前回からの続きから歩きますので
亀山宿をまだ出ていません
旧東海道がわかりやすいように
でしょうか?
道路が黄色く塗られちゃってる
なんだかなぁ〜〜
雰囲気損なわれちゃってないかなぁ〜〜
野村の一里塚
日本橋から105里目
一里塚左右にあるはずですが
南側は撤去されており
北側だけ残ってました。
樹齢400年!
幹周囲、5メートル
高さ、20メートル
ムクノキで、
一里塚に、ムクノキが使われるのは
珍しいとの事
関宿
亀山宿を歩き終えて
関宿に入ります
本陣2軒
脇本陣2軒
旅籠42軒
古代都を守る日本三関の1つとして
この地に鈴鹿関が
置かれたのが、
関の地名の由来との事
城下町の亀山宿での宿泊を避けた
大名や伊勢参りの旅人が
多く宿泊したそうです。
広重、関宿
夜明け前に出発の準備をしている大名一行
の本陣前の様子
関神社
関宿の氏神
夏祭りに幅2間(4メートル)の狭い
宿場通りを山車が巡行し大混雑
関の祭りの山車が
「これ以上は、無理・限界」という意味の
「関の山」の語源だって
ヘェ〜ヘェ〜
って感じです。
会話の中で、関の山って
使うよなぁ〜
と思い、語源の地に立ち
関の山、会話に使うたび
この地を思い出しそう!
重要伝統的建造物保存地区に入ります
戦火にも合わず
国道一号線が宿の裏を通ったため
開発にも合わず
古い街並みが残った
約400戸の町屋のうち
江戸時代の建物が
半数も残っている
電線を地下に埋めたり
舗装を工夫したりで
東海道随一の宿場の景観が残っいる
今も、この宿場で生活されている
喫茶店に、八百屋さん、雑貨屋さん
薬局に、足袋屋さん、化粧品屋さん
ワンちゃんのトリミングまで
桶屋さんに
現代の旅籠!
ゲストハウスまで!
多少は、観光用の営業かとも
思われますが、
江戸時代にタイムスリップした感じです
現役の銀行
現役の郵便局
生活の何気ない物にも
景観を損なわない工夫が
電話ボックスに、ゴミ箱
ポストも赤くない
そして、書状集箱!
こだわりの街つくりです。
馬や牛が繋がれていた金具
地蔵院
近くの人々に加えて
東海道を歩く人々の信仰を集め
現在でも賑わっているそうです。
日本最古の地蔵尊だって
江戸時代町屋で使われていた道具など
が展示されている
町屋を見てきました
旅籠、玉屋
関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋かと
言われていた
関宿を代表する旅籠!
ここで、寝て、食べて、風呂に入って
旅の疲れを癒したようです
ここに、最大200人ほどが宿泊したと
説明を受けましたが
ここに、どうやって、
200人がぁ〜〜と
疑問に残りました。
宿泊代を多くはらうと
こちらの部屋に泊まれたようです
スィートルームですかね〜〜
街中にある、眺関亭(ちょうかんてい)
という建物から
関宿の家並みが
高い所から、見ることが出来ます
上から見るとまた、違った街並みに
東海道を歩いていると言っても
ほぼほぼ、なんの変哲も無い
道なんです。
日頃、過ごしてる自分の街と
たいしてかわらない!
昔、ここが東海道だったというだけ
でも、ここ、関宿は
本当に素敵!
街道をあるいてまぁ〜〜す
という気分になれました。
車も多く通り
車の合間をぬっての
写真撮影ですが
ここで、生活をなさっている方々が
いらっしゃり
この、風景を残してくれているのです
そんな方々の生活の、
お邪魔をしないように
これから、街道を歩かれる方々
観光でこの宿場だけを
訪ねる方々も
たくさんいるようですが
礼儀を守り、
静かに観光しましょうねぇ〜〜
次の宿場は
坂下宿でぇ〜〜す