チョイ活という言葉が変に広がったのはいいけど、同時にその解釈も広がって、宗教が宗派によって枝分かれする原理を知るような感じ??
で、それが同志の間はいいけどアンチになるとVSな関係になるのがつくづくも厄介と思う。
が、基本、ユル活がバリ活の活動ぷりというか「バリ活ゆえ」を批判したことはないと思う。
(人によってはあるのかもしれないけど、私はそんなことを書いた覚えはない)
バリ活の方がユル、チョイスを「面倒なことを人に押し付けてお客さんとしてのうのうとしていた」とか「不都合は見て見ぬふりをしていた」とか「たいしたことやってないくせにやってから言え」「やらなかったことがやましかったに違いない」
人によっては最低野郎、身勝手とまで批判することをなぜ?と言っているだけである。
自分の悔いのようなものが、そういうことを任命したり、ハッパをかけたり、指導した上でなくて、末端の同志へ行くことを違うと言っているだけである。
幽霊部員の数を合わせるために新聞を無駄にとったり、読みたいならいいけど、読みたくもない書籍を買ったり、仕事や家庭をおかしくしてまで活動をすることが信心強情のようにされた風潮を批判するのは、熱心に活動する「信仰心」を批判しているのではない。
それが愚直な信仰心だという指導があったのならば、それこそインチキで、私にはそうは思えなかったし、それをやらなかった=信じてなかったと一蹴されるのは、違うと思うだけである。
ていうか、これってバリ活の問題?
個人の良心や価値観の話あって、バリ・ユルは関係ないよね?
手を合わせて祈る人は皆誰でも、ひたぶるな信仰心はあったと思う。
だから今も私は、信仰心を以て在席している会員を、騙されているだけのカモみたいな言い方をしないし、したくないのである。
教団の醜聞やノルマを使った利権のシステムと、信仰心は別だと何度も書いているのはそのためである。
>この同調圧力は凄かったですよー。
ははははw
そうでしたね~
私はもう、おかしなことを言う人はいなくならないと、諦めたというか悟ったというか、そんな感じなんです。
どんな世界に行ってもオカシイ人や悪人って必ずいるわけで、そういう人はいなくならない。
だから要は真に受けなきゃいいということですね。
「××と言われたから従った」と言ってたら、本当にキリがないんですよ。
それにいくら言われても教わっても、自分が「そうだ」と思わなければ心に入りませんよね?
アンチがよく「自分で気づくまで無理」というけど、ならば信者だって「自分でそう思うまで受け入れるなんて無理」だったはず。
だから信じていた人は「人から言われたから」じゃなくて、誰でもない「自分が納得」したんですよね。
人は他人をどうにもできないですから。
今、ワクチンは危険だよと言われていても「そうは思わない」という人には通じない。それと同じですね。
私もいくら言われても、信じられなかったことは信じられなかった。
何もかもを信じる人の方がずっと不思議でした。
いらないチケットを買うのがなんで信心?
人の選挙権に干渉することがなんで信心?こじつけもいいところだ~と。
でも今コロナ対策を見ていると、「こじつけ」に弱い人多いですね。
「室内は換気」と言いながら、「沿道でマラソン観るのもやめてください」とか理解不能だし、それなら「室内の換気が必要」って意味がなくなる。
でもこんなこじつけも、信じる人多いんですよね?
「あれもこれも信心」とか「あれもこれも関連」
とこじつけると、人は持っていかれやすいのかな?
あと、同調圧力に負けない方法は「言っている人は、言うだけ言って責任はとってくれない」と意識することですね。
本当にとってくれないよね。当たり前だけどw
この同調圧力は凄かったですよー。
嫌と言ってもきりが無い程、矛盾やら変な活動やら沢山あって…いくらおかしいと言っても『あなたが変えていけば良いのよ~』で終わっちゃうし(笑)
真面目に考えれば考えるほど、ここには居られないって感じました。
何だかんだ言っても、辞めるのも辞めないのも自分で選んでるんですよね。2世でもそう思います。
ただ、自分の心に嘘をつき続けるって無理ですよね。心身を壊します。
私自身、祈りは心を整える意味で良かったし、教学も哲学的で良かったのに…
変な活動さえ無ければ居られたかもな~(笑)あっ!!師匠のごり押しが既に無理でしたm(_ _"m)
私は組織活動と信仰は別と思っていたので、「あれもこれも信心よ」には乗らなかった。
組織活動は負担のない程度にやって、心のありようとしての信仰をもっている分には、のびのびできると思います。
そうでないと会員が離れるなら、組織もよくない部分は変えざる得ないと思うんですけどね。
私はSは退会しましたが、信仰心がなくなったかというと無くなった気がしないんですよ。
結局今も、一女性部員さんと何も変わらない気がします(笑)
本来信仰なんてそうでないと意味ないですからね。
同調圧力が怖いと思ったのは、そういうものに弱い人がかなり多いと思うこと。それが人の命に関わる様な場合でもそういった事が働いてしまう危険性。そしてその同調圧力がかなりの強さでかかって来た場合ですね。 昨今それを強く感じます。
ありがとうございます。のびのびとやって行きたいです。
>貴女の様な聡明な人が組織にいたら良いのになぁって勿体無く感じます。
ありがとうございます。
私は辞める直前まで、Sの不満もワルグチも言ったことはありませんでした。
ガマンして心に蓋をしてきたこともなかったです。
>私が今、このコロナ禍で怖いと感じているのは同調圧力です。
>組織に置いても同調圧力は確かにあるとは感じますね。
私はS時代でも、辞めた時でも、今のロナという問題でも、共通するのは、同調圧力なんてものには無関係で生きていることです。
本当に全くといいいほど、そんなものは、私には圧力じゃないんですよ(笑)
言われたことに従って波風なく大勢に同調する方が、よほど圧力で窒息してしまいます。
一女性部員さんもそのように、是非、のびのび楽しく信仰されてください。
私はたまにアンチブログを読んでいて、その中でチョイ活とかチョイス活なる言葉が出て来ていたので、何故同じアンチなのにアンチに怒りの矛先が向かうのかが不思議だったのです。
それで海さんのブログを読んで、まだ一部しか見ていないですが
納得しました。
アンチに対する考察や、他色々な物事に対する視点等、感情に走らず客観的に分析出来る人だなぁと思ったので納得する部分が多いと書きました。
勿論創価学会に関しては私は信じているのでその部分は大きく違うと思いますが。 貴女の様な聡明な人が組織にいたら良いのになぁって勿体無く感じます。
良い人達が疲弊したり、矛盾を感じない組織が良いですね。
ただ疲弊はしてもそれを上回る程の幸せをそこに見出している
人達も実際には多いです。
宗教って難しいんですよね。1+1=2の様にハッキリと誰が見ても同じ答えの様なものではないから。
学会の中でもよく内部と外部と縦わけてて内部以外は信じないと言う様な人もいるけど、それは狭いなぁと感じます。
創価アンチでも辞めた人でも、何が何でも学会員を目の敵の様にする人達も。
同じ人間同士もっと仲良くなれたらと思うのですが、色んなアンチやシンパのブログを読んでいると中々難しそうですね。
私が今、このコロナ禍で怖いと感じているのは同調圧力です。
組織に置いても同調圧力は確かにあるとは感じますね。
100人の中で1人だけ残りの99人と違う意見だったとしてもそれをきちんと意思表示出来る人は立派だと思います。 ただその事柄の是非は別ですが。
また他記事読まさせて頂きます。
でも殆どの人は実際にそこまでやっていないんじゃないかなあ?
「支援活動?嫌です」「行きたくもないチケットを買う?嫌です」「無理やりの連れ出し?嫌です」「師匠なんて、そこまでは思えません」「デートで忙しいから役職なんて無理です」全部通りましたよ。
今でもユニクロでも銀行でも学校でも「マスクなんて嫌です」とは言ってますが(笑)、ユニクロも銀行も学校も否定してるわけじゃないし、行きたいから行っている。
全く何も言われないわけじゃなくて、なんだかんだ言われることもあるけど、何というか、「あなたは大好きなんだけど、ここの部分は譲ってくれませんか」という真摯な思いと、伝えたいという意思と、それで受けるものを引き受ける覚悟というのか、そういうものがあると無いでは違うのでは?
それで組織が回らなくなったら?
それこそ職員が考えることですよね。末端じゃない。
>「人のために頑張った」「使われた」という意識がないだけです。
>一女性部員さんの言われている通り、やったことは「ノルマのため」ではなく、「自分のため」と思っていたので不満がないのかも。
そうですね、ノルマと捉えた段階でもう信仰ではなくなってるのではないかと思いますね。私も自分の仏道修行の為に出来るのか出来ないのかが基準でした。嫌々仕方なくやっても意味が無いもの、信仰は綺麗事だけでいかなくては…と思ってました。
>『活動』の一部が仏道修行だと信じられなかった
>チョイ活が信仰心がなかったみたいな事を言われるとちょっと嫌な気分ですね。
これなんですよね。
信仰心はあったし、今もSにではないけど「信仰心」というならある。
「ガッガイカツドウ」に熱心じゃなかったから、信仰心がなかった、軽薄、誠実さがない、身勝手、嫌なことは人に押し付けてぬくぬくとしていた、信用できない、ヤバイ人、浮いた人、危険分子、面倒くさい人…違うと言いたい。
私はチョイ活の代表みたいに思われているかもしれないけど、「人のために頑張った」「使われた」という意識がないだけです。
一女性部員さんの言われている通り、やったことは「ノルマのため」ではなく、「自分のため」と思っていたので不満がないのかも。
今も、社会問題なんか書く時は「自分のため」があるからですね。一見、人のためみたいなことでも、まずは自分の居心地です。
自分の心に違和感がなければ、大変なことにも愚痴は出ない。
それがないことはしません(笑)
誘われると寂しく無いし、お世話され、ちやほやされる集まりが嬉しいから~って風な人ぶっちゃけ居ましたよ。(あくまで印象ですm(_ _"m)そんな人達に向けて言ってるのかな?と…
そういう人はそんな立場が好きでSに居るので、アンチ界隈にはいらっしゃらないんじゃないでしょうか~。なので、覚醒ナニソレ?ってポカーン( ゚д゚)としちゃうと思います、たぶん。
『活動』の一部が仏道修行だと信じられなかったのでチョイ活になってしまった。(上記のチョイスとは異なります)
信じて活動を全うしようと頑張ったのがバリ。
どちらにしても結局辞めたのなら、Sの教えを信じられなかった…ということですよね。気付いたタイミングの差でしか無いと思います。
まぁどんな人が居ても良いんです、仏道修行中でしたから!!上も下もありません(。・ω・)ノ゙♪w
私は2世でほとんど未活でしたが、、ある時真面目に、やるのかやらないのか一度きちんと向かい合ってみようと!!
その結果…簡単に言うと、バリ活になりきる前に(自分比w)頭も心も体も拒否反応が出てしまって、そーいう事なんだなと納得して一切辞めました。それが私の結論です。
だからチョイ活が信仰心がなかったみたいな事を言われるとちょっと嫌な気分ですね。私なりにきちんと向き合って出した結論だからですm(_ _"m)
コメントありがとう存じますd(^^*)
「私はこの信仰を信じているし、誰に言われなくても唱題も沢山したいですし、活動も出来る範囲で頑張りたい」と思っている方が、こんな毒舌ブログに「海の言う事は納得する部分も多い」と言って下さるのは素直にうれしい。
私としては「心の自由のままにいてほしい」と言うしかないですね。
もっとツッコんで、具体的に書いて頂いてもいいですよ。ちゃんと読みます。
何を言われても動じないのがオバチャンの取柄なので(笑)
誰に言われなくても唱題も沢山したいですし、活動も出来る範囲で頑張りたいと思ってますし、やっています。 アンチでも海さんの言う事は納得する部分も多いです。 信仰するもしないも自由です。
バリ活、チョイ活と線引きする人ってその基準って何なんでしょうかね?
その人が現役時代に役職持って頑張っていたとしても、更にもっともっと創価一色でそれこそプライベートな時間も殆ど持てない位にやっている人から見ればまだまだ生温い、チョイ活に感じるかもしれないしね。 そこまで人生を傾けてやっても辞めてない人も多いし、寧ろその方が数的には多いです。
自分が辞めた後にチョイ活がどーのと、怒る人って現役時代には「あいつはあまりやらなくてズルい」と言う様な、会社等で仕事を要領よくやらないで手抜きして上手く立ち回っている人の様に見下していたんでしょうね。
信仰の世界ってそれとは違うと思うんですけどね。私自身は全て自分の為だと思っているし、外に向けての活動も相手の事や幸せを本当に祈ってやるものだと思ってます。決してノルマの為に
やるものではないし。
確かに組織運営上、ノルマ感覚になって疲弊している人達やそうさせてしまっている組織構造に問題はあるのかもしれませんが、同じ組織でありながらも喜んでやっている人とそうでない人とやっぱりいるのですよね。 それと嫌でもNOと言えない同調圧力に弱い日本人の体質も関係しているのかも。私自身はおかしいしと思うことはおかしいと言います。確かに上からの言う事は絶対と、あまり考えない人も結構いるかもしれません。
コロナの事とも似ているのかもしれませんね。
組織に関しては色々な考えがあると思いますが、私にとっては
今のところは純粋に信仰している人達の集まりです。
何だか世界がどんな方向に進んでいるのか、怖いですね。
色々な意味でやはり国民一人一人が賢明になって行くしかないでしょうね。