珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

それほどのもんかい?

2023-08-29 | 思うこと
ふつう国や街が攻撃されて、人も建物も日常もめちゃくちゃに破壊されたなんてことがあったら、誰がやったのか明らかにされて、犯人が捜索されて、逮捕されて、メディアに報道されて、ワイドショーが総力を上げて大騒ぎする。
いや家一軒でも、ラーメン屋でも鶏小屋でも、当然ニュースになるよね。

それがだよ?
「彼ら」がやったら、人を殺しても、放火しても、レイプしても、横領しても、自然現象にするか、完全スルーか、別な犯人をでっち上げるかで終わり。

ふつうの社会だったら、自社製品に何か有害なものが一個でも見つかったら、生産ラインを止めて商品を全部回収するのに、「彼ら」は何百万人死のうとガン無視で終わり。

ツッコミは黙殺されるか弾圧される。

だから「オカシイ」と言っている。
ふつうじゃないから「狂っている」と言っている。

皆も「ふつうじゃない」のは解っている。
それが「野放し」にされているのもわかっている。
そんなことはあり得ないのは解るんだけど、あり得ない=自分の概念に収まらないのが苦しいんだろうね。
例えば、幽霊や宇宙人なんているはずないとか、人間に磁石がくっつくなんてあり得ないと信じ込んでいる人は、それらを見ても、何とか自分の概念の理屈を引っ張り出して「おかしくない」に収めようとする。
そこまで必死になるのは、痛みがあるからだろうね。

難しい言葉でいうとこれは「認知的不協和」といって、克服するには人によっては「生きるか死ぬか」らしい。

私が「それほどのもん?」と思うのは、いつもコレ。
だって自分の概念って、そんな神みたいに完全で完成されたもの?
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