
「ふるさとの 山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山は
ありがたきかな」
とは、石川啄木の短歌です。
ふるさとの山、とは、写真の「岩手山」のこと。
Facebookで岩手山の写真を見たら、この短歌が頭の中に浮かびました。
と、同時に(ふるさと、がある人っていいなぁ)という思いも出てきました。
私には「ふるさと」がない。
住む場所がコロコロ変わったから。
田舎に帰る~、みたいな、ふるさとがあるって、どんな気持ちなんだろう?
宮城に生まれ、8年住んで岩手に引越し。
岩手は長くて、その後38歳まで住むことになるけど、その間に7回も住む場所が変わってる。
神奈川に引越して、東京に引越して、いま宮城に引越してきて、やっと実家に腰を落ち着けたところだ。
指折り数えると、、、。
ふははは、、、。
今までの人生で12回の引越しを経験してることになる。
こうなると、馴染みのご近所さんなんて夢また夢で、ふるさと、なんて程遠い。
それ以前に、引越しが多かったからか、住む場所に全く執着しなくなってしまった。
宮城から岩手に引越した子供時代。
あの時が1番悲しくて泣いたかも。
慣れ親しんだ家や土地を離れるのが辛くて辛くて。
でも、それも何度も続くと次第に麻痺してくるよね。
あと、余計に傷付きたくないから、住む土地にも家にも執着しなくなる、ってのも大きい。
いま実家にいるけど。
ここは私のふるさとではないなぁ。
じゃあ岩手?と聞かれると、それも何か違う。
そう考えると(自分には、ふるさとがないんだなぁ)と、つくづく思う。
て、ちょっと淋しくなるし、ふるさとがある人が羨ましくもなる。
小さい頃に住んでた宮城の家。
人生で唯一、執着した家、土地。
Googlemapのストリートビューで見たら、まだ壊されることなく建ってる。
久しぶりに見に行きたいなー。
通った小学校も見たい。
落書きしたトンネルは今も落書きでいっぱいなんだろうか?
角の駄菓子屋はまだあるかな?
友達がたくさんいた国鉄アパート、敷地内のスーパー「物資部」、隣接した公園も健在だろうか?
遊具を見たら泣いちゃうかもしれない。
どれもワクワクして毎日遊んだっけなぁ。
川沿いの桜並木、秘密の木のトンネル。
新幹線の下を通ってた汚ない川(今もドロドロなのか?)。
ピアノの先生の家、ちょっと離れたとこにある親友だった子の家、初恋の男の子が住んでたアパート、幼稚園、近所の友達の家の庭にタイムカプセルを埋めたっけ、掘り起こしてないけど今どうなってるだろ?
金曜日に初!給料が入るから、バスと電車で行ってみようかな。
書いてたら色々思い出して、とても行きたくなってきた。
でも、残念ながら、そこも私にとっては、ふるさとではないんだよなぁ。