5年9ヶ月かかって、5街道を制覇し
街道歩きは終わりにしようと
思っていました
歩く中毒、ある中、仲間が
北国街道が良かったと・・・
絶対歩いたほうが良いと・・・
すすめるのよぉ~~
歩いてみるか・・・北国街道ってことで
9月25・26日 1泊2日で歩いてきました
北国街道は
中山道追分から善光寺を経て、越後の城下町高田までを言います
高田からは加賀街道が分岐します
金が、佐渡から、江戸へ運ばれる、黄金の道でもあるため
出雲崎までを北国街道とすることが一般的なようです
北国街道は、庶民の信仰の道で、善光寺道とも呼ばれているそうです
今の国道18号線がほぼ本筋に沿って通っており、
信濃鉄道上信越自動車道がこれに並走しています(北国街道を歩く、岸本豊著 コピぺ)
10:10 軽井川駅
軽井沢駅からバスにて
北国街道と中山道の分岐点にあたる「追分の分去され」まで向かいます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/8f/d1fcbd8a982ab2af092d9b2664f469cc.jpg?1727504258)
北国街道と、中山道の分岐点にある分去れの碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/94/f1ca37feb949a45815686206fbfa476a.jpg?1727504259)
左は中山道、京都へ向かう
右は北国街道、越後方面に向かいます
中山道を歩いている時は、この分去されを左方向に歩いていきました
懐かしいね・・・
この日はここからスタートし
右に向かいます
終点の越後高田まで6回に分けて歩きます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d1/6f1b46a61a5cb08383f504a2c9678ffe.jpg?1727504259)
長屋門のある高山家で明治天皇が休息されているので
明治天皇行在所跡の碑が残っている
街道歩いていると、この明治天皇の休息場所をたくさん通ります。
類似の日は全国に300カ所余りあるんだって。
昭和10年頃に多く建てられたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/02/290612d3ae91bc3369b7add38ebb741c.jpg?1727504555)
柵口神社 (ませぐち神社)
塩野牧の入り口に馬の柵を設けていたので
ませぐちと読むそうです。
読めないわぁ~~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ef/2b299ea79737a82da289d4d01439f8df.jpg?1727504555)
平原の松
加賀のお殿様にも褒められた見事なマツ
小諸市保存樹木のカラ松
りっぱだわぁ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/c9/5cc6bc649ab5b1dd861f3a7a09a8c1c1.jpg?1727505395)
唐松の一里塚
江戸時代は900mのカラ松並木があったらしい・・・
小諸宿には平原・唐松・青木一里塚の3か所があったが
現存するのはここのみ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/b4/cc941ca6d2d5e9b43ac8c4bb6e7b9450.jpg?1727505512)
高浜虚子旧居
俳人高浜虚子が4年間疎開していた時の旧居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/4e/af741fa7c7bf2cfcd3b39b7d1c9400fa.jpg?1727664347)
小諸宿
小諸城を中心とする江戸時代の城下町であり、北国街道の宿場町でもあった
街道を7カ所で曲げ、敵の侵入を防ごうとしたが、
戌の満水による土石流は、
防ぎようがなかった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/d2/cf9d0206cf7d3957d2f31f395a342942.jpg?1727506150)
海応院
上田合戦で、足止め状態の徳川秀忠の大群は、
住職の調停で休戦し、関ヶ原へ急いだ
戦いには間に合わなかったが、
秀忠から送られた下馬札があるそうです
この寺は馬に乗ったままでは、通れませんよ
下馬札があるから
私達は歩いているのいで大丈夫です
この寺にも立派な唐松がありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/04/003f55f55768c9b710633baf148557db.jpg?1727506273)
島崎藤村旧居地
明治42年小諸塾の教師として召喚され、数々の文学作品をこの地で執筆
近くに新妻登美子が使っていた井戸が残る
藤村も7年間の小諸生活は
私にとって一生忘れることのできないものだって
言ってたそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ee/3571d47ea032a5ac010aeea9f2aaa4dd.jpg?1727506365)
小諸城跡
城下町より下に城がある
珍しい穴城で、島崎藤村の詩によって広く知られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/05/2f7aa7182ff05f47c781e2f8a08f0e73.jpg?1727506503)
北国街道 第1回 1日目はここで終了
この日の夕食は、ホテル近くのこのレストランでハンバーグ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/60/bbd894721b4bb64ebcbf965135126049.jpg?1727506503)
この日は、30名の参加者
五街道のうち、どこかでお会いしたような顔見知りの方ばかりで
まるで同窓会のようでした
皆さんガツガツといろいろな街道を歩いているようです
新潟高田まで6回のツアーです
真冬は寒くて歩けない地域なので
1回から3回まで年内に歩き
3月から再び残りの4回から6回までを歩く予定となっています
また、楽しい街道歩きの始まりです