雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

北国街道 第1回 追分宿から海野宿 2日目

2024-10-06 21:36:06 | 北国街道
9月26日 北国街道 第1回 2日目
8:00 ホテルをバスで出発
 
 
前日の歩き終わり 
小諸城跡から歩き始めます



100名城の1つです
 
 
東海道・中山道
一緒に歩いた街道友
毎月会ってる感じです
親戚より頻回に会ってるよ
 


城内の大きなケヤキ
 
 
有名な藤村の碑
小諸なる古城のほとり・・・です
 
 
展望台からの千曲川

 
懐古神社
 
 
小諸宿 脇本陣


青木一里塚
 
 
雷電爲右衛門の碑
江戸時代後期の力士で
身長197cm・体重170キロの巨漢で
無敵の強さを誇った力士だったそうです

 
牧家一里塚
 


気持ちの良い街道
北國街道を歩き終えた方々が
皆さん、とても良かったと言い
是非歩いてとお勧めしてましたが
1回目から、この景色を見ながらの
歩きは気持ちが良いです
 
他の街道は
歩き初めの何回かは
国道わきを排気ガスを吸いながら
ひたすら歩いたりしますので
1回目からこの景色の良い道を歩けるのは
感動です
 
 
剣持道祖神
男神と女神を石に刻み
色彩を加えている
 
 
お昼ご飯
1日目のお昼カラーライスも
大盛りでしたが
この日のお蕎麦も大盛りでした
大きなざるに山盛りです
 
 
勝軍地蔵
武装して馬で駆ける地蔵尊は
善光寺地蔵と刻まれており
善光寺信仰がうかがわれます
 
 
田中宿
1742年の大洪水で
残った家がたったの29軒という
被害に遭い宿場の機能を失い
さらに1867年に
大火に遭った悲劇の宿場との事
江戸の面影を残す風景は少ない
 


白鳥神社
北国街道 第1回の2日目はここで
歩き終えました。
 
ここからバスに乗り
軽井沢駅に向かい
皆さんは新幹線で帰って行きました
私は軽井沢から車で帰ってきました
 


次回は海野宿から歩きます
白鳥神社から少し先の街道を
見ることができました
 
宿場の原風景が残っている
なかなか感じよい街道みたいです
次回第2回目が楽しみです
 
今回の参加者30名!
これねぇ~~
多いわ・・・
30人でぞろぞろ歩くの大変です
 
トイレだって大変よ
コンビニの1個しかないトイレに
長い列を作るんですから
 
マックス20名くらいにしてもらいたいわぁ~~
同じ行程のツアーをもう1本
出してほしい・・・
 
コンビニトイレに並んでいたら
私の前にいた方・・・
話しかけてくれたのよ
 
「私ね 86歳なの・・・」って
うえ・・・
まじですか・・・
 
お連れの方は87歳だって
すごいなぁ~~
 
実家のボケばあちゃんと幾つも
変わらないわ
 
デイサービスに通う老人と
街道歩きする老人は
どこがちがうんだぁ~~
 
そもそも細胞が違うのか???
 
コロナ罹患・食中毒・手首骨折と
トリプル災難に見舞われたわたいは
2か月半もろくに体を動かさず
の2日間の街道歩きで
今回はなんだか
すごく疲れてしまって
翌日はふくらはぎ・太ももが痛くて
ロボットのように歩いていました
 
あの86歳87歳のお二人は
どのように過ごされているのか
気になりました
 
次回、北国街道歩きでも
ぜひ、お顔を拝見したいと
思っています
 


 
 


 


 
 
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北国街道 1回 追分宿〜海野宿 1日目

2024-09-30 12:16:45 | 北国街道
5年9ヶ月かかって、5街道を制覇し
街道歩きは終わりにしようと
思っていました
 
歩く中毒、ある中、仲間が
北国街道が良かったと・・・
絶対歩いたほうが良いと・・・
すすめるのよぉ~~
歩いてみるか・・・北国街道ってことで
 
9月25・26日 1泊2日で歩いてきました
 
北国街道は
中山道追分から善光寺を経て、越後の城下町高田までを言います
 
高田からは加賀街道が分岐します
金が、佐渡から、江戸へ運ばれる、黄金の道でもあるため
出雲崎までを北国街道とすることが一般的なようです
北国街道は、庶民の信仰の道で、善光寺道とも呼ばれているそうです 
今の国道18号線がほぼ本筋に沿って通っており、
信濃鉄道上信越自動車道がこれに並走しています(北国街道を歩く、岸本豊著 コピぺ)
 

10:10 軽井川駅

軽井沢駅からバスにて
北国街道と中山道の分岐点にあたる「追分の分去され」まで向かいます
 


北国街道と、中山道の分岐点にある分去れの碑


左は中山道、京都へ向かう
右は北国街道、越後方面に向かいます
中山道を歩いている時は、この分去されを左方向に歩いていきました
懐かしいね・・・
 
この日はここからスタートし
右に向かいます
終点の越後高田まで6回に分けて歩きます

 
 
長屋門のある高山家で明治天皇が休息されているので
明治天皇行在所跡の碑が残っている
街道歩いていると、この明治天皇の休息場所をたくさん通ります。
類似の日は全国に300カ所余りあるんだって。
昭和10年頃に多く建てられたようです。
 
 


柵口神社 (ませぐち神社)
塩野牧の入り口に馬の柵を設けていたので
ませぐちと読むそうです。
読めないわぁ~~

平原の松
加賀のお殿様にも褒められた見事なマツ
小諸市保存樹木のカラ松
りっぱだわぁ~
 


唐松の一里塚
江戸時代は900mのカラ松並木があったらしい・・・
小諸宿には平原・唐松・青木一里塚の3か所があったが
現存するのはここのみ
 


高浜虚子旧居
俳人高浜虚子が4年間疎開していた時の旧居
 
 



小諸宿
小諸城を中心とする江戸時代の城下町であり、北国街道の宿場町でもあった
街道を7カ所で曲げ、敵の侵入を防ごうとしたが、
戌の満水による土石流は、
防ぎようがなかった

 
海応院
上田合戦で、足止め状態の徳川秀忠の大群は、
住職の調停で休戦し、関ヶ原へ急いだ
戦いには間に合わなかったが、
秀忠から送られた下馬札があるそうです
この寺は馬に乗ったままでは、通れませんよ
下馬札があるから
私達は歩いているのいで大丈夫です
この寺にも立派な唐松がありました
 
 


島崎藤村旧居地
明治42年小諸塾の教師として召喚され、数々の文学作品をこの地で執筆
近くに新妻登美子が使っていた井戸が残る
 
藤村も7年間の小諸生活は
私にとって一生忘れることのできないものだって
言ってたそうです
 
小諸城跡
城下町より下に城がある
珍しい穴城で、島崎藤村の詩によって広く知られている。
 


北国街道 第1回 1日目はここで終了
 
この日の夕食は、ホテル近くのこのレストランでハンバーグ



この日は、30名の参加者
五街道のうち、どこかでお会いしたような顔見知りの方ばかりで
まるで同窓会のようでした
 
皆さんガツガツといろいろな街道を歩いているようです
新潟高田まで6回のツアーです
真冬は寒くて歩けない地域なので
1回から3回まで年内に歩き
3月から再び残りの4回から6回までを歩く予定となっています
また、楽しい街道歩きの始まりです

 
 


 
 


 


 
 
 


 
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