雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

山手線一周歴史探訪の旅 7回 渋谷〜五反田

2024-12-16 18:22:19 | 山手線一周 ウォーク

山手線1周歴史探訪の旅
第7回、渋谷駅から五反田駅まで

11月30日
 
9:30 渋谷駅集合
ハチ公、銅像前に、外国人の列
記念撮影待ちの列らしい
なんか、日本のおじさんが1人で写真撮ってあげてました



飼い主の死後、10年間にわたって、駅で帰りを待ち続けた姿が話題となり
駅前に銅像が立ったそうです
記念写真撮ってる外国人の方々、こんな物語を知っているのでしょうか?
 
東福寺
銀杏がきれいに紅葉していました
ビルを借景のお寺
これは、これで現代的でいい感じです
 


氷川神社
埼玉県の氷川神社から勧請したものと推定されます
渋谷区一帯鎮守社
 


塙 保己一(はなわ ほきいち)
盲目の学者で埼玉県本庄の出身です
こちらに版木が保存されているようです
今回は中には入りませんでした
 


福昌寺
寺の敷地内に
阿弥陀石棺仏があります
石棺仏とは
古墳時代の石棺を転用し、そこに仏像を掘り込んで、
路傍に立てて、庶民の礼拝の対象としたものだそうです
 


庚申橋供養塔
 

恵比寿駅前
 


中田喜直の住居跡
小さい秋見つけた
めだかの学校
夏の思い出・・・とか作曲した人だって



恵比寿ガーデンプレイス
平成6年、札幌ビール工場跡地が水と緑の街をテーマに再開発され、
オフィス・住宅・ホテルレ・ストラン・・美術館など
様々な個性的な施設が店舗が立ち並ぶ街が形成されています
 


イチョウが綺麗
絵になるなぁ~~
歩いている人みんな綺麗に見えちゃうのよね

 
でたぁ〜



一年に一回この時期に登場するらしい
バカラのオブジェ
バカラのグラス1個、数万円だから
この数となると
いったい、おいくらじゃ~~
 
先日、横浜で一緒に飲んだ旧友
バカラの食器たくさん持ってる
花子が結婚するときは
祝いにくれるって、言ってたよなぁ~~
覚えとるかいな
かなり、酔っ払っていたからね
あとで、確認しておこう(*´艸`*)



さて、この日の昼食は
恵比寿ガーデンプレイスタワーで・・・
 
 
遠く富士山も見えました



おでん定食でした
関東の人間のおでんのイメージカラーは
茶色なんですが
なんとも品の良いカラーでした笑笑

 
田舎者なんでタワー内の
食事は高いかと思いましたが、それほどでもなかった 
以前、子供達と恵比寿ガーデンプレイスには
何度か来たことあるんですが
レストランが探せず結局
フードコートみたいなところで
食事したけど
たくさん注文したので
お金使った感じでした
今度、このタワーのレストランに行こ~~っと
 


大円寺
江戸初期湯殿山の層が目黒に祈願、道場を開いたのが始まり
 


八百屋お七とその恋人吉蔵ゆかりの地
江戸本郷の八百屋の娘が
恋人に会いたい一心で放火事件を起こし
火刑に処されたという少女の話
文学や歌舞伎・文楽など芸能において
諸作品の主人公になっている
 
お七の年齢も放火の動機も処刑の様子も知ることはできず
お七の家が八百屋だったかどうかも確実ではないと
ウキペディアに書いてあります
物語は後付けなのかな
講師の先生の説明が面白かったです



大鳥神社
創建は、806年と伝わる区内最古の神社。



目黒のお酉様と呼ばれ「酉の市」で有名
商売繁盛・開運招福の神様

 
竜泉寺(目黒不動尊)
古くから、目黒の不動様として親しまれてきた

 
関東地方最古の不動霊場で、江戸の町を鎮守する五色不動の筆頭でもある



成就院


 
疫病の仏として、人々の信仰を集めている
 
4月から歩き始めた
山手線1周歴史探訪の旅
来年3月でゴールです
 
12月7日に歩いた
第8回がまだブログに書けてない
忘れないうちに書かなくちゃ
 
あとで、あとでと思いつつ
街道歩きブログも書けてない所
多々あります
 
時の立つのが早い早い
 


 
 

 
 
 
 
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山手線一周歴史探訪の旅 6回目 新宿〜渋谷

2024-11-02 10:46:31 | 山手線一周 ウォーク
10月26日
山手線1周歴史探訪の旅 6回目
新宿駅から渋谷駅を歩いてきました
 


9:30 新宿南口集合
毎回旅のご案内が送られてくるんですけどね
集合場所 JR新宿駅(新南)って
書いてあったのよ
カッコ内の新南って
新宿駅南口って
勝手に解釈したのよ
都内人じゃないもの新南口っていう
改札口があるって
知らんかったのよ
 
そんで30分前に南口に着いたのですが
旅行社の旗が見当たらない
なんで・・・
会社に電話したわ
そんだらね
南口でないって言いうのよ
焦ったわぁ~~
駅員さんに聞いてバスタ新宿の裏の方に
新南口っていう改札口を教えてもらって
集合時間ギリギリにつきました
 
新南じゃわからんわ
旅行社のご案内が不親切だわ
新南口まで書いておいてもらわないと
 

天龍寺
静岡県の天竜川近くにあった寺が前身
家康側室のお愛の方の実家菩提寺
 
新宿追分
江戸から西に向かう際の甲州街道と青梅街道の分岐点

 
新宿御苑
環境省が管轄する国民公園
添乗員さんが一人一人個別に入場券渡しました
めんどくさいことしてるなぁ~~と
思ったら年齢によって
入場料違ってた・・・
65歳以上はちょっとお安い
嬉しいような・せつない様な・・・



江戸時代は内藤家の下屋敷
維新後は東京大学農学部
明治は皇室の庭園として「新宿植物御苑」
戦後は国民公園として一般公開
 
新宿のビルがまったく見えない
都会の真ん中とは思えない


旧御涼亭(台湾閣)
台湾在住の邦人から寄贈されて物だそう
 


プラタナス並木
 


整形式庭園では秋のバラが見ごろでした
 

昭和天皇の崩御時は
大喪の礼が皇室の行事としてここで
行われたそうです
 


玉川上水
多摩川から助水四谷大木戸までの43キロ
導水
江戸市中には石樋や木樋などで排水していたようで
こんな感じだったようです
 


生受院
以前会津藩松平家の菩提寺

新宿2丁目
話にはよく聞いてましたが
ここなのねぇ~~
昼間なのであまり人はいませんでしたが
それでも、見るからに男性だけど
スカートはいてる綺麗な人を???
何人か見ました
夜はどんな感じなのかなぁ~~

 
 
昼ごはん
半なまのトロトロ卵が美味しかった
 
玉川上水水番所
江戸の広範囲に排水する水道管のスタート地点



駿馬塚の碑
家康の家臣だった内藤家が
馬で一息に回れるだけの領地を与えると
命じられ
南は千駄ヶ谷
北は大久保
西は代々木
東は四谷を一息で駆け
誇大な領地を拝領したそうですが
その駿馬は走り終えた後そのまま生き絶えてしまった
そうで
その馬の功労を祀るために塚を建てたそうです




千駄ヶ谷・代々木駅を通過して


明治神宮
明治天皇と皇太后の神霊を祀る神宮

結婚式やってたよ
たくさんのギャラリーに見つめられての
結婚式だよ
 
この日は七・五・三祝いの可愛い子供さんも
たくさんいました

原宿駅
昔の原宿駅の駅舎に戻すみたいです

 
代々木公園
代々木の原と呼ばれていた
江戸時代は大名の下屋敷があった
 
維新後は茶や桑の栽培
戦後はアメリカ軍に接収され
兵舎や家族用宿舎からなる
広大な軍用地
 
昭和39年 東京オリンピック開催に際し
アメリカ軍宿舎移転費用を
日本が全額負担することで返還された
 
 
土曜日だったので
家族ずれや犬のお散歩など
たくさんの方がいました
この公園犬のお散歩OKなのね
それにしてもすごい数のワンちゃん達でした
 
 

なんだかイベントやってたようで
屋台がたくさんありました

 
渋谷の街に出たよぉ~~
ハロウィンを控えて
こんな風な幕がいたるところに・・・
渋谷はハロウィン休みます・・・って
今年は大きな混乱はなかった様です

 
有名なスクランブル交差点だよぉ~~
外国の方交差点の真ん中で写真撮ってます
上から写真撮れるポジションもあるみたいだね

 
この日のゴール
渋谷駅に到着しました
このお日のツアー参加者11名でした
よかったぁ~~
少なくて・・・
いつものように30名近い参加者だったら
迷子になってたわ



ハチ公さんの周りも外国の方でいっぱいでした
次回は渋谷から五反田まで歩きます
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
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休日おでかけパスを使って

2024-10-26 07:17:00 | 山手線一周 ウォーク
本日、
山手線一周歴史探訪の旅
6回目 新宿〜渋谷までの旅です

大人の休日クラブの運賃、
3割引きは、片道100キロ以上ないと
使えません

最寄駅から新宿まで83キロしかなく
3割引きを受けられず、
普通運賃で行こうと思っていましたが
駅でこのポスターを見ました



今日は休日やん!
これ使えるんと違う?
と思い
新宿までの往復の普通切符は
おいくらですのんと計算してみた!
片道1518円
往復3039円
てことは
休日フリーパス
2720円の方がお得意ですやん!

券売機で買えるらしい!
年寄り田舎者のわたいは
この券売機とやらが
なかなか曲者で
買えないんですわ
結局、緑の窓口なんて事が
これまでにもありましたので
ドキドキしながら券売機の前に!

お得な切符って画面がすぐに出て来て
簡単に買えました。
よかったよかった




これで、都内のJR1日乗り放題みたい!
都内でガツガツ遊ぶには、
お得ですわ




「休日おでかけパス」とは、
東京近郊のフリーエリア内の
JR線普通列車(快速含む)普通車自由席、東京臨海高速鉄道線(りんかい線)全線、東京モノレール線全線が
乗り降り自由のきっぷである
     説明文コピペです。

私は新宿往復なので
たったの319円のお得です
が、お得は嬉しい!

都内住みの街道歩き友は、
10円でも安い路線
安いチケットを求めて
移動してます。
お得は大事です。

そんで、私がいつも電車に乗る前に
利用する駅のトイレ!



ご利用していただきの
しての部分が、ボールペンで
消されています。

正しい日本語じゃないんだろうね
許せない人が
多分、消したんだと思います。
国語の先生かな?
随分前から、この張り紙です
毎回、クスッと笑顔になってしまいます。
いつになったら、
訂正された張り紙になるのかと
楽しみでもあります。

今日も元気に新宿から渋谷まで
歩いて来まぁ〜す。

行って来ます!

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山手線一周 5回 目白〜新宿

2024-10-16 21:08:49 | 山手線一周 ウォーク

10月6日

山手線1周の旅 5回目
目白から新宿まで歩いてきました

山手線1周の旅と言っても山手線の路線沿いに
歩くわけではありません

山手線周囲の歴史探訪ウオークですから
周辺を歩きながら目的の駅に向かいます

この日は目白駅に集合
高田馬場、新大久保周辺を歩きなが
ゴールの新宿駅に向かいます

9:30 目白駅集合

金乗院(目白不動尊)
江戸城鎮護のため江戸城の四方に不動明王像を配置したそうで
目黒・目白・目赤・目青の4つの不動尊に
家光が目黄不動尊を加え5つの不動尊になったそうです

五色は目にあるのではなく
東西南北中央の五方向を示しているそうです

目赤不動産は文京区を歩いた時
お参りしましたが
残る目黒・目青・目黄不動尊は山手線沿いにあるのかな

 


南蔵院
室町時代開山の古いお寺です
3代将軍家光が度々訪れていたという
記録があるそうです
明治時代、三遊亭圓朝創作の怪談
「乳房榎」ゆかりの地との事
 


山吹の里の碑
ここ当たり一帯は太田道灌の「山吹伝説」にちなんで
「山吹の里」と言われています
 
山吹伝説
太田道灌が狩に出掛けたところ、雨が降って来たので
近くの農家に雨具である蓑を貸してほしいといったところ
中から出て来た乙女が山吹の花を1輪差し出したそうです
道潅は意味が分からず
怒って帰り家臣にその話をしたら
「七重八重 花は咲けども 山吹の 
       みのひとつだに なきぞかなしき」
っていゆ後醍醐天皇の王子が詠んだ和歌を知らされ
 
その娘は蓑一つもない貧しさを
山吹の花にたとえたのではないかとわかったそうで
道潅は我が身の無学を恥じて
歌道に精進し教養豊かな名将になったんだって・・・
 
この伝説、鼻高で父ちゃんに説明してやったら
「八重の山吹ってのは実をつけないんだよ
その花に合わせて自分の家には実(蓑)ひとつない・・・って
謳っているんだ」・・・と教えてくれました
 
ふぉえ~~
そうなんだぁ~~
父ちゃん、意外と物知りじゃん
八重の山吹は実をつけないんだね
 


甘泉園公園
当地の湧水が清らかで涸れることがなく
味もまろやかでお茶に適していることから
この園の名になっている
徳川御三家、清水家の下屋敷があった所


堀部安兵衛碑
この人、赤穂浪士のイメージが強いけど
なぜにここに石碑が・・・
この人はもともとは赤穂の人ではなく
高田馬場の決闘で名をはせて
赤穂浅野家の家臣、堀部金丸の養子に
なったそうです
 
高田馬場の決闘って・・・なに
超~~簡単に言うと
家臣同士の決闘があったんだけど
力の差があった決闘で
安兵が力の弱い方の助太刀をして
「18人切り」をしたと有名になったみたい
 
講師の先生の話によると
この話は後からつくられた話で
実際には3人くらいしか切ってないって言ってた
 


高田馬場跡
神田川沿いの低地に比べると高台にあった馬場なので
「高台にある馬場」に由来する地名
馬術の練習や弓道の練習場に使われていた
 


神田上水大洗堰
水を堰き止め取水し、江戸の上水道に繋いだ堰が設けられていた
 

今は堰のあとを
まったくうかがうことはできませんでしたけど
レプリカが作られていてちょこっと想像することが
できます
お昼ご飯
この日のお昼はリーガロイヤル東京
なにリンガーハット・・・
長崎ちゃんぽんかい・・・って
田舎者のおばちゃんは思ってましたが
ホテルだった笑笑
 

ビュッフェ料理でしたが
豪華な雰囲気での食事・・・
美味かったわぁ~~


早稲田大学
午後は早稲田大学見学
大隈重信が、次世代の指導者の育成を目的に作った
東京専門学校が前身
 
明治35年早稲田大学と改称
 
 
大隈記念講堂
大隈重信が
「人間は摂生すれば125歳まで生きられる」と
唱えていたことにちなんで
時計塔の高さは125尺(約38m)との事
 
大隈さんご本人は摂生して125歳まで生きたかというと
そこまで生きられなかったようで83歳で
亡くなっています
それでも昔の人にしては、長生きよね
 


演劇博物館
坪内逍遥博士が古稀になった時
半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が
完成したのを記念して建てられたそうです
演劇の歴史あれこれが展示されていました
 
花子の母校なんで
この博物館を知っているかラインで
聞いてみたところ
建物は知っているけど、入ったことないって・・・
おりゃ~~
入ったことないんかい
母はツアーで来とるんじゃ~~
 
学生たちは、自分の学部のある校舎にしか
入らないんでしょうかね
もったいないなぁ~~
 


坪内逍遥先生の銅像
明治から昭和にかけて
演劇・文学・舞踊・児童劇・美術・教育など
多方面の業績を残した人なんだって
 
この銅像の坪内先生と握手すると
早稲田大学に入学できるとのジンクスから
受験生が皆さん握手をするそうで
この銅像の先生のお手手光ってましたわ
 
わたいはこれから受験する予定は
ありませんがボケ防止で握手してきた・・・って
なんじゃい・・・
 
 
夏目漱石誕生の碑
食堂の前にあって、メニューが写らないように
写真撮るの大変でした
今は多くの人が行きかうにぎやかな所でした
 
 
穴八幡神社
1062年 源義家が奥州からの凱旋の途中
この地に兜と太刀を納め八幡神を祀った
 
庵を作るため南側の山裾を切り開いているとき
横穴が見つかりそこから金銅の御神像が出てきてから
穴八幡宮と称するようになったそうです
 

放生寺
穴八幡宮の隣に別当の放生寺
 


戸山公園(箱根山)
江戸時代は尾張徳川の下屋敷「戸山荘」
 
明治以降は陸軍用地として
戦後は国有地となり
集合住宅や都立戸山公園になっている
 
花子が学生時代
友達と過ごしたり、
学業にいきずまった時
この公園で過ごし
癒されていたようです
 
娘がお世話になりました
この日も学生さんたちが集まっていました
 
 
抜弁天
境内を南北に通り抜けることができるので
通称、抜け弁天
私達も南北に通り抜けてきました
 


市ヶ谷刑務所&監獄跡
市ヶ谷刑務所と市ヶ谷監獄が並存したいたので
刑務所通りと呼ばれていたそうです
 
今は石碑が建つのみ
 
 
花園神社
この地域の総鎮守
 


新宿ゴールデン街
新宿区歌舞伎町1丁目にある飲食店街
聞いたことあるけど
こんなところだったのね
小さなスナックなどが
たくさん並んでた・・・
 
作家や映画・演劇の関係者が通うらしいけど
今もそうなんかねぇ~~
ドアの開いてるお店あってちょこっと
中が見えたけど
椅子が5つくらいしかない
激狭空間だったよ
 
 
ゴールデン街を抜けて歌舞伎町に出て来たぁ~~
世界に誇る日本のゴジラが見えて来たぁ~~
 


そんで、ただいまの人気者は
こちら・・・らしい
皆さん、カメラを向けていましたよ
 
猫ちゃんが飛び出してきそうでした
 

ゴール新宿駅
この日のゴール・・・です
人が多い・・・
田舎ものは人酔いしてしまいました
 


この日は目白駅をスタートし
高田馬場・新大久保と山手線では2駅
進みました
 
 


 
 
 




 
 
 
 
 
 
 
 
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山手線一周の旅 第3回 西日暮里〜巣鴨

2024-06-30 10:23:00 | 山手線一周 ウォーク

山手線一周 歴史探究ウォーク

第3回 西日暮里〜巣鴨
西日暮里→田端→駒込→巣鴨


6月29日 曇り 
 
9:30  西日暮里駅集合
 


10:00 高村光太郎旧宅跡
千恵子抄とか道程とか詩集が有名だけど
彫刻家で芸術活動をしてたんだって
ここにアトリエがあって作品を作っていたそうです
今は案内板があるだけ・・・
 



10:15 須藤公園
加賀藩下屋→政治家邸宅→実業家宅(須藤宅)→東京都
高低差のある小さな庭ですがハスの花が可憐に咲いていました
木陰で休憩です

 
団子坂
昔はここで団子が売られていたようで
今は道幅の広い道路ですが
明治期は5mほどの狭い坂道だったようです
 
夏目漱石の三四郎とか
江戸川乱歩の団子坂の殺人事件とか
小説にも度々登場していた坂らしいです



森鴎外記念館(観潮楼跡)
夏目漱石の家に近いこの地に明治25年に引っ越してきたそうです
2階から東京湾を眺望できたことから
観潮楼となずけられているようです

 
今は記念館が建てられていますが
この敷石は昔の森鴎外の住んでいた所の
玄関前に敷かれていたままの状態との事

 
観潮楼から昔は東京湾が見えたようですが
今はスカイツリーが見えます
ビルとビルの隙間から見えます
すこし立つ位置が違っただけで見えません
隙間スカイツリーと呼ばれているそうです



猫の家 (夏目漱石旧宅跡)
明治36年から4年近くここに住んでいたようです
この貸家は漱石が居住する13年前には
森鴎外も住んでいたそうで
二人の文豪がこの地に住んでいたということですね
今は案内版のみ
猫のオブジェがいましたよ
ここで吾輩は猫であるを執筆したそうです
 


駒込大観音
奈良の長谷観音を模して造られたそうです



十一面観音像
高さが6mもありなかなか見ごたえがありました
 
 
瑞泰寺
ここには立ち寄らなかったのですが
狛犬でなく象だったので珍しく
写真撮りました



11:00 駒込土物店跡
神田・千住とともに江戸の三大青物市場
大根・人参・ごぼうなど土の付いたままの野菜が取引
されていたので
土物市場って言うんだって・・・



赤目不動尊
万行和尚が三重県の赤目山から不動明王を授けられ
ここ駒込に庵を開いたそうです
 
三代将軍家光が鷹狩りの際この庵に立ち寄り
目黒・目白不動にたいし目赤不動と呼ぶべしって
命じたんだって・・・
 
江戸に五色不動ってあるんだってよ
目黒・目白は地名になってるし駅もありますから
知ってましたけど
目赤・目青・目黄不動ってあるんだってよ
知らなんだぁ~~
目青・目黄不動って・・・
どこにあるん???
 



吉祥寺
吉祥寺って駅ありますけど
そこには寺はなく
お寺があるのはここ文京区駒込だそうです
 
室町時代太田道灌の開基

 
東京大空襲で本堂など消失し
今残るのは山門と經堂のみ
 
 
境内には
二宮尊徳墓碑がありました
二宮尊徳さん
いろいろな所に墓がありますがね
日光街道歩いてる時、今市宿に墓ありましたよ
確か小田原にもあったはず・・・

 
墓所には
農大創設者の墓や
順天堂大学医学部の解剖に使われた方の供養塔などがありました



天祖神社
駒込の鎮守



駒込名主屋敷跡
この地の開拓を許可された高木一族屋敷跡
 
 
この屋敷の式台付き玄関で
村の訴訟・調停・仲裁など簡単なさばきが行われていた



富士神社(駒込富士)
現在の東京大学赤門のあたりに
富士浅間神社の分霊を
迎え入れたのが起源
 
加賀前田藩がおおきな屋敷を作るのに際し
ここに移転してきた
 
江戸の富士信仰の高まりの中
富士山に見立てた富士塚がきずかれています
 


12:20 お昼ご飯 箱御膳
歩いた後のご飯は美味いです
 
 
1時間のお昼休憩のあと
午後一で訪れたのは
 
六義園
五代将軍綱吉の信任が厚かった川越藩主柳沢吉保のが
1702年築園した庭園
 
桜が綺麗な庭園で
桜のころ何度か来たことがあります
 
柳沢吉保って低い身分から大家老格の15万石の大名に
出世したので周囲からの嫉妬から
後世の読み物や芝居ではあまり評価の良くない人物だったそうです
 
で・・・
なぜに、綱吉から厚い信頼を受け
大名までに出世したのか・・・
 
もちろん優秀な人物であったのは確かなのですが
綱吉さんのお気に入りだったらしい・・・
こんなことパンフレットにも
案内板にも書いてない・・・
講師の先生が話してくれた
 
いやだぁ~~
おもしろい・・・
同性愛者は今も昔もおりましたのね
 
しかし将軍様となれば
お世継ぎを残さなければ・・・
 
映画、大奥の世界だね・・・
大奥もまんざら作り話ばかりではないのよね
 
六義園からおかしな話になりました
 
 
六義園をあとに駒込駅前を通過して

 
染井吉野記念公園
染井吉野桜発祥の地の記念碑がありました
江戸時代はこの辺りが染井と呼ばれており
園芸産業の一大産地だったそうで
ここで品種改良されできた桜が
染井吉野だそうです
なるほどねぇ~~



妙義神社
日本武尊が東征のおり、ここに陣を構えたのちに
社を建てたのが起源
 
室町時代には太田道灌が戦いの度に戦勝祈願したという
「勝ち戦の宮」とされ信仰を集めていた
 
最近、社を建て替えたのか
真新しい社で
日本武尊を語られても
まったく実感がわかない
 
狛犬ならぬ狛猫に目が行ってしまいました
 
妙義山のふもとにある群馬の妙義神社とは
なんも関係ないみたい
 
 
旧古河庭園 
古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅
現在は国有財産
東京都が借り受けて一般公開

 
石造洋館
1階には喫茶室などもあるようですが
団体様なので入らずです

 
洋風庭園
5月から6月のバラのシーズンは過ぎていますが
遅咲きのバラが咲いていました

 
薔薇のアイス
 
20分の自由時間あり
歩き疲れと午後から日差しが強くなり
冷たいアイスがうまし・・・うまし・・・
バラの香りがほんのりと香り
癒されました
 


15:35 巣鴨駅ゴール

 
巣鴨地蔵通商店街
解散してから時間と体力がまだあったので
おばあちゃんの原宿
巣鴨地蔵商店街をフラフラしました



塩大福
元祖 塩大福の「みずの」で父ちゃんに
塩大福を買い
 
喜福堂のあんパンを買い
 
金太郎飴屋さんで
地蔵さんの形のを買い
 
巣鴨と言ったら
赤いパンツなんだけど
赤いパンツ・・・ちと抵抗があったので
赤いソックスを買いました



今回の山手線の旅
再び訪ねたいところは
旧古河庭園かな
バラの満開の時にまた行ってみたいな
しかし、満開の時はきっと人も多いはず
 
早い時間に行ってみよう
 
山手線の旅
暑いけど来週も歩きます
 
 
 
 
 
 
 
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