Xより
パスツールが ウィルスが体調不良の原因だ!と 嘯いて120年超。
120年も経過しているのに 未だに医師達が 『ウィルス』とやらを 観る事もなく 『風邪』だの『コロナ』だの 診断する仮説世界。
携帯はガラケーからスマホへワープスピード的に進化出来るのに、 ウィルスだけは誰も見付ける事も出来ない。
同感。
単純に考えて、皆がこれほど悩ましく思うウイルス病原体というものが、年月と研究の進歩によって「実は無い」となると、嬉しくなるのがふつうと思う。
その一方で、世の中には、こんな朗報が悲しくて、辛くて、憎くてたまらなくなる人が一定数いるようで、
彼らは、せっかくの人類の覚醒を、何としてもブッ潰して、人類は永遠にウイルスという厄介なものに苦しめられないと気が済まないという、摩訶不思議な人種だと私には思える。
彼らは一応、表向きはそうは言わなくて、
願いはただただ「感染症に苦しむ人を何とか救うこと」で、「人が苦しむのを見ていられない」と言う。
ウイルス学者の宮沢氏や一般の医者も、口ではそう言うんだけど、でもウイルスが実は無いという、一番の解決方でそうなるのはイヤなのだ。
「いくら国民が救われても、ウイルスが無いと確定して、そうなるのはイヤだ」
「ウイルスが無いと確定するくらいなら、国民が救われず、苦しんだ方がいい」
まるでそう思っているように、一番の願いは「ウイルス病原体が在ること」にしか、私には見えない。
医学史を紐解けば、ウイルスの発見の捏造を学ぶことができる。
もともとは電子顕微鏡のない時代 から、想像で作られたソレを「前提として」今も続いているのがウイルス学であって、その後いくらでも検証して訂正することができたのに、それが許されない独特の世界を。
この界隈の人たちの信じ込み方は、宗教でいう狂信のレベルで、自分の教わったことを否定された時のキレっぷりは半端ないですよね。
ふつうの人なら「へえ?そんな情報があるんだ」とまずは、頭をフラットにして両方をフェアに考えるのに、最初から「論破しよう」「やりこめよう」からスタートする独特さからしても。
これは知らないうちに染みついた、強い恐怖心なんじゃないかと思う。
界隈の、「疑うことは悪いこと」「背徳な罪な行為で、そんなことをしたら責め抜かれて居場所がなくなる」みたいな?
私みたいなしがらみのない人間は、よくもわるくも、何を思っても、調べても、発言しても自由。
せっかくなので適材適所と受け止めて、これからも書いていきますよ。