私がSにいた頃、なんでSがこんなに巨大組織になったのか?の問いには
「ただの宗教だったらこんなに広まるはずがない。
ただの宗教なら医者や学者みたいな頭のいい人は入らないし、国内でこの人数な上、世界の津々浦々に広まるわけはない。これは現実なんだから、受け入れられなくても不快でも、しっかり現実を見て。ただのインチキ宗教じゃないに決まっているでしょ」
と言われた。
でも辞めた人の同じ口が「ただの紙切れだよ」と言っている。
じゃあ「動かしがたい実体験って言ってたあれは何だったの?不治の病が治ったとか言ってたじゃない?
精神的なものじゃなくて、医学的な数値に事実、変化があったとか言ってたよね?」と訊いたら
「たまたまそうなったことで、因果関係が定かなじゃないことをそう決めつけただけ。
人は自分の都合のいいように信じるからね。プラシーボ効果っていうかね」と言う。
「でもS新聞や出版物に、本名も写真も載せて書かれているから嘘じゃないと言ってたよね?」
「いや、嘘よ。嘘っていうか不都合な部分は書かないだけで、使えるところだけうまく編集したり。話盛ってるしさ。平気で捏造もするし。言い逃れできなくなったらなかったことにするし。騙す方法なんていろいろあるよ」
アンチが言うには、こんなふうに見えることが「覚醒した」ということになる。
でも「ただの紙切れ」を「ただの紙切れじゃない」と信じたら、よくもわるくも人生のいろんなことに(人によっては相当の)多大な影響を及ぼした人がいることは、幻想じゃなくて事実である。
「タダの紙」は事実。
でもそれが猛威を振るったのも事実。
日本ではタダの風邪(感染症2類ではなく、5類程度の風邪)だったのは事実。
でもそれが今までにない猛威を振るって、怖がられているのも事実。
覚醒したという頭で、「信じる」ということを再考すると面白いかも。