「タラれば」が嫌いなので今まで書かなかったが、もし私が女子部時代に恋人がS会員のバリ活だったとか、結婚したのがS会員同士だったら、私は迷わず役職を引き受けたと思う。
あくまで私みたいなリーダータイプでも何でもないテキトーな人間が、万が一にでも一声がかかったら、の話だけど。
引き受けたらマジメに打ち出しに従ったかどうかは、それも「タラれば」「もし」だから明言はしないけどね。
引き受けなかったのは、大変なことが嫌で逃げて人に押しつけていたからじゃない。
むしろ私は組織の中でやれることは徹底してやりたかった。
人間関係も苦手じゃなかった。
好きでやっていたからね。
でも相手がいることで、そういう状況というか巡り合わせにならなかったから、自分にはそういう縁がなんだなあと納得させていた。
でもじゃあどうしたら自分のできる範囲で役に立つことがあるのかと、それ以外でできることをまじめにやった。
なるべく誰の世話もかけなようにも気を使った。
何より私は役職者や幹部を尊敬していた。
感謝こそすれ、悪口など言ったこともなかった。
それで今でも「Sにもいいところがあった」とか「あそこはよかった」と辞めてからも言うと、でもこれがアンチの中には不快な人もいる。
そんなのは現実を見ようとしてない偽善者のように言われると、正直傷つく。
いや傷つくというか、悪口を言って怒られるんじゃなくて褒めているのに不快にさせてしまうんだなあ、困惑する感じというか。
でも。
私だって、理不尽なことや心が悲鳴を上げたであろう役職者の苦労を
「させられたとかマインドコントロールって何?」と思っている。
「嫌ならやってないんじゃない?」とガンガン書いている。
たまたま別件だけど、似たような状況で延々と愚痴を聞き続けた経験にうんざりしたからかもしれないけど。
こんなことは本当は書かない方がいいのかもしれないね。
迷う日もある。
ああいうものを見て、「わあ!!」とか「やっぱり~!!」と刺激的に思う人がいるのかもしれないけど、私はそんなのはとっくに興味がないですね。
「うん、さもありなん」という感じ。
不倫だの金だのヤクザだのパワハラだのも全然。
そんなことはどこにでもあることだと思っているし「聖職者」なんて幻想は、私は誰にもどこにも持っていない。
いい人や悪い人なんていうのは、S会員だろうと一般であろうとネット民だろうと政治家であろうと一切関係ない。
教団も、別にどこの企業や団体と変わらない同じ人間の集まりと思っている。
私が興味あるのはそんなことではなくて、単純に「人は純粋に強く信じるものがあったらモチベーションがどのくらい変わるか」ということ。
その対象がたまたま知っているSでもいいってこと。
これはアンチとかシンパとかいうのと全然無関係なジャンルというか…上っ面だとか現実を見てないとか、バリ活とかチョイ活とかとも関係ない話なんですよね。
S=シンパかアンチという話ではなくて、信じるとか祈るということで見ている話なんですが、人と噛み合うのは難しいので、今後はあまり人と絡まず自ブログでまた書いていきたいと思います。
もはや自分だけの人生ではないし、妻や義父母に対して果たすべき責任というものがあるし…なかなか難しいです。
>いい人や悪い人なんていうのは、S会員だろうと一般であろうとネット民だろうと政治家であろうと一切関係ない。
教団も、別にどこの企業や団体と変わらない同じ人間の集まりと思っている。
その通りですね。
良きにつけ悪しきにつけ人に影響を受ける事はあったとしても、最終的に信仰や人生と向き合うのは自分自身であり、頼るものは自分の感性しかない。他人がどうかは関係ない事です。上の話と矛盾しているかもしれませんがそのようにも思います。
>私が興味あるのはそんなことではなくて、単純に「人は純粋に強く信じるものがあったらモチベーションがどのくらい変わるか」ということ。
私の場合は、といってもまだ3ヶ月ぐらいなのでアレですが、モチベーションは確実に変わったと言えますね。職場でのいろんな事に対して流されにくくなりましたし、明日も負けないぞ、今日も負けないぞと思えるようになりました。信仰してなかったらそう思わなかったかどうかはわかりません。
※これらは宣伝でも勧誘でもないので、あくまで1データの提供とご理解ください。海さんがそういうタマではない事も重々承知しております(笑)
解ってないわけないでしょう(笑)
※そうではなくて、私はそれとは別に「人は純粋に強く信じるものがあったらモチベーションがどのくらい変わるか」という部分のみに注目してるんです。
この部分に単純に興味があるんですよ。
これは宗教を信じる人に特化した部分で、これに関してはSがどう、どこがどう、組織のシステムがどうとかと切り離して見てるんですよね。
Sがどうあれ、本当に信じている人、信じている時にはこの部分は否定できない現実ですよね。
でもこういうことを書くと「いっしょくた」に見られるんですよ。
「Sにもいいところがあるなんてふざけている」「それを上回るダメなところがあるから、そんなの認めてはいけない」「やめたくせにまだSに執着してるじゃん」などなど。
噛み合わないのはここで、こういうのは本当にめんどくさい。なかなか伝わらないし。
まあ人にとってはどうでもいいんでしょうけど、誰も書かない「ここに」私はただ関心があるんです。
>職場でのいろんな事に対して流されにくくなりましたし、明日も負けないぞ、今日も負けないぞと思えるようになりました。
こういうモチベーションって大事ですよね。
宗教を信じる以外でも、こういうものがあればいいですけどね。
>海さんがそういうタマではない事も重々承知しております(笑)
私はこういう部分を絶対バカにしませんよ。
自分はそれは、宗教ではないけど「あります」
またおいおい書いていきたいですね。
それからこれについて書きましょうか。
以前レモンさん活動をやめられた時、支部長という責任職にあったご主人様の顔を立てていわゆる「脱会手続き」をされなかった。
そんなもん世間的にも法的にもなんてことのないSの勝手な事情のもの。本人の中で終わっているものを、わざわざ波風を立てて強行するものでないという話に、私はすごく納得しました。
これは私のパートナー外部だったために、私が役職を受けず、夜も出歩かず、お金も出さなかったのと同じなんですよ。
でも信仰心は本当に狂信といっていいくらいだったんです。
役職のめんどくさいことを人に押し付けたのでは決してなかった。
そりゃおかしいと思うことはしなかったし、ヘンな指導も真に受けなかったけど、「チョイ活のくせに」とバカにされるような態度もとっていなかったつもりです。
家庭を壊してまで強情なことをやるもんじゃない。
そんなことは御書だの教義だの教学試験何級だののお勉強じゃなくて、感覚でわかるもの。
「いや幹部こう言われた」「魔だとナンチャラに書いてある」なんて言い出す人は、言っちゃわるいけど純粋とは違う、それこそ頭を動かしてない人と思う。
人と折り合いをつけるのは、人なら当たり前のことですよね。
今はリスタートしたてのヨチヨチ歩きですが、一応私にも「バリ活」だった時代が15年くらいはあったんです。その間いろんな経験をさせていただきました。実家は四者の地区拠点と男子部の部拠点として使って頂いていたので、もはや逃げ場はなかったですしね(笑)
私には壮婦の苦労はわかりませんが、自分の15年を振り返ってみても、チョイ活(とても嫌な呼び方ですね)の方をバカにしたり、役職や苦労を押しつけられたなどと感じる事は一度もありませんでした。
全ての部員さんを先生からお預かりした責任があると心から思っていましたし、私だけでなく周りの先輩や仲間も同じ思いで活動してきたという確信があります。部員さんが心を開いてくれたり、会合に出てくれたりした時、めちゃくちゃ嬉しかったですよ。バカにするなんてあり得ません。
私の知ってるSとはそういう所で、だからこそ戻ろうと思えたんだとヨチヨチ歩きの今でも思っています。
>家庭を壊してまで強情なことをやるもんじゃない。
そんなことは御書だの教義だの教学試験何級だののお勉強じゃなくて、感覚でわかるもの。
その時代に、奥さんが信心反対だった地区リーダーさんがいました。当然会合には出られたり出られなかったりでしたが、今同じ立場に立ってみて初めてその人の大変さや偉さがわかった気がしています。
信仰のための人生ではなく、人生のための信仰でなければ何の意味もないと思っていますね。