雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

奥州街道完歩式 白河小峰城 

2024-06-26 09:45:20 | 奥州街道
奥州街道完歩式
1日目を歩き終え芦野温泉に寄りました
温泉に入ってから、完歩式です
 
 
完歩証いただきました

 
一言ご挨拶しました
先生ありがとうございました

 
この街道友も五街道制覇
80歳越えです

 
今回五街道を完歩された方々
右側のお二人
お二人とも80歳越えです
歩いてる姿を後ろから見ても
とても80歳代には見えません
お二人とも日ごろから
鍛えています
このように元気なシニアの方々から
毎回お話を聞けるのも
街道歩きの楽しみの1つでした

 
小峰城(白河城)
奥州街道を完歩してから
小峰城に寄りました

 
城、北側からの石垣・・・
東日本大震災で崩れたが復元されていました
この城の石垣復元が現在熊本城石垣の復元の参考に
なっているとの事
                                                                                     
 
復元されている三重櫓

 
前御門
本丸の大手口にあります

 
本丸御殿跡
日本100名城NO13
お城印
しっかりいただきました



 
100名城巡りもボツボツとやってます
今の所まだ10個くらいしか
スタンプありません
 
ゆっくり集めます
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奥州街道! 最終回

2024-06-25 23:09:15 | 奥州街道
芦野宿
宿場の入り口に置かれた
お地蔵さん



遊行柳(ゆうきょうやなぎ)
国指定名勝
国道294号線沿の水田の中に見えます



平安時代、西行法師が奥州を旅する途中
使い古した柳の杖が根付き芽吹いたと言われている
 
松尾芭蕉が訪れ句を詠んでいる
「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」
今でも田んぼの中に1本の柳が
目立っています
 


べこ石の碑
道徳を具体的に教えた物で
3,500、文字が刻まれている



板屋の一里塚
道の両側高台に塚を残している
江戸より43里目



旧道が残っているので
歩きます

 
興楽寺
戊辰戦争で戦死した羽黒藩士の墓がある



泉田の一里
西塚を残すのみ
江戸より44里目
下野の国(栃木県)最北端の一里塚



明治天皇御休憩所
山形・秋田・北海道巡行の際
休息をとられた所
 


宿場出口のお地蔵さん



下野国(栃木県)を抜け
陸奥国(福島県)に入りました



栃木、福島の県境にそれぞれ
境明神が立っている
 
栃木側は、玉津島神社
 


福島側は、住吉神社



白河の関跡の碑



堺の明神の前に立ち
右足福島県
左足栃木県
2県をまたいでます
 


白河の関跡
東山道沿いに設けられた古代の関所
 

 
古代関所については江戸期にはすでに忘れ去られ
どこにあったのかもわからなかったそうですが
 

 
1800年白河藩主だった松平定信が
白河神社関の森を「白河の関跡」と
断定したそうです



街道友と・・・
中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道を
共に歩きました
とても綺麗で、お上品な方です
これまで、どんな生き方をして来たのか
どんなお仕事をされていた方なのか
どんなご家族をお持ちなのかよく知らない
 
歩くのが好きで、共通の話題は
街道歩きだけ・・・
 
私はここ奥州街道で北に向かうのは
今の所、考えてないが
この街道友は青森を目指す・・・と言っております
頑張れ・・・
 
またいつか、どこかで会えるような気がします




戊辰戦争白河の激戦地
会津藩士の墓
 
 
朝寝・朝酒・朝湯大好きで身上潰した小原庄助さんの墓
とっくりと盃の石碑がありました

 
白河宿脇本陣
本陣はなんもない

 
四辻道標レプリカ



阿武隈川にかかるこの
田町大橋の手前が白河宿の大木戸
あったところで、ここで白河宿が終わります
奥州街道のゴールです。



6年9カ月かかって
5街道完歩しました














 
 
 
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奥州街道 白河の道 第3回 喜連川から大田原

2024-06-19 21:46:28 | 奥州街道

奥州街道ブログ滞ってます
街道ブログは早めに書かないと
記憶が曖昧になって
億劫になってしまいます

写真だけでも旅の備忘録を
残しておこうかな、写真もたくさん撮ってあるし・・・

奥州街道 白河の道 第3回 

喜連川から小田原

1日目 4月6日 雨
1月に第2回を歩いてから
2か月ぶりの街道歩きです
 
奥州街道歩き天気に恵まれません
この日も雨降り・・・泣
1月の雨のように冷たくなかったので
まっいいか
 
那須塩原駅からバス移動
前回の歩き終わりに・・・
 


喜連川宿の内川を渡ります

 
双体祝言道祖神
大きな道祖神でした

 
今回も雨具着てほんの少し残る旧道を歩きます

 
南和田の一里塚 江戸から34里目
雑木林の中に塚のみ残っている
どこが塚やらわかんない・・・
                                                                                                                                                                                                                                                  
 
明治天皇御前水の碑
明治天皇が東北巡行の際
飲用した御前水の跡



道祖神
ここにも可愛らしい道祖神
 
 
明治天皇碑 ここでお休みに・・・



昼ごはん ここまで7キロ歩きました

 
那須与一墓
どちら様・・・って感じです
 

 
源頼朝に仕えていた武将で弓の名人



源平合戦で平家の軍船に掲げられた扇の的を
射落とした話が
有名なんだって
うんうん、聞いたことある
 


その那須与一がここ栃木県那須郡で那須氏の居城神田城で
誕生したらしい
 
福原八幡宮
那須与一が社殿を修営
実相院
 
道標 大田原 喜連川

 
佐久山宿に向かいます



観音堂
 


水準点

 
宿場っぽい雰囲気が少しだけ残ります



薬屋

佐久山宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠  27軒

 
不動明王
 
夕飯



奥州街道3回 1日目
雨の中
よく歩きました
 
 


 
 
 
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奥州街道白河の道 第2回 白沢から喜連川 2日目

2024-04-05 22:54:33 | 奥州街道

奥州街道白河の道 第2回 白沢から喜連川

2日目 1月21日

今回の街道歩き1日目の1月20日は
なんとか雨に降られずに歩くことができましたが
2日目の1月21日は
冷たい雨に1日中降られてしまいました
こんなに冷たい雨なら
いっそのこと雪の方が
濡れることが少なそうだなぁ~~
なんて思いながらスタートしました
 
狭間田の一里塚 日本橋より32里目
個人の住宅内に南側の1基が残るのみ
個人の庭をみんなんでじろじろ見学させていただきました
 
 
大黒天 
大黒天が2基祀られている
土台には明治時代の水準点の記号が
刻まれていました
(標高158m)

 
弥五郎坂(乙女坂)

 
江戸からここまでは平地
ここから山路になったそうです

 
乙女坂古戦場

 
那須氏・宇都宮氏の古戦場跡

 
かつてはこの坂は乙女坂と呼ばれていましたが
那須氏・宇都宮氏の戦い時
那須方の弥五郎という人が
ここで宇都宮氏を討ったことから
弥五郎坂と呼ばれるようになったそうです

 
雨のなか夢中で歩いていましたので
さほど高さを感じませんでしたが
振り返ると
けっこう登ってきてる・・・

 
さてここから奥州街道古道に入ります

 
街道を歩いています・・・って言ったって
昔の面影を残す街道なんて
ほんのわずか・・・
排気ガス吸いながら国道を歩いていても
少しも昔の街道を想像することができません
 
でもこういった古道はいいですよ
何百年も昔の旅人と同じ景色を見ながら
同じ道を歩いていると思うと
とても不思議な感覚になります



古道を通過すると
道標です
「右江戸道」 「左下妻道」と書いてあります
 
 
喜連川宿
本陣1軒
脇本陣1軒
旅籠29軒
喜連川藩の陣屋町として発展
藩主の喜連川氏は足利尊氏の流れを
汲んでいたため幕府がその格式を認め
参勤交代を免除していたんだって・・・
 
龍光寺 
喜連川藩主・足利氏の菩提寺



いっこうに雨がやまない
大粒の冷たい雨が降り続いていました



喜連川神社
喜連川の総鎮守
 



この日の街道歩きはここまで
歩き終わりの体操をしっかりとしますよ
寒い寒い・・・
早くバスに乗って宇都宮駅に向かいましょう         



この日は朝から雨が降りやまず
1月の冷たい雨で講師の先生の歩くペースが速かったのか
予定よりかなり早く
宇都宮駅に帰ってくることができました
 


街道歩き友と
宇都宮ギョーザを食べて帰ってきました
冷えた身体に
焼きたてギョーザ・・・
うまかったです
 
 
 
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奥州街道白河の道 第2回 白沢宿~喜連川宿 1日目

2024-04-04 22:55:47 | 奥州街道

奥州街道歩きのツアーは2月・3月お休みでした
寒いからかな

今月から始まりますが
1月に歩いた回のブログ書いてなかったので
思い出しながら書いておきます

奥州街道白河の道 第2回
1泊2日の旅、1月20.21日

1月20日 1日目 
 
9:30 宇都宮駅集合
バスに乗車して1回目の歩き終えから
歩きは始めました
 
10:50 白沢の一里塚 江戸から30里目
本来の位置は鬼怒川の河原にあったそうですが
洪水で流失してしまい今はここに碑があるそうです
 
 
土手を歩きます

 
ここら辺に鬼怒川の渡しがありました
 


鬼怒川を渡ります

 
11:30 阿久津大橋

 
氏家宿・喜連川宿が現在さくら市にあたります

 
与作稲荷 
幕末から明治にかけて河岸の人々や奥州街道を
旅する人に信仰されてきた
400以上の鳥居が並んでいたそうだが
今はそんなに多くの鳥居ではなかった
 
 
将軍地蔵

 
勝山城跡

 
氏家氏の築城に始まり宇都宮一族の居城

 
鬼怒川の断崖を天然の要害とした崖端城



氏家宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 35軒  
 
 
 
氏家宿の長さは約970メートル
街道を挟んで民家・商家が軒を連ね
脇街道であった会津西街道・会津中街道が奥州街道と
合流する交通のかなめであった

 
西導寺
氏家氏の菩提寺



延命地蔵尊



光明寺
勝山城主氏家氏が政権を交代した
芳賀氏の菩提寺
正面に1759年宇都宮の鋳物師が作ったといわれる
たかさ3メートルの青銅製不動明王座像が露天で
鎮座していました



奥州街道白河の道 第2回の1日目
1月20日はここで
歩き終えました



今にも雨が降りだしそうな曇天でしたが
この日は雨に降られることなく
歩き終えることができました
 
 
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