いま吉野川サービスエリアです。
夫が車の中で仮眠すると言うので、私は車から降りて辺りを散策しています。
いつもはトイレを利用させてもらうだけですが、こんな景色のいいところにあったのですね。
降りて吉野川に近づきたいですが、今日はお墓参りの予定があるから、また今度。
夫も、そろそろ起きたかもしれないから、車に戻ります。
どうしてこういう事件が起こったのでしょうね。
41歳の父親はどんな育ち方をしたのでしょう。
ネットの噂によると、心愛ちゃんはこの父親の子でなかったというのがありましたが、
それなら、なぜ引き離さなかったのでしょうか。
もっと行政が介入する必要があるのではないでしょうか。
もっと血の通った行政であってほしいと思います。
それにしても、この父親が実親だとすれば、
どういう育ち方をしたのかが一番気になります。
こういう虐待は世代間で連鎖すると思います。
実親子ではありませんが、
私も結婚後、義母に理不尽な嫁いびりをされましたが、
その鬱憤を自分の最愛の娘に向けたことがありました。
第一子である娘が可愛くてたまらないのに、
心とは裏腹に叱ったりして、あとで後悔するのが常でした。
我ながら、どうしてこんなふうになるのだろうと思っていましたが、
イジメは親子間でも連鎖するのですね。
そのことを考えると、
この心愛ちゃんの父親も不幸な育ち方をしたのではないかと気になります。
もしこの父親が虐待を受けて育ったのなら世代間連鎖です。
その父親を育てた親も虐待を受けて育った人かもしれません。
私は心愛ちゃんの祖父母の年代です。
この事件がニュースで流されるたびに、いろいろ考えさせられています。
日本中の人たちが、辛い気持ちで、このニュースを見ていると思います。
二度とこういう事件はあってはいけません。
*
☆深く知るほどに深まる心愛ちやんに対する慙愧われらなべての
☆いかやうな育ち方せし父親かその父親の親を思へり
☆心愛ちやんのニュース見るたび謝りてゐるはわれのみにはあらざらむ
先日の「コメントについて追記」の記事にも書きましたが、
非公開希望のコメントは、できるだけそのご希望に添うようしたいと思っていましたが、
しかしお返事の必要なコメントにつきましては、
非公開を希望されていましても、原則公開させていただくようにいたします。
もちろん、お申し出があって、
さらに、このblogの管理人である私が非公開にしたほうがいいと判断した場合は
非公開にさせていただきますが、
お返事の必要なコメントにつきましては、
非公開にいたしますと、
その都度、わざわざそのためだけに新たな記事を書かなければならなくなりますので、
そうさせていただくことにしました。
それと、そういうお申し出が増えると、
blog運営が煩瑣になりますことと、
このblogが私のblogでありながら、
他の方に操作されているかのような感も覚えますので・・・。
そういうこのblog管理人の性向もご理解いただきたく存じます。
そうさせていただいたほうが、他の方々に対しても公平とも存じますので・・・。
シークレットさんも、よろしくご理解くださいますようお願い申し上げます。
びこ拝
gooblogが知らせてきてくれるから、
一昨年の今日は、すでに故人になってしまった村形明子さんと私の母と私の三人で、高知市の得月楼で一緒に昼食をともにしたことがわかる。
自分の備忘のために、そのことを今日の記事にしておいて、
来年の今日、また思い出せるようにしておく。
昨年の今日はまだ生きていた母と村形さん
今日は神戸から帰宅して、買ってきたケーキを食べてコーヒーを飲んでから睡魔に襲われて先ほどまで爆睡していた。いま目覚めてパソコンを開くと、gooブログが知らせてきてくれる昨年......
そして、昨年の今日は、
6月にイギリスに行くために
神戸のパスポートセンターにパスポートの更新に行っていたことがわかる。
これも昨年の記事を貼りつけておいて、来年思い出せるようにしておく。
こうして今年が去年になり、来年が今年になり、
年年歳歳、私は年を取っていく。
*
☆会ひたきと思ふ人らは彼の世へと逝きて今年も此の世にわたし
☆イギリスも行きて行きたき海外は今はなくなり彼の世ちかづく
☆十年(ととせ)用パスポートとり外国(とつくに)に八十歳(やとせ)まで行くわれにあらずや
☆八十歳(やとせ)まで生きてゐるやら八十歳(やとせ)には死んでいるやら知らずにわれは
☆死ぬことは母に会ふこと死ぬことは村形明子さんに会ふこと
☆彼の世には会ひたき人が溢るればわれには悪くなき彼の世逝き
☆怒鳴られて生きるは嫌と思ふとき彼の世に逝きし人らを思ふ
昨日は、夫が昼前から仕事に出かけて夜遅く帰ってきた。
昼食も夕食もいらないと言って出かけたが、
もし夕食を食べないで帰ってきたときのために、ご飯は炊いておいた。
いらないと言って出かけても、帰宅してから家で食べることがよくあるから。
が、昨日は本当に要らなかったみたいだった。
私は、先日怒鳴られてから心身ともに参っている。
それと、一昨年、私を裏切って他の女性とデートしていたことがあるから、
夕食がいらないと言われたら、ひょっとしたら、また?と思ってしまう。
もともと夫は、そんなに遊ぶタイプではないし、なかった。
が、年取ってから、若いころに遊ばなかったことを挽回したいとは思っている様子だ。
それと、私の短歌の友人でよくあちこちの女性に声をかける男性がいて、
私にも声をかけてきたりした。
その男性は、夫と同年なので、それを見ていた夫は、ずいぶん刺激を受けたようだ。
「そうか、同い年でも、そんなふうに遊んでいる人もいるのか」と。
それで、最近は、機会があれば、よその女性とお茶など飲みたいと思っている様子。
それが見え見えだから、私にしては面白くない。
私の亡くなった叔母は、いつも言っていた。
「夫婦というものは、年取ってこそ」と。
それは、夫婦は若いころより、年取ってからのほうがお互いに有難みが増すと。
私も、それに同意する。
若いころなら、一人で処理できたことでも、
年取ってきたら、一人では対応しにくいことが増えてくる。
家の片付けなどもそうだ。
次男のお嫁さんのお母さんなどは、
男こそ家の片付けなどをしないといけないという持論だ。
実際、次男のお嫁さんの家は、ものすごく綺麗にしていられる。
お嫁さんが学校時代はお弁当もお父さんが作られていたというから、
どれだけ家庭的だったかと思う。
娘婿の家でも、
お父さんが養子さんと言うこともあって、
実に家庭的だ。
お母さんは家付き娘だったわけだが、
お母さんの親戚の人たちも感心するくらい、
娘婿のお父さんは、若いころから家庭的だったという。
それから比べると、
私の父も、夫の父親も、土佐の男の面目躍如?で、
まったく家事などしなかった。
そんな双方の父親と比べると、私の夫はしてくれるほうだが、
娘婿のお父さんとか次男のお嫁さんのお父さんと比べると雲泥の差だ。
見ていて羨ましいが、
しかし羨ましがっても仕方ない。
私は、私に与えられた環境で、私のできるだけのことをするしかない。
私も欠点だらけの人間だから。
が、ただ怒鳴ることだけはやめてほしい。
夫は、自分では自覚していないようだが、
怒ると大きな声で怒鳴る。
怒鳴っているときに何か言えば殴られることもある。
昨年イギリスに行ったときもホテルで殴られた。
私の眼鏡がぶっとんだのだから、かなりの勢いで殴られたことになる。
幸い私に怪我はなかったが・・・。
夫のこういう短気なところは義母に似ていると思う。
義母も、若いころは怒ると手が付けられなかった。
義父が優しい人だったから、夫婦喧嘩になることは、あまりなかったが。
その代わり、義父は、私が義母に理不尽なことで叱られているときなども
見て見ぬふりをしていた。
うっかり意見を言えば、火に油を注ぐような状態になるからだった。
そのころの義母は、夜は赤ん坊を寝かしつけてから、
映画に行ったり、ダンスを習いに行ったり、したい放題だったとは
夫の伯母さん(義父のお姉さん)が教えてくれた話だ。
義父と義母は8歳違いだったが、
若くて美人で頭のよかった義母に、義父は頭が上がらなかったらしい。
私は義母のような美人でもないし、頭もよくないから、
あんなふうに好きなように生きることはできない。
その代わり、あそこまで人を傷つけることもしないとは思っているが・・・。
こうして書いているうちに、少し鬱が晴れてきた。
難聴で人ともあまり話をしない私には書くことしか助かる道はない。