2025年の2月になってもマスク警察に遭った。
そう、2020年から時が止まっているというか、進めてたまるか(こんなオイシイ話)と踏ん張っている病院の待合室で。
毎度のことで「ルールですから」という説教をおとなしく聞いて、従わなかった。
向こうも「ワタシはちゃんと言いました」という名目が大事なのであって、実際にしなくてもOK。
「立場的に言うだけ言う」と「立場があるだろうから聞くだけ聞く」の両者はこれで平和的にwinnwin🤣
実際彼らは仕事を終えて満員電車に乗り込むと、自分だってノーマスクなんだから、それ以上の意図があるわけでなく。
ちなみに注意してくるのは必ず事務員さんであり、ノーマスクで診察室へ入ってもドクターから注意されたことは一度もない。
真のバリバリは、わかっているのでこのように何も言わないのだ。
これが飛行機が遅れて、他のお客さんに迷惑がかかるなんて場合は、諦めて従いますよ?
別に何の害もないから従わないだけで、当然そこを見る。
自分がどう見られるかなんてどうでもいいけど、他人に迷惑をかけるのはものすごく嫌なので。
もしノーマスクで高齢者に感染させるなら、人に迷惑をかけるのが心苦しい私が、そんなことをするはずがなく。
絶対に大丈夫だから従わないんですよ😆
「全く意味がないから」「しないよりマシほどの意味もないから」「1ミクロンもないから」「ただの無駄だから」しないのです。
ちなみに、根拠はメディアや医者をすっとばしてウイルス学者からです。
文句があるなら「国立感染症研究所」など、「ウイルスを分離しました~」とか言っている方へ言って確かめてください。
そして仮にウソを知った後も「前提としてあることにしてある社会的なルールに逆らえない」なら、それを自覚した上で、これからも頑張ってください。
これを「真のバリバリ」あるいは「ふり」「エア」「大人の処世術」「心に蓋をする」と言葉はいろいろだけどそう言うのです。
これが心を守るか、疲弊させるか、何とも思わないかは人それぞれ。
ただ私の見たところだと、結局後々なんらかのしこりというのか屈折が残る人を多く見たかな…