嘉永2年 1849年
1849年、ペリー来航4年前の長崎。
オランダ語と英語の通詞:森山栄之助(もりやま えいのすけ)小池徹平は、彼に英語を教えたアメリカ人:ラナルド・マクドナルド(木村昴)から示された道、若者たちに英語を教えるという目的を果たすため、英語の私塾を開いていた。
自分のところへ英語を学びに来ないかと、通詞だった父親の失踪の謎を追って江戸からやって来た青年:伊嶋壮多(いじま そうた)永瀬廉 に声をかける。
伊嶋壮多、大田清十郎(おおた せいじゅうろう)浅香航大 、今日から共に英語ば学ぶ。
壮多は江戸の生まれたい。
(栄之助に声をかけられた場面の回想)
私の父をご存じですか。
知らん。
今日このときから、己の言葉を捨てる。
栄之助の言葉に、壮多の父親が残した手帳に、「己のことばを捨てよ」と書かれていたことを思い出している壮多。
やはり、栄之助は父のことを知っているに違いないのだ。
オープニング
諳★利亜興學小筌 一 (★はマダレに巳) という名の、栄之助が作成した教本を基に講義が進められる。
内容は、アルファベットの発音に始まり、単語の意味と発音が書かれていた。
栄之助がまず手本として発音すると、稽古通詞の杉原敬生(すぎはらけいしょう)重岡漠ら一同がそれに倣って発音する。
他の塾生が帰ったあと壮多は羽ペン、清十郎が筆で単語の書き取りをしている。
ちょっと退屈してきた清十郎は足を崩し、扇子で扇ぎだしていた。
面白かや。
まだ、わかりません。
清十郎は思い立ったように壮多の方を向き、話しかけた。
わいは、なして蘭語ば話せる。
(出島で、オランダ商館の勝手方:ヤンセン - 村雨辰剛 と 清十郎が揉めだしたとき、オランダ語が話せない清十郎に代わり、壮多がオランダ語でヤンセンに話し始めた。)
江戸で奉公していた店の傍に、オランダ宿があったんです。
雪の中、壮多が店の外で薪を割っている。
店の裏は蘭語を学ぶ塾でした。塾から聞こえてくるミンドク(インドク、カモシレーヌ)を毎日聞いてたんです、これ(手帳)を見ながら。
その手帳には、「己のことばを捨てよ 周吾」の文字が書かれていた。
2人の話している部屋の外を、栄之助が通りかかる。
わいは、言葉ば覚えて何ばしたかったと、誰と話したかったと。
壮多は、じっと手帳を見つめる。
栄之助は涙ぐみ、子供の頃を思い出している。
差し向かいで、自分と兄弟子に蘭語を教えてくれた人物。その言葉を思い出していた。
己の言葉を捨てよ。
こいは通詞の戒めたい。
兄弟子と幼い栄之助は、声を揃えて「はい。」と返事をしていた。
栄之助は、その場を立ち去る。
清十郎が壮多から手帳を取り出して眺めようとすると、壮多が「おい。」とめずらしく大声で注意し、清十郎から手帳を取り返す。
なんか。
驚く清十郎。
すると壮多は急に清十郎の方を向き、頼みごとをしてきた。
清十郎殿。
急にへりくだってきた壮多に、わざと背を向ける清十郎。
彼の腕を掴み、表へ連れて行き、どこかへ歩き出す。
なんか、離さんか。
何も言わず自分を連れ出そうとする壮多に、アタマに来た清十郎がその腕を振りほどいた。
ぅおい、なんばしよっとか。
壮多は清十郎に「主にヤンセンの用を務める内通詞:忠弥(ちゅうや)蟷螂襲 さんに会わせて欲しい。」と頼みだす。
出島で清十郎が壮多の名前を聞いたとき、忠弥が壮多の名前に反応していたからだ。
あの人は、ずっと出島で働いてきたんですよね。
どうやら忠弥は何十年も出島で内通詞をしており、清十郎も子供の頃には可愛がってもらったとのこと。
忠弥に聞きたいことがあると言う壮多に、諦めろと立ち去ろうとする清十郎。
んぐぁぁぁぁ~。
ゲンコを振り上げる壮多に、驚いて怯む清十郎。
くらすぞ。
壮多が清十郎に向かって笑って見せる。
覚えとけぇ、わいばくらすのは おいばい。
あのとき、栄之助の塾で清十郎が壮多にかけた言葉だ。
やっぱり「殴る」という意味なんですね。
コイツ分からなくて笑ってたのかと、呆れる清十郎。
つか、長崎弁はオールスタンダードだと信じて疑わない男( ー`дー´)キリッ
脅かされて、からかわれたことに気づき、壮多の胸ぐらを掴んで凄むのだった。
出島では
出て行こうとする忠弥に、声をかける柳屋の売れっ妓芸者。豪胆で頼りになる、トリの姉貴分:季蝶(きちょう)木月あかり たち芸妓衆。三味線方として、後ろには見習いの少女:トリ(都麗)久保田紗友 もいる。
出島に出入りする日本人や混血日本人にとって、忠弥は頼りになる存在なのだ。
そこへ、壮多と彼に引きずられて清十郎がやってくる。
清坊ちゃん、どげんしたと。
壮多の姿を見かけて、トリは立ち止まる。
忠弥に挨拶の礼をして、話しかける壮多。
壮多と言います。周吾の息子です。
父のことを教えてくれませんか、俺は父を探して江戸からやってきたんです。
(トリは季蝶に呼ばれて中へ入る。)
20年前、何があったんです。
長崎の人たちは、何故父を知らないと言うんです。
見つめ合う忠弥は何も言わないが、清十郎が当時何かあったか言い出し始める。
20年・・・、通詞が大勢罰ば受けて・・・。
罰?
おふくろさんが言うとった。
オヤジ殿の白髪がイッキに増えたのは、出島医者のシーボルト先生・・・
清坊ちゃん。
それを遮る忠弥。
壮多さん、もし・・・お前さんの父親が生きとってぇ、そいでも顔ば見せんっちゅうことは
そんほうがお前さんの為になる、そう思ぉたからやなかと。
これ以上、長崎におっても為にならん。
早う江戸に帰らんね。
そう言って、忠弥は立ち去って行った。
柳屋で
アヤカの子の診察をする女医。オランダ人と日本人のハーフ:えま- 浦浜アリサ は、子どもの熱が下がったから安心するようにとアヤカに伝える。
置屋・柳屋を束ねる女将:しず(紅壱子) に見送られ表に出ようとするが、髪に手拭いがかかり、診察の格好のままであることを忘れていて、しずにからかわれる。
そこへ壮多が、えまに教えて欲しいことがあると言って、店の前で彼女を呼び止める。
お医者様のシーボルト先生のことに・・・・
ぅああああああああああああ
女将が大声を出して、壮多を店の中へ押し込める。
店先で、そんな名前を出してはいけないと言うのだ。
20年前の出来事なので、若い人間は知らないが女将たちの年齢の者はまだ覚えている可能性があるからだ。
名前を言えないあの人状態。
どうやら、長崎でその名前はタブーとなっているらしい。
フォン・シーボルト。
これより26年前、オランダ船でやってきた若きドイツ出身の医師は、日本に於いての情報を収集するという任務を負い、日本の詳細な地図を持ち出そうとしたことを幕府に咎められ、国外追放となった。
所謂、シーボルト事件ですネ。
先生に地図ば渡したお役人は、島流しんなったり牢で亡くなったり、長崎の通詞も大勢捕まったとさ。
大騒ぎやったて、うちん師匠が言うとった。
オランダさんに地図ば渡しただけで、島流し・・・おかしか話たい。
えまは冷笑の後、柳屋を出て行こうとする。
えま先生は・・・。
半分、オランダ。
そう言って、暖簾をくぐって行った。
壮多は、長崎の暗い影の歴史をひとつ知ったのである。
本日はここまで
ついに、聞き取れない長崎弁キターーーーーーっ!
しゃーないから、よく似た長崎弁「みじょか(かわいい)」から想像して「とのこと逃げ」してみた。
聞き取れない=グーグルさん不可能なんだよねぇ。
ついでに聞き取れない壮多の台詞もキターっ!
ミンドクって聞こえるけど、韻読(いんどく)って単語もないし。ムキョーっ!
いっぺん、シンドク? by地獄少女←ちがーっ!
そしてIMEパッドで出てこない旧文字も出たー!チッキショーっ。