何かにつて「信じる信じない」で意見が分かれる時。
両者ともが「信者~、鵜呑み~」と言われることを考慮して、
両者ともが、裏も取るなど慎重になって、
両者ともが、自分の頭で整合性も考えるんだけど、
それでも分かれるのは何故?
同じくらいの知能や感性がある人が、同じだけ慎重になって、同じだけ自分の頭で理屈も考えるのに、まっぷたつに分かれるのだ。
ならばお互いが「鵜呑み」とか「自分の頭で考えてない」のではなく、そんなことを言い合っても的外れだ。
私だって、どんなに流暢な理屈を並べられて、文献だの論文だの見せられても、どうしても納得できないことがあるし、
同じように、どんな写真や動画や説明を見聞きしても、全く理解しない人をドン引きしながら見る。
双方が相手を同じように不可解に思う、その正体こそ「波動」ってやつでは?
自分の波動に合わないものは、反発する磁極のように受付ないんだなあと思う。
全く同じ人から全く同じ悪口を言われてるのに、何も感じない人と、再起不能なくらい落ち込む人がいるのと同じな気がする。
波動が違ったらそれは無駄。別世界。