鵜沼宿
鵜沼宿は明治24年の濃尾大震災で江戸時代の
建物は消失してしまっているとの事
脇本陣の前、菊川酒造の黒塗りの酒蔵の先に
江戸時代の旅籠など4件が並んでいます
関東大震災は知っていますが
濃尾大震災ってよく知りませんでした
今回の旅ではよく耳にしました
石亀神社
鵜沼石を切り出していた跡
ご神体は石亀様(鵜沼石)だって
なんとなぁ~~く
亀に見える石がありました
かつて鵜沼石が切り出されていた
跡がかすかにうかがうことができました
衣装塚古墳
美濃地域最大の前方後円墳
津島神社
境内に皆楽座の回り舞台があり
村芝居を上演していたそうです
雨戸みたいなのが閉まっていて
舞台を見ることはできなかった
各務原(かかみがはら)国道21号線を西に
向かいます
各務原って昔はなぁ~~んにもない原野だったそうで
人は住んでいなかったそうです
なぁ~~んもなかったおかげで
その後の開発で
国道21号線のような
広い道路をつくることができたんだった
この日の街道歩きの難所は
この交通量の多い
国道21号線を無事に歩くことって・・・
道路の右側には川崎重工岐阜工場が
右側には
航空自衛隊岐阜があります
川崎重工では飛行機を作っているとの事で
道路を挟んで左右で持ちつ持たれつの関係なんでしょうか
ここは、飛行機が頻回に離着陸しており
ガイデイングレシーバーで
講師の先生のお話を聞いておりますが
聞き取れないことがしばしばでした
播隆(ばんりゅう)上人碑
独修独行の念仏行者といわれ、槍ヶ岳などを
開山した人の碑
濃尾地震で2つに割れてしまったそうです
神明神社
神明神社の境内に
なぜか、ねずみ小僧次郎吉の墓が・・・
江戸の泥棒さんがなぜに岐阜のこの地に・・・
昔、若い娘がここ各務原で泊まった家に
金品を奪う悪人が泊まっていたそうですが
その悪人を治郎吉が懲らしめて
娘さんを助けたそうです
ねずみ小僧が江戸で処刑されたのを聞いた
各務原の人が治郎吉の善行を
伝えるために
ここに碑を建てたようです
六軒一里塚跡
江戸から102里
日吉神社
新加納一里塚
旧御殿医今尾家
江戸時代末期に旗本の御殿医より始まり
以後180年にわたり新加納町で医院を開業していた
鵜沼宿~加納宿まで4里10町と遠かったため
途中、旅人が休憩できる茶屋などが必要だったため
立場茶屋や高札場が設けられたそうです
次回
岐阜市 加納宿に向かいます