繁盛した。
 

 

 「縦長屋」?  (案内人曰く)  
 


 ◎ 旭鳳酒造
  明治初期の蔵、数々の金賞受賞。
  試飲を皆さん楽しまれました。
  「ひやおろし」が人気の様でした。
 

 

 

 

 出雲街道。
 


 安佐北区総合福祉センター内の、「可部公民館」でトイレ休憩です。
 

 

 


 窓の外の向かいの山に「南原ダム」が見えて居ました。
 
    続きます・・・
コメント (2)
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