雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

日光街道ゴール おまけの東照宮観光

2023-12-24 10:41:15 | 日光街道

日光街道11月18日にゴールの神橋まできましたが

15:30分で神橋が閉鎖されていて

渡ることができずにゴールは

お預けとなっていました

完歩式は前夜に終え完歩賞はいただいておりました

11月19日 

さて、日光街道ゴール神橋です

大谷川にかかる朱塗りの神橋は

日光山内の玄関口
日光開山の祖、勝道上人一行が
この激流を渡れずに
神のご加護を求めたところ
赤青2匹の蛇が両眼を結び
無事に渡れたとの伝説があります
 


日本橋から140キロ
日光街道のゴールです



みんなで渡りみんなで万歳しました
 


神橋の上で万歳



日光街道はゴールしました
ここから日光山内に入り東照宮などを
観光します
 


ここからは、講師の先生に代わって
巫女さんが案内をしてくれました


外国の方もたくさんいましたが
皆さん、この巫女さん姿に釘付けでした
日本のアニメで、この巫女さん姿見てるのよね
 


五重の塔
高さ約36メートル
初代若狭小浜藩主の寄進したもの
極彩色の日本一綺麗な五重塔
塔を貫く。柱は、懸垂式で
基礎石には、据えられておらず
四方から吊り下げられ浮いている状態
時を経て、重みで塔身が縮んだ際に、
柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないようにと
江戸時代に考え出された工法だそう
ちょうど工事中で、五重塔の中心の柱
を見ることができました
本当に地面の基礎の部分から柱が浮いているところを見ることができました
 
表門
東照宮の最初の門
二体の仁王像が安置しているところから
仁王門とも呼ばれている
 


上神庫
武者行列の衣装や神の宝などを収納するための建物
上神庫、中神庫、下神庫と合わせて
三神庫と言う


上神庫に描かれた蔵を守るゾウ
実物の象を知らずに描いたため、ユニークな象の形をしている
 
 
新厩舎(しんきゅうしゃ)
神の使いとされる神の馬をつなぐ厩舎
 
 
 
人の一生を表すサルが8面にわたり彫刻がされている
 


そんで、最も
有名なのがこちら
 
「見ざる・言わざる・聞かざる」の3サル
幼い猿の様子が描かれている
子ザルたちに
悪い方に導く言葉を聞くな
悪い行いを自然だと見るな
理由もなく悪く言うな
という素直な心のままに成長させよという
戒めだって・・・
 
これねぇ~~
幼い子供への戒めでなくて
十分、今の自分にも当てはまるわぁ~~
 
還暦過ぎた今も
悪い方に導く言葉よく聞きます
悪い行いも受け入れてるし
人の悪口なんか大好きだから・・・
反省・反省
 


鐘楼
右の鐘楼には、釣鐘
左の鐘楼には太鼓
 


陽明門
東照宮の東の正門であり、
シンボルと言える
 

 
1日中眺めていても飽きないことから
ひぐらしの門と言われている

 
龍や獅子・動物・植物・子供達など
様々な彫刻が施されていて
煌びやかで、ほんと
美しい門です



唐門
特別な時のみ開く神聖な門
 
 
家康公墓所入り口にある「眠り猫」
猫が眠るほど、平和な世を表現と
パンフレットには書いてありますが

巫女さんの説明では
耳を立て、飛びかからんばかりの
前足の猫の姿は
 
家康公の墓前に
ネズミ1匹たりとも入れないと言う
ねこの姿勢だとも言っていました
ふぉぇ~~
なるほどねぇ~~
そんな風にも見えます
あの目は寝たふりだね
薄目、開けてんだぁ~~



拝殿、本殿
江戸時代は、大名以上のみ上がれた。将軍着座の間があります
 
一般の観光客は、着座の主間に入ることはできませんが
今回ツアーの私たちのみ
将軍様が参拝の時に使われる部屋に入ることができました
 
旅行会社ここはがんばりましたね
将軍様のお部屋でお祓いを受けました
他の観光客の皆様と違うお部屋で
ちょっとうれしかった
 
将軍様の身が安全に保たれるように、
四方の壁は頑丈なもので作られていると説明されました

奥社
 


東照宮社務所
参拝が終わった後、一般の方は通れない通路通り社務所に戻りました



社務所では
お神酒とお供えのおさがりを
いただきました
 
小さなお供えが3つありました
説明を受けたんですが
1か月以上も前の話で
忘れちゃった
メモしてくればよかった・・・泣
 
御神札・朱杯・葵グラス・福箸を
いただきました



日光山輪王寺
輪王寺とは日光山内と奥日光に点在する
堂塔の総称
 
その中心となるのが総本堂
 
黒門
 


三仏堂



三仏を祀る総本堂
金堂と描かれた額が掲げられている
 
内には木造の座像としては東日本最大の
千手観音・薬師如来・馬頭観音が祀れて
います
黄金のすごくでかい仏像でした
 


大護摩堂
護摩祈祷を行ってくれている
祈願料3千円からだって



逍遥園
江戸時代初期に作られた庭



お昼ご飯を食べて


大猷院(たいゆういん)
家光公死後いつまでも家康公に仕えたいという意思を受け
4代将軍家綱の命によって造られた
 
本殿は南向きが定式だが
鬼門にもかかわらず
東照宮の方を向いて北東向きに立っている
家光さん
おじいちゃん大好きだったのね
 
二天門
裏側に風神雷神の像がありました
 
 
鐘楼

 
夜叉門

 
唐門
ここから拝殿・本殿へと続きます

 
皇嘉門
家光公の眠る奥の院へ続く 
                
 
破魔矢発祥のうまろきゃ様
 
1回買えば一生買い替えなくて良いと
説明された破魔矢3000円だった
この日、どこでも御朱印いただけて
どこでも、お守りやら、なんやらの
お勧めがあって
お金を使いすぎちゃったので
破魔矢・・・
買わなかった
そんだらね
ここの破魔矢・・・
すごい人気で
買えないこともあるってネットに書いて
あった・・・
しまった、買って来ればよかった
 

 
大名たちから寄進された灯篭たち
おじいちゃんの家康様より
派手にならないように・・・と
規模も装飾も控えめな
家光さんの大猷院なんですけどね
これはこれで
東照宮とは違った美しさがありました



日光田沢御用邸記念公園
大正天皇の御静養のために作られた御用邸
江戸明治大正時代の建築が融合されている
これほど大規模な木造建築は、全国でも数が少ない



中はこんな感じ
すごくたくさんお部屋がありました
 

お庭も綺麗
外から木像の建物を眺めても素敵でした


家康公は生前1度も日光に来たことないんだってよ
陰陽や風水に精通した天海大僧正の差配なんだって
 
日光は江戸城の真北に位置し
宇宙の中心である北斗星を背にし
神となって、世を治めようとしたんだってよ
 
大河ドラマ終わってしまったけど
松潤・・・
すごいじゃん・・・
 
日光東照宮・富士山・久能山東照宮が
一直線で結ばれるのは
知っていたけど
その線上に
おらが群馬県の徳川発祥の地
世良田東照宮があるとは知りませんでした
 
まあねぇ~~
家康さんも知らんかった
後ずけなんだろうけど
なんだかうれしい
来年の初もうでは
世良田東照宮に行こうかなぁ~~
 


今回の日光街道ゴール
おまけの
東照宮観光だったけど
おもしろかったわぁ~~
 
東照宮・・・
何度も行ったことあるけど
こんなに丁寧に説明を受けながら
歩いたことなかった
 
大河ドラマで
家康さん物語見ていたってこともあるけど
とても充実した
東照宮観光でした
 
今度、破魔矢買いに
また、行ってきます笑笑
 
日光街道140キロ
全17回 です
 
 
 




 




 
 
 
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日光街道17回 最終回 今市~日光東照宮

2023-12-22 09:51:06 | 日光街道
日光街道を歩くいよいよ最終回
 
11月18・19日
1泊2日で歩いてきました
皆さん上野駅に集合しバスで今市に向かっていますが
私は自宅から下今市駅に向かった方が近いので
電車で向かいました
 
9:20  下今市駅
この駅から鬼怒川までSLが走るみたいで
駅に着いたらちょうどSLが停車していたので
写真を撮りました
この駅は駅舎もとてもかわいいです
 


上野からバスの方々をここで待つようにと
添乗員さんから連絡をもらいましたので待ちます
 
 
皆さんと合流して
街道歩きのスタートです
 
今市宿
日光例幣使街道・会津西街道が合流する
重要な宿駅
 
戊辰戦争の戦火で街並みはほとんど焼けてしまい
江戸時代の物を見つけるのは
難しい
 
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 21軒
 


脇本陣があった所



淨泉寺
三代将軍家光移葬の際棺が安置された
境内には「蕎麦喰い稲荷」がある
蕎麦を供えると
夜泣きがなくなるそうです
 

滝尾神社
今市の総鎮守
社前には今市宿の北木戸があった


杉並木道に入ります
 
 
朝鮮通信使今市客館跡
杉並木公園内に碑がある
朝鮮通信使は12回来日し
うち3回はここに宿泊して東照宮の参拝をしたそう



昼ごはん食べてからの
 
如来寺
東照宮造営の際
三代将軍家光がここに御殿をたて
滞在した
 
 
 
報徳二宮神社
二宮尊徳を祀っている
二宮尊徳は日光神領89村の復興開発に務めたが
70歳で病に倒れ
ここ今市が終焉の地になったようです


社殿の裏にはお墓もありました



七本すぎ伐採あと
七本の杉の根幹が癒着して一株になった杉で
老朽化し伐採された切り株が残っている
って
この杉かいな
七本癒着していたとは思えない
全然違う木の画像だったりして
 
 


砲弾打ち込みスギ
戊辰戦争の激戦地
杉の幹に官軍が打った砲弾が当たって
破裂した跡が残っている
 
 
砲弾を受けた直後は、丸い跡だったけど
杉の木が成長して
今は、こんな風に細長い跡になってるそうです
 


野口薬師堂
境内の石の釣鐘は1768年の建立
石の鐘の重みで竜頭がこわれ
以来放置されている
 


 

並木太郎杉
たぶんこの画像だと思うのですが
杉並木の中で1番大きく美しいといわれている杉
杉並木の杉はどれも大きく美しいので
どの画像なのかわからなくなった
たぶんこの木だったと思う
 
 
日光街道って言ったら
杉並木だね
宇都宮あたりまで
あまり見どころもなく
ひたすら国道4号線を排気ガス吸いながら
歩いてきた気がするけど
 
杉並木を歩くようになってからは
素敵でした
大勢で歩いていても
ストレス感じず
ゆったりと歩けました
杉のパワーいただきながら・・・
 
この時期で良かった
花粉症なんで春だったら
泣かされてたわ・・・笑笑
 


街道歩き友との写真も
のびのびと・・・うふふ(*´艸`*)
 
 


異人椅子
明治時代、杉並木をこよなく愛した外国人が
石工に椅子を掘ってもらい
毎日、ここに座って杉並木を鑑賞したそうです
わかるわぁ~~
 
 
JR日光駅
 


東武日光駅


鉢石宿
本陣1軒
脇本陣1軒
旅籠19軒
日光道中最後の宿
家康が日光東照宮に祭り日光参詣が盛んになると
門前町として発展し栄えた
 



龍蔵寺
境内には戊辰戦争で戦死した広島藩の墓があります
 
稲荷神社
境内に西行戻し石があります
西行が石の上にいる子供に
「どこに行く」と問うと
見事な歌でかえされ、この地で「歌くらべ」は無理と
悟り引き返したそうです
 
 


宿名の由来石
鉢を伏せたような石があります
地名の由来になった霊石
 
 

勝道上人像
日光開山の祖勝道上人は家康に仕え
日光山の貫主となります
家康の亡き後は
遺言を守り、久能山から遺骨を移し
東照宮の創建に尽くした
 
 
板垣退助銅像
日光廟に立て籠もった旧幕府軍を説得し
日光山内を兵火から守った

 
わ~~い
日光街道ゴール
 
神橋が見えてきた
ばんざ~~い
 
ゴールどぉ~~

 
って・・・
この日ゴールできんかった
なぜに???
この神橋15:30分までで閉まってしまうの
 
この日15:30までに
ここまで来られなかったのよ
ゴールは翌日にお預けです
 



神橋渡ってないんですけどね
まだゴールしてないんですけどね
この日の夜は
完歩式です
 
 
 
東海道・中山道に続き
日光街道も完歩どぉ~~

 
2022年12月スタート
2023年11月ゴール
 
およそ1年で完歩
日光街道全17回だから毎月1回歩くと
1年5か月かかるはずなのに
1年かからずに完歩したということは
 
月に2回歩いたこともあったのね
ハイスピードだったわ

 
街道友と
はい・・・ポーズ・・・



 
街道友もどんどん増えて行く
還暦過ぎて友が増えるって
すごくない???
皆さん、歩くの大好き
歩く中毒
アル中の皆さん・・・です
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 




 
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日光街道 16回 大沢から今市宿

2023-10-03 12:00:00 | 日光街道

10月1日

真夏の街道歩きのツアーは
ありませんでしたが
始まりましたよぉ〜
街道歩き!
 
この日は、日光街道16回
大沢宿から今市までです
 
8:00 上野駅集合
あいにくの雨模様
一日中降られるのかなぁ〜
 


バスを走らせる事2時間
前回の歩き終わりまで着きました
さあ〜
今回の街道歩きスタートです
 
大沢宿
 
本陣 一軒
脇本陣 一軒
旅籠 19軒
江戸から19番目の宿場
度重なる大火で往時の面影は、
残っていない
 
王子神社
地域の鎮守
境内の大イチョウは、樹齢200年



日光街道杉並木
徳川家家臣、松平正綱・正信親子二代が
20年かかって植えた、
杉並木!
 
植樹開始当時の杉は
樹齢390年余りになる
 
日光街道と言えば
杉並木だねぇ〜
日光街道もいよいよ
佳境に入りましたわ
日光街道のシンボル
杉並木を歩きまっせぇ〜
 


大沢(水無)の一里
日本橋から32番目
東西に塚が残ってます
 
杉並木の中にある
一里塚なので
遠くからは目立ちませんが
近くに行くと塚が盛り上がっており
一里塚を認識できます
 


水無の地蔵堂



杉並木保護の為
自動車道は、迂回してます



なので、私達は、杉並木の真ん中を
歩く事ができます
 


この日の参加者30名でした。
もぉ〜
ゲロゲロですわ
30人でゾロゾロ歩くの大変なんですわ
この日も覚悟してましたが
杉並木をバラバラ皆さん歩けましたので
30名の人数を全然
感じませんでした。
すごく気持ちよく歩けました
 


お昼は、バスに乗車して
街道から少し離れた所で、
蕎麦をいただきました。
美味しかったです



昼食後は、またバスに乗って
街道に戻ります。
 
バスを降りてから添乗員さんの点呼が
ありました。
 
前回のツアーで、
昼食後バスに乗り、寝てしまったお客さんが
バスから降りないのを確認せず
バスに取り残したそうです。
 
おやおや!
幼稚園児だけでなくて
大人もバスに取り残される方いるんだと
笑っちゃったわ
 
大型バスで、運転手さんも乗っているので
死ぬ事はないと思います
 


桜杉
杉と桜が共生した桜杉並
春には、桜の花が咲くそうです
杉の木から桜が咲く姿を見てみたい気がする
 


杉の根本に大きな空洞が!



七本桜一里塚
杉並木の中でもひときわ存在感のある
このヘンテコな杉並!
お名前がついてます
「並木ホテル」
大人4人位は入れます
実際にここで雨宿りをした
旅人もいたんじゃないかな!
って、何年前から空洞になってんだろうか?



追分地蔵尊
日光街道に例幣使街道が合流する地点に
追分地蔵尊があります
 
伝説では、河原で石切職人が大岩だと思い
ノミを入れた所
血が流れ出したので
掘り起こした所
地蔵尊が姿を現したそうです。
 
地蔵尊の裏側に回り
地蔵尊をみると確かにノミの跡が
ありましたよ!
 


例幣使街道
毎年、京都から中山道を下り
高崎倉賀野宿から
中山道を離れてこの例幣使街道を
とおり日光東照宮まで
天皇からの金の幣帛(へいはく)を
神前に、奉献するために
使っ街道です。
 
うぅぅ〜
例幣使街道は、我が家のすぐ近くです。
この道を歩いて行けば
家に帰れんどぉ〜
 
なんか、ちょこっと感動!
例幣使街道のツアーは、ないので、
この例幣使街道は
いつか、自力で歩いてみたいと
思っています
 



二宮尊徳記念館
二宮尊徳って
ここ、今市市で亡くなったようです。
終焉の地だったんですね
記念館にいろいろ展示してありました



雨の街道歩きでしたが
日光街道らしぃ〜い
杉並木を歩く事ができて
良かった。
 
あと一回で、日光街道完歩です。
次回は11月は最終回、
日光東照宮です。
 


この日もたくさん歩きました
 
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日光街道 9回 古河〜間々田

2023-06-25 14:13:10 | 日光街道
昨日
日光街道 第9回 
 
古河から、間々田まで
歩いてきました

10:00 古河駅スタート
 
 
古河宿
 
本陣1軒 
脇本陣2軒
旅籠 31軒
 
日光街道の宿場であると
共に古河城の城下町でもあった
 
10:17 本陣跡石碑
 
 
道標  
 
常夜灯を備えた珍しい道標
左 日光街道
東 筑波山って書いてあります
右 筑波山でないのね
わざわざ東と書いてあるのは
なんか意味があるのだと思います
 


10:30 
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)生誕の地
 
って・・・
どちら様でしょうって感じですが
幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師だそうです
古河のお生まれだそうです



篆刻美術館(てんこく)
日本初にして日本唯一の篆刻専門の美術館だそうです
 
立ち寄りませんでしたが
古文字を石や木に刻んで印を押したものだそうです
建物も蔵を改造したものだそうで
趣があります



永井路子旧宅
またまた失礼ですがどちら様ですか
歴史小説家さんとのこと
 
「北条政子」という小説はNHK大河ドラマ
草燃えるで放送されたということです
草燃えるとか何十年前のドラマですか・・・って
感じです
 
鎌倉殿の13人の小池栄子の北条政子はまだ
記憶に新しいわ・・・
 


古河城追手門跡
ここが古河城の正面でした
今は周囲は住宅地にて城を思われる
物はなんもありませんでした



古河城の一部は
この渡良瀬川を整備したときに
この河原に取り込まれたということです



正定寺 しょうじょうじ
1633年 古河城主 土井利勝が創建
土井家の菩提樹
 
土井利勝は徳川家康・秀忠・家光3代に仕えた大老


はなももプラザ
施設内には入りませんでした
関東の奇祭、提灯竿もみ祭りの説明を
受けました
毎年12月に行われるそうです
 
 


11:40 ホテル山水でお昼ご飯
古河宿ってウナギが名物らしく
午前中歩いていると
ウナギ屋さんたくさんありました
ウナギを焼くいい匂いも漂ってきましたが
クラツーでは
ウナギ・・・ランチ出るはずもなく
うどん定食でしたが
おいしくいただきました




12:25分から
午後の部の開始ですけど
古河宿宿場内に見どころがたくさんあって
午前中2時間も歩いていますのに
まだ、宿場内を出ておりません



12:50
 正麟寺 しょうりんじ
古河初代の城主、小笠原氏の開創
幕末の家老鷲見泉石の墓がありました



正麟寺を過ぎたあたりから
古河宿を終えます
 
13:05 塩滑地蔵
堂前に塩がおいてあり
体の具合が悪いところに塩を塗ると効果があると
言われています
 
ボケないように頭に塩を塗って
お参りしようかと思いましたが
お地蔵さまはお堂の中に
しまわれてました
 
お姿だけは見ることができましたが
さんざん皆さんに塩を塗られているのか
お地蔵様つるつるでした
 
塩地蔵を過ぎたあたりで
茨城県を歩き終えて
栃木県最初の宿場野木宿に入ります
 
 
野木宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 25軒
 
野木宿の西に流れる思川には2か所の河岸があり
江戸との舟運が盛んであった
ここら辺に松並木があったようですが
今はなんもない国道4号線です

 
13:30 野木神社
 
およそ1600年前に建立
乃木希典は姓が同じということで
8回も詣でたそうで
指揮用のサーベルなど様々なものを
奉納しているそうです

 
街道歩き友
真ん中の紳士
82歳・・・若いです
ちょっと白いソックスがお年を感じてしまいますが
これをスニカーソックスにしていただいたら
後ろからみたら
大学生と見間違えるほどです
シャキシャキ歩かれています
 
健康の秘訣を道々お伺いしました
毎朝4時起床
5時から10時まで
歩くそうです
 
酒・たばこ・おやつは食べないそうで
食事は米中心で夕食時は米を抜くそうです
 
そんで20時には寝るそうですよ
 
あぁ~~
わたいには真似ができん・・・
少しでもあやかりたいと
一緒に写真を撮っていただきました
 
 

緑豊かな野木神社にはフクロウ
暮らしているそうです
 
 
 
参道にはアジサイがきれいに咲いていました
御朱印とフクロウのお守りをいただいてきました
 



午前中街道を歩いていませんので
午後は
サクサク街道を進まなくてはなりません


 
野木の一里塚 江戸から17番目
個人宅の生垣の中に
小さな案内板のみ
危うく見逃すところでした

 
太平山道標
日光山近道とのこと

 
野木宿道標
これより太平山山道と書かれています
道標は道案内だけでなく
宿場内への悪疫侵入を防ぐ
道祖神的な信仰も込められていたそうです
この道標は大きくて
文字も大きく読みやすいです
 
何も残っていない街道ですが
りっぱな長屋門のあるお宅が数件残っていました



15:20 友沼八幡神社
 
歴代の将軍は古河城を出発した後
最初に休憩したところ
当時は筑波山を望む景勝地であったそうです
 
 
 
15:40 乙女の一里跡
江戸より18番目
なんとなぁ~~く
塚っぽい・・・



大日如来坐像
江戸湯島の渡辺久兵衛が父母のため
故郷に安置したそうです
 
長い間
雨風にさらされていたそうでそうです
濡れ仏といわれていたそうですが
平成11年に覆屋が建てられたそうです
 
 
この日の添乗員さん以前も添乗していただいたこと
あるんですが
なんか、お客さんとなじんじゃうの笑笑
添乗員さんぽくないです
 
人数確認とかしてないと思います
お昼ご飯食べた後
危うくおひとり
食事会場に置いてきてしまうところでした
 
お昼ご飯の代金も払ってなかったようで
会場の方がおいかけてきました
危うく参加者29名で
無賃飲食してくるところでしたわ
見学場所でも
こんな風に座り込んで休憩してます
 
普通なら会社に苦情を言ってしまうレベルなんですが
この添乗員さんなんか憎めません
 
旅行会社も講師の先生も足りないようですが
添乗員さんも人手不足なんかなぁ~~
と思ってしまいます
 


 
10:06 間々田駅
予定より6分遅れの間々田駅到着です
皆さん帰りの電車の時間が気になります
 


記録帳のハンコもだいぶ増えました
 
 
あと宿場3宿、通過したらゴールです

 
11月にゴール予定です
 
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日光街道、15回 徳次郎〜大沢

2023-05-19 22:23:00 | 日光街道
日光街道、15回 徳次郎から大沢
昨日歩いてきました
 
前回の歩き終わり
下徳次郎バス停付近からスタートです
ここまでは、
皆さん上野駅に、集合して
バスで来ました。
 
私は上野に向かうより
直接、前回の歩き終わり地点まで
向かった方が近いので
直接、前回の歩き終わりまで
行きました。
 
徳次郎宿(とくじら)
 
本陣 2軒
脇本陣 3軒
旅籠 72軒
 
上・中・下徳次郎の三村合宿
 
 
10:08 桜並木を歩き始めます
 


薬師堂の石仏
薬師堂の前、
屋根の下に3台の石仏がありました

 
徳次郎宿内にあった3つの石仏をここに集めたようです
馬頭観音や6面地蔵があり
石仏の文字や顔が良くわかります
保存状態がよかったです
 


10:30 徳次郎城跡
宇都宮城主が北の防衛のために築城。

 
今は鬱蒼とした杉林



11:00 智賀都(ちかつ)神社




鳥居の両脇のケヤキは、
推定樹齢800年以上



徳次郎宿の鎮守



二宮堰(にのみやせき)・宝木用水
もともとここら辺は、一面の野原で、水利が悪く、
作物の収穫もままならない土地であった
 


江戸時代、二宮尊徳が設計
田川から水を引き込み
徳次郎と宝木地区を経て、
宇都宮へ流れる人工の川を作り
用水が完成したそうです



12:00 
お昼はバス移動して街道を離れ
ゆでたての蕎麦をいただきました
美味しかったです
 
 
午後も桜並木を歩きます



13:20石那田の一里塚跡
江戸から30番目の一里塚
樹木はなくなっていましたが、
塚は残っていました。松の木が
植えられていたそうです。



石那田八坂神社
江戸時代初期に疫病を沈めるため、
京都の八坂神社から勧請した神社



昨日の宇都宮の気温、31度
とても暑かったですが
並木道は、木陰となり
風が吹くととても気持ちよかったです
 
 
14:50 お願い地蔵
 
うらないぼとけ
昔は万病にご利益があると参拝者が絶えなかった
台座に3個の丸い石が置かれていました
石仏に願いをかけて、3つのうちのどれかの石を持ち上げ
軽く感じられれば願い事が叶うと言われています
 
どれどれ
「いつまでも元気でいられますように」ってお願いをして
一番左の石を持ってみましたが
すげぇ~~
重かった・・・
 
これって、願い事が叶わないってこと???
 



15:00 宇都宮市を抜けて日光市に入りました

 


15:40 杉並木寄進碑
徳川家康、秀忠、家光の3代
に支えた松平正綱が杉並木を寄進したことを記した石碑
 



ここら辺からいよいよ日光杉並木の始まりです

 
日光らしい風景になって来て
テンション上がりますわ!
 
昨日は、とにかく暑くて
なだらかに
坂道になっていたようで
疲れました。
 
それでも、並木が多かったので
助かりました。
 



 
700メートル程の杉並木を
歩き終えると、
この日のゴール大沢交差点
近くの下大沢バス停に到着しました
 
皆さんはここからバスに乗って上野に向かいました
私は、ここで皆さんとバイバイして
路線バスに乗り
下今市駅から電車に乗って帰ってきました
 
日光街道もあと2回
16回・17回でゴールを向かえます
 
が、私は歩きこぼしの3回・9回を
歩かなくてはならないので
もう少し日光街道を歩かなくてはなりません
 
11月にはゴールできそうです
 
 
 
コメント (4)
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