iPhone!
4年ぶりに機種変しました。
父ちゃんと2台分だけど
機種変!
時間かかるねぇ〜
軽い認知症テストみたいで
メルアドここに入力しろの
パスワードをここに入れろだの
お店でアタフタしないように
メモを持って、
万全の体勢で行ったのに、
メルアド入力間違えて、
時間かかってる。
だってメルアド必要な時は
普段はコピペだもん
データ移行は、
お金払ってやってもらいました
子供達は.自分で
サクサク、データ移行しますけど
私達には無理無理!
父ちゃんはiPhone14に
私はiPhone proに変更しました。
父ちゃんは、
ほんと電話受けるだけだから
なんなら、ガラケーでも良いのよ
それを言いますとね
「俺が金払ってんだぁ〜」って
言いますのよ
「あぁ〜さようでございますか
お好きにどうぞ」って事になるのですが
今回は、お店の方の勧めもあって
素直に安い方の
iPhone14で納得しました
私は.写真いっぱい撮るもの
やっぱりカメラ機能の良い方がいいわぁ〜
しかし、iPhone!お高ねぇ〜
パソコン買えますわ!
でもさぁ〜
これで、毎日遊べるんだもの
いいかなぁ〜
どこに行くのも一緒
寝る時も枕元に一緒
片時も離さない
1番のお友達だもの
11月24日
この日はお仕事
朝5:30に家を出ました
尾瀬の少し手前の村まで行きました
6:45
朝焼けがものすごく綺麗・・・
高速道路走ってたら、
綺麗で完璧な虹が出てきた
山から山に綺麗に弧を描いてました
うわぁ~~
消えちゃう消えちゃうと思い
車中からiPhone構えましたが
消えないのよ
谷間の村に霧なんか、かかってきて
ちょっと幻想的・・・
虹が重なってる・・・
こんなにきれいにこんなに長く
しかも二重の虹見たことなかった
なんか、いい事ありそうな気がする
検診者少ないんじゃない
10人くらいしか来なかったりして
今日はまったりと仕事出来るかも・・・
っと、期待しながら
YouTubeでの虹のかなたに・・・
聞きながら目的の村に向かいました
Somewhere Over The Rainbow(虹の彼方に)by Limilyn with lyric
検診者、少なくなかった泣
でもとても気持ちよ良い1日でした
11月27日 晴れ
甲州街道を歩く3回 明大前から調布
10:05 京王線 明大前駅スタート
10:15 煙硝蔵跡
江戸幕府の弾薬庫の貯蔵庫
2万坪の土地に蔵が5棟建っていたそう
今は、説明板のみ
後ろの建物は明治大学
10:20 築地本願寺 和田堀廟所
築地本願寺は関東大震災で全焼したため
それまで中央区にあった檀家の墓地を
昭和4年にここに移した
この墓地
超有名人の墓地がたくさんあった
有名人の墓地ってこれまでも街道歩きで案内されたけど
墓地に入ると
この方のお墓はこちらぁ~~みたいな感じで
案内板が立ってたりしますが
ここは一つもない
有名人の墓地多すぎて
案内しきれないのかな
でも、パンフレットはいただきました
がぁ~~
こんな広い墓地で探すの大変だわ
講師の先生について行きます
赤木春江さんは本名で・・・
渡辺淳一さんは酒好きだったのかビールが供えたありました
樋口一葉さんは今でもファンの墓参りがあるのか
綺麗なお花が供えてありました。小さなお墓でした
1番デカかったのは
佐藤栄作さんのお墓でした
このお墓は案内のパンフレットに載ってなかった
家族の意向なのかな政治的意味合いがあるのかわかりません
その他、私の知らない有名な方のお墓りをたくさんしてきました
さすがにねぇ~~
有名人とは言え、墓地の写真は撮りませんでしたわ
10:55 栖岸院
知恩院を本山とする浄土宗
江戸時代は住職が将軍に単独で拝謁できた
格式の高い寺だったんだって
11:10 覚蔵寺
庶民の信仰が厚かった
鬼子母神像があるので有名だそうですが
中には入れませんでした
紅葉した銀杏の木が綺麗でした
落ち葉を2枚いただいてきました
しおりにしよう~~っと
寺の彫刻が素晴らしかったです
11:30~12:25
早めの昼食
焼肉弁当・・・都内の昼食あまり期待できませんが
この日の昼食美味しかったです
ドリンクも付いてた
12:35 宗源寺
この寺の不動堂はもともと宿の入り口のあったそうです
明治44年に不動堂をここに移したそうですが
この不動堂があった場所が高井堂だったので
「高井戸」とゆう地名になったそうです
地名由来の不動堂ってことですかね
境内の大きなまきの木
高井戸宿
下高井戸宿
本陣1軒
脇本陣0軒
旅篭3軒
問屋場1軒
上高井戸
本陣1軒
脇本陣0軒
旅篭2軒
問屋場1軒
なぜに宿場が上と下に分かれてるの・・・
宿場には常に決められた数の人馬を置くことが
決められており
甲州街道では人足25人
伝馬25匹と決められていました
これね宿場にとっては負担だったんだね
そこで高井戸宿は
宿場を上下に分けること・・・
上下の宿で15日ずつに分けて負担を
軽くしたそうです
上高井戸・下高井戸・・・
ただの地名でしたがこんな経緯が
あったのね
ガッテン・ガッテン
おバカなかかあ天下の街道歩きの目標の1つに
来るときよりも1つでも
お利口になって帰ること・・・
この日の目標は達成~~ってことで・・・
下高井戸本陣がここら辺との説明
影も形も表示さえもない
高井戸1里塚跡
甲州街道と高速道路がわかれているあたりです
日本橋から4里目の一里塚
現在の道の日本橋からの距離も16キロの表示が・・・
1里が4キロ位なので
4里・・・
丁度16キロ位になるのね
13:10 下高井戸本陣跡
ここ京王バスのあたりに本陣・問屋場があったらしい
そんでここら辺が上高井戸の本陣、問屋場があったところ
長泉寺
高井戸宿で本陣を務めていた家の菩提樹
寺の入口に可愛い石仏達が・・・
なんだかここら辺
やたらめったら寺が多い
大橋場跡
ここら辺は鳥山用水やそこから引いた用水路が
たくさんあったらしく橋が7か所も
かけられていたそうで
そんな用水路にかけらてた橋の跡
お隣には出世地蔵がありました
新一里塚
明治になってから内藤新宿を起点として建てられた
一里塚
6基作られたそうですが残っているのは
ここだけとの事
なぜに明治になってから内藤新宿から一里塚を作る
必要があったのだろうか
千川一里塚
こちらは日本橋からの一里塚
日本橋から5里目
馬宿 川口屋
川口家は戦前まで馬方や行商人の旅籠だったそうです
庭の奥の方に大きな納屋のような建物が
見えましたが
ここに馬がつながれたのかな・・・
滝坂
名前のとおり昔はここに雨が降ると
滝のように水が流れたそうですが
今はなだらかな坂道でした
昔はもっと急な坂だったんだろうね
金子の大イチョウ
稲荷大明神の前にある銀杏
樹齢250年との事
木曽路で立派すぎる樹齢何百年ものの大木を
たくさん見てきたので
大きな感動がない・・・
野川にかかる馬橋を渡ると国領に入ります
橋を渡った街道の北側に馬捨て場あります
死んでしまった馬を捨てたそうです
馬の皮を使ったりもしたようです
馬頭観音もここありましたが
今は少し先の常性寺に移されています
15:30 常性寺
調布七福神の布袋様を祀っている
調布七福神の布袋様を祀っている
薬師堂
馬頭観音
馬捨て場にあった馬頭観音がこちらのお寺に
移されています
ここ調布は
水木しげるさんが50年間も生活していたそうで
あちこちに鬼太郎がいました
鬼太郎のお家はポストよ
鬼太郎がお手紙運んでくれるのかな
街道から右に入ると布多天神社の参道です
この参道にも
そこここに鬼太郎が・・・
楽しい参道です
布多天神社
多摩でも有数の古社
この地の長者が布多神社のお告げにより
木綿織を習得しこの布を朝廷に納めたそうで
布を調として納めたことから
調布の地名になったとの事
地名由来の神社
この神社ここから先は撮影禁止だって・・・
なぜに・・・
七五三のお祝いとか境内で写真撮りたいよね~~
理由わからん・・・
鬼太郎のイベントやってたよ
砂で作られてた
水木しげるの命日月ってことで
特別御朱印ってのがあったので
頂いてきました
布田五宿
国領・下布田・上布田・下石原・上石原の五宿を称して
布田五宿
合わせて一宿の機能
江戸時代の旅人は一日に八~九里三〇キロくらい歩いたので
多くの旅人は素通りして府中宿まで足を延ばしたので
布田五宿には本陣・脇本陣はなくひっそりとした宿だったそうです
16:10 調布駅ゴール
この日の街道歩きを終えました
予定より20分遅れのゴールでした
バスに乗らないコースはね
定員があってもないようなもので
昨日は26人で歩いてたわけです
都内の休日に26人もの多列が
歩いているわけで
お邪魔よね~~
信号も1度に全員が渡り切れなかったりして・・・
講師の先生も大変です
昨日の添乗員さん今一つ
動きが悪かった・・・
添乗員さんと講師の先生の力関係って
よくわからんのだけど
和田峠でトラブルにあったときも
なんだか、添乗員さんの態度が
たかびーなのよねぇ
昨日も添乗員さんの動きの悪いのを棚に上げて
講師の先生を責めるような
物言いを添乗員さんがするのよ
添乗員さんが会社に言いつけると
講師の先生の仕事がなくなってしまうとか
あるのかしら・・・
講師の先生と添乗員さんが激しく
喧嘩してたこともあるんだって
私はさすがにそんな場面には出会ってないけど
やっぱり、この2人の関係で
旅の雰囲気が悪くなることは
数回、経験してます
バス横転事故で旅行会社もいろいろ
敏感になっているのだと思うけど・・・
小学生みたいに4列に並んでの点呼や
呼名点呼は少々勘弁してほしいなぁ~~
昨日の街道歩きは講師の先生
お気の毒でした・・・って感じ
藪原宿の名物にお六櫛というのがあります
お六櫛の由来は
今から300年ほど前
木曽に住んでいた美人で評判の旅籠の娘
お六は持病の頭痛で悩んでいました
お六は頭痛を治したい一心で
御嶽山に詣で願掛けをしました
すると、ミネバリの木で作った櫛で髪をとくように
とのお告げがあり
朝晩黒髪を梳いたところ不思議なことに
持病の頭痛が全快したそうです
そこでお六はこの御利益を同病者にも
分け与えようと願い
「ミネバリの木」で作った櫛を売ってみたそうです
すると中山道の難所鳥居峠を越える東西の旅人の
評判となり木曽路藪原の名産
「お六櫛」として
全国に知られるようになったそうです
櫛を買ったとき添付されていた説明書きをコピペしました
江戸後期には藪原宿の8割が
櫛に関わる仕事をしていたようですが
現在は数軒の店しかないそうです
街道を歩いていてもこの問屋さん1軒くらいしか
目に入りませんでしたね
中に入ってみたかったですが
ツアー中だったので入れませんでした
ミネバリの木
鳥居峠にあったミネバリの木達
落葉広葉樹で別名「オノオレカバ」と言われているそうで
斧もおれるくらい堅い木だそうです
ミネバリは算盤の玉・ピアノの鍵盤・印鑑・櫛
などに使用されるそうです
中でも木曽郡木祖村藪原は江戸時代豊富にあったミネバリの
木を材料にした櫛「お六櫛」は今でも
伝統工芸品として有名との事です
伝統工芸品だしね
藪原・鳥居峠を歩いた記念にほしいよなぁ~~
と思ったわけですよ
そんでね、今、旅行支援とかで
4000円のクーポンをいただいたんですわ
このクーポン・・・
旅行中にその旅行地で使わなくてならないわけで
せっかくなので櫛を買おうっと
思ったわけです
お六櫛と一口に言いましても
ピンからキリまで
ミネバリの木で作られていない櫛まで
お六櫛として売られていたりするのです
奈良井宿にお泊りした時
何軒か土産屋さんを
のぞいたのですが・・・
紳士物の櫛は少なく
どうせクーポン使うのだし・・・と
思って、父ちゃんにこの櫛を
クーポンで買いました
クーポンでは足りませんでしたので
少し足しました
手のひら程の幅に
100本もの歯を作る匠の技は
日本遺産に認定されているんだって・・・
江戸時代はお土産として人気があったそうですが
現代は自分ように買い求める人が多いそうです
父ちゃんのちょんちょろ髪の毛に
こんなに高価な櫛買っちゃって
自分に買わないわけないでしょう・・・
ってことで
自分用に普段使いの櫛を買いました
土産屋さんでたくさんのお六櫛見たけど
作者の名前が書いてあった櫛は
ここだけだったので
より貴重な櫛に思えました
古畑益朗作ってシールが貼ってある
父ちゃんの少ない髪の毛ちょんちょろ頭に
この櫛はもったいなかったなぁ~~と
思いましたがね
まぁぁ~~ね
街道歩きに毎回気持ち良く送り出してくれるので
このくらいのお土産はいいかな~~
お六櫛って
3代使うことができるんだってよ
父ちゃん使って
太郎が使って
小太郎も使うことができるって事ね
父ちゃんの頭に使うのはもったいないけど
成長した小太郎が使えるのかと思うと
もっと、高価な櫛を買えばよかったと
思うのは不思議です笑笑
使い心地は、
櫛が頭皮をマッサージする感じよ!
ちょっと痛いかも!
ブラシとちょっと違った
使い心地です
私は頭痛持ちでないので
頭痛緩和に、効果があるかどうかは
わかりません
11月13日
藪原宿の村民センターでこの日のゴールを迎え
12:30~13:40まで
遅めの昼食を取って
14時には
塩尻駅で現地集合の方は解散となりました
新宿駅集合の方々は
ここからバスで4時間位かかると思うのですが
帰って行きました
私はこの日、奈良井宿の旅籠「伊勢屋さん」に
宿泊の予約を入れておきました
なので、塩尻駅から中央本線中津川行の
各駅停車の電車に乗って
奈良井駅に向かいました
15:06 塩尻駅乗車
街道歩きで歩いた洗馬・贄川・木曽平沢などの駅を
通って奈良井駅に着きました
乗車時間は20分弱です
3日間歩いた街道を戻った感じです
15:35分、奈良井駅着
奈良井駅にはこの日鳥居峠で出会った
軽装の外国の方々がたくさんいました
峠を越えて奈良井宿で1泊するのかと
思っていましたが
列車に乗ってどこかに帰るようです
中央線で東京の方に帰るのやら
長野の方に帰るのやら
とにかくみなさんずぶぬれで
お気の毒でした
やはりトレッキングとはいえ
山歩きはしっかりとした準備が必要ですね
宿場内は雨も降っていましたし
宿場内は雨も降っていましたし
時間も16時でしたので
人はあまりいませんでした
前日に歩いた宿場の様子とは違っていました
この画像は
前日の街道歩きツアーの自由時間の時に撮ったものです
前日も夕暮れ時でしたので
あまり多くの人はいませんでした
この日のお宿は
伊勢屋さんです
奈良井宿の脇本陣兼下問屋をつとめていたところで
今は民宿を営んでいます
NHKの新日本紀行という番組で
木曽路の放送があったときに
このお宿が紹介されていました
昔の町屋の面影を残す建物で
間口が狭く奥行きの深い建物です
中に入るとすぐに階段が・・・
ここを上がると母屋の客間になっているようです
天井も高いです
江戸時代は下問屋だったとの事で
ここに馬などがつながれていたそうです
さらに中庭を抜けて
さらにこの奥に
この日の私のお部屋が
ありました
ごくごく普通の和室でした
お風呂は共同でしたが
誰もいなくて綺麗で
ゆっくり入浴出来ました
洗面所は部屋の前です
街道からのたたずまいは江戸時代そのものですが
中は宿泊するのにまったく不便を感じない
現代の設備でしたよ
食事はこのお部屋で
皆さんと一緒にです
この画像は朝食時の物です
お客さんは3組・・・
私はおひとり様ですが
後の2組は外国の方
一組はアジア系のご家族のかた
もう一組はアメリカからのご婦人3人組
英語喋れませんが、
マスクケースで、折り鶴折って
プレゼントからの
国際交流ってか?
旅の恥はかき捨てじゃ〜い
って、
私は旅に出ていなくても
いつも恥かいてます笑笑
食事は
きのこの盛り合わせ
地元野菜の煮物
信州サーモンのお造り
塩尻名物山賊焼
ぶっかけとろろ蕎麦などなど
地元の美味しい食材での
夕食でした。
信州産虹鱒の唐揚げが甘辛タレで
激うまだった。
おかみさんの話では、
タレは、継ぎ足しの長く使っているものだと
言ってました。
食堂には、
2020年に改築の時
屋根裏から出てきた古文書が
展示されていました。
例幣使の方々が宿泊したと
書いてあるそうです。
おかみさんが説明してくれました
江戸時代の旅人になった気分で
ゆっくりと休む事ができました。
夜が明けて、明るくなってからの
お宿です
奥行きのある長い廊下・・・
夜はあまり良く見えなかったけど
中庭も綺麗です。
街道からは、この庭が建物の中にあるなんて、
想像できません
さて、早朝の奈良井宿に繰り出します。
前日の夜は雨でしたが
この日は晴天よぉ~~
鳥居峠の上がり口にある鎮神社が京側の宿場の端です
神社の境内からの奈良井宿です
鎮神社から鍵の手あたりのこの町並みは
朝ドラの「おひさま」の撮影で使われたそうです
街道歩きのツアーで夕飯を食べた
徳利屋さん前
江戸時代は旅籠でした
島崎藤村はここに泊まって
夜明け前の1部分を執筆したそうです
奈良井宿には6か所に水場があります
山から湧き出る水は飲料水や生活用水として
大切にされているそうです
どこから眺めても絵になる景色で
画像を選ぶの難しいです
撮ってきた写真全部載せたいわ・・・
こちらの油屋さんという
旅篭も今でも泊ることできますが
1日1組様との事
予約とるの難しいと思う
1キロにわたる町並みが昔のまま残る奈良井宿は
日本最長の宿場だそうです
そんでここで生活をしている方々がいらっつしゃるのですよ
お土産屋さんなども多いのですが
こんな風に野菜が干してあったり
柿が干してあったりするんです
早朝の宿場では、ここで生活する方々が
家の前を掃き掃除してました
「おはようございます」と会話を交わしました
こんなことは宿泊をしなければ経験できないことです
前日の夜
遅くまで開いていた
お土産屋さんのおばちゃんが
お茶飲んで行け
芋食べて行け・・・って
昔から知り合いだったおばちゃんみたいに
フレンドリーなのはなぜになの・・・
このおばちゃんのお店
翌日も行っちゃった・・・
「旦那さんによろしくね」
なんて前夜におしゃべりした父ちゃん話も
覚えていてくれたみたい
早朝の奈良井宿をひとりじめです
奈良井川沿いになだらかに街道を下った所
宿の江戸側の入り口近くに
杉の並ぶ古道があります
この道は中山道があった当時のままとの事
江戸時代の旅人の姿が想像できます
木曽の大橋
樹齢300年以上の木曽檜づくり
橋脚のない橋としては
有数の大きさだって・・・
11:26
奈良井宿を後に
塩尻駅に向かいました
11:26分の電車に乗らないと
次の電車まで2時間待ちです
伊勢屋さんの宿泊予約は来年の4月まで
満室でした
今回ダメ元で
ツアーの終了する11月13日に
キャンセル待ちで予約を入れておきました
ラッキーなことに
外国のお客様のキャンセルがあったとの事で
泊ることができました
この日に泊まれるとは思っていなかったので
4月にも予約を入れてあります
念願の旅籠に泊まれたので
4月はキャンセルしても
よいのですが2人分で予約しましたので
三郎か花子を誘って
また春の奈良井宿を楽しもうかなぁ~~と
思っています
今回の旅籠宿泊を街道歩き友に話したら
「奈良井宿なら2時間もあれば十分に楽しめるわよ」
って言ってました
確かに・確かに
観光で町並みを見てお土産を買うくらいなら
2時間で充分なのでしょうが
私は宿場町の旅籠に1度
泊ってみたかったのです
東海道・中山道と歩いてきましたが
ツアーでは宿場に泊まることはできません
大人数ですし、ツアーの予算では無理です
そもそも、旅籠が残っていて
今も営業している所なんて
数えるほどしかないんです
しかも
宿場の町並みが残る奈良井宿の
旅篭に泊まれるなんて
これは魅力的なことでした
京側から来た人
江戸側から来た人が
旅篭で情報交換をする・・・
今みたいにSNSで瞬時に情報を得ることの
出来ない時代に
このお宿でどんな会話が繰り広げられていたのかと
想像するとなんだかわくわくしちゃった
京側から鳥居峠を越えてきた人は
その大変さをこれから超える
江戸側から来た
旅人に語っていたんだろうね
峠越えは大変だから
変えのわらじをしっかり持つんだよぉ~~
とかね・・・
初めての旅籠泊まり
貴重な体験でした。