かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

台風のさなかも通勤、通学の必要はあるのでしょうか?

2019-09-09 18:31:53 | ブログ記事
ニュースで首都圏の駅の混乱を見ていて、そう思いました。

勢力の強い台風だからと、交通機関が運休にしているのに、
駅は通勤しようとする人、通学しようとする人がごった返していました。

こんな嵐の朝も通勤したり通学したりしないといけないのでしょうか?

話は変わりますが、

昨日テレビで観た大槌町の町役場で多くの犠牲者が出たという番組の映像では、
地震のあと、津波がくるかもしれないのに、大勢の職員が役場の外で作業したりしています。

三陸地震は繰り返されていますから、
地元の人達には大きな地震のあとには津波がくるということはわかっていた筈なのに、
すぐに逃げなかったのは、どうしてだったのでしょう?

私が最近読んだ吉村昭の小説『三陸海岸大津波』でも過去の津波が詳しく書かれていました。

地元の人なら、親戚の人達から津波の話は聞いて知っていると私達は思うのですが、
そうでもないのですね。

地元の人達にも寺田虎彦の「災害は忘れたころにやってくる」の警句通りのようです。

人は災害を忘れがちではあるけれど、忘れてはいけないのですね。

で、今回の台風に対する対応ですが、
これは、「忘れた頃に~」ではありませんが、しかし、対応がまずいとは思いました。

これは、大槌町の役場の職員の方が大勢亡くなられたことと、
どこか通じるのではないでしょうか。

津波にせよ、台風にせよ、一番優先するべきは人の命だと思うのですが、
現代人は、そこらあたりが鈍っているのでしょうか?



★台風のさなか通勤通学をせむとせる人そをさせる人

★大自然おそれる気持ち失ひて嵐のさなかも右往左往す

台風のお見舞い申し上げます

2019-09-09 10:10:47 | ブログ記事

いま午前10時のNHKニュースを見ていますが、

やはり関東の台風被害は甚大な模様ですね。

被害に遭われた方々には謹んでお見舞い申し上げます。

関西は、昨夜少し風が強いくらいだったのでしたが、

気象庁の予報通り、

関東には爪痕を残していったのですね。

通勤、通学の皆さまも、ご苦労様です。

で、今朝は、簡単に台風お見舞いのみ。

かしこ


「朝ドラ」を見なくなった人は、なぜ認知症になりやすいか?ですって?

2019-09-08 16:03:11 | ブログ記事

馬鹿なことは言わないでください。

私は、最近は、朝ドラは見ません。

何故かというと、時間の無駄に思えるからです。

テーマ音楽から始まって前回のストリーの説明部分みたいなのがあって、

それからやおら始まるドラマは、どうも間延びしていけません。

内容的にも結末の見えてしまうようなドラマが多いと思います。

私の夫も定年退職した当時は朝ドラを見ることもありましたが、

最近は見ていません。

やはり私と同じように感じたからではないかと思っています。

それなのに、

今日の新聞の読書欄に、

「朝ドラ」を見なくなった人は、なぜ認知症になりやすいか?

という題名の本を見つけたから驚いたのです。

私に言わせれば、

ああいう内容の薄い?ドラマを漫然と見ているほうが認知症になりやすくなるのではないかと思われます。

まあ続けて見ていれば、それなりに山場もあって面白いですし、

ほろりとさせてくれる場面もあります。

が、

毎朝、毎朝、朝ドラの始まる時間に合わせてテレビの前に座るのは時間の無駄のような気がしてならないのです。

ネット社会になってから、

われわれのような老人でも、

旧来の受け身だけの受信では物足りなくなっている昨今、

あの平和的な朝ドラに時間を取られることはもったいないと思えるのです。

「平和的」というと語弊がありますが、

当たり障りのない内容にすると、そういうことになると思います。

朝のあの時間帯は、年齢的にも誰が見るかわからないから、

当たり障りのない内容にすることは必然かもしれません。

が、それがドラマをつまらなくしている遠因かもしれないというと言いすぎでしょうか。

まあ好きな人は、今後も、ごらんになればいいと思いますが、

私は、もう卒業しました。

世の中には私のような人もいると思うのに、

この本の著者の方は考え方が偏っていられるのではないでしょうか?

奥村歩さんという方が、どういう経歴の方かは存じませんが、

こういう間違った思い込みをする奥村さんこそ、

認知症の心配をなさったほうがよろしいのではないかと、私は思いました。

失礼の段はお許しくださいませ。

いま、読者の方が奥村歩氏は認知症の権威と教えてくれました。

本の内容も、私の早とちりのようでした。

毎日欠かさず朝ドラを見ていた人が見なくなって、何事にも興味をもたなくなったら、

認知症を疑うということらしいです。

そういえば、

映画好きだった義母も認知症になってからは全然見なくなっていました。

内容が理解できなくなるからでしょうか。


人は、それを失くして初めて、その有難みがわかる

2019-09-08 09:04:16 | ブログ記事
昨年の昨日の記事、昨日アップして何か書こうと思ったけれど、まあ、今年書いても、同じように書くと思うので、そのまま添付して終わりにします。
それにしても毎日暑いですね。
8月までの暑さは許せますが、9月になってもしつこく暑いのは許せません。
 
人は、それを失くして初めてそのありがたみがわかる

このところ立て続けに災害が続くが、人は当たり前の生活を失くして初めてそのありがたみがわかるということが多い。災害ではないが、現在、私は聴力の八割くらいを失ってしまっている。......
 

こう暑いと、 

家の中に閉じこもりになるから、

また、どこか出かける計画を立てなければ!


有名になりたかった(なりたい?)かもしれない私(お題に応募)

2019-09-07 08:33:52 | ブログ記事
またGooblogのお題に挑戦です。
 
今日挑戦するお題は「有名になりたい」です。
 
私も自分を顧みることもなく、有名になりたいと思っていたかもしれない。
 
これは、自分がと言うよりも、私の母が私に期待していたと言ったほうが正しいだろう。
 
私の実家はテレビを買うのが比較的遅く、
やっと買ったのが、現、上皇陛下ご夫妻のご結婚のときだった。
 
私の母は、美智子さまのご婚約発表を新聞で知ったときから熱烈なファンになった。
 
まさか私に、そのような期待をしたとも思わないが、
とにかく真似はしていたようである。
 
まず、ご成婚パレードその他を私に見せたくてテレビを買った。
 
私が父の仕事の関係で香川県高松市に暮らしていた小学4年生のころのことだ。
 
これは、その前からだったが、
若い頃に洋裁を習ったことのある母は
私にどこかのご令嬢の着るような服を作って着せることを楽しみにしていた。
 
これが当時通っていた高松市の郊外の、農家の子供達も通う小学校で苛めのもとになった。
 
当時通っていた小学校の生徒たちの服装は、みな粗末なものであったから。
 
掃除の時間になっても、お嬢様だからと箒とかを持たせてくれないのである。
 
担任の先生が私を特別ひいきしていたわけでもないのに、
なにかにつけて贔屓されていると妬まれた。
 
当時住んでいたのは県営アパートであったから、お嬢様であるはずもないのだが、
そう思われたのは、母の作って着せる服のせいだった。
 
母は、なにかにつけ、私を特別な娘にしたがっているように見えた。
 
母自身は、その友人達に女優になれと言われるくらいの美貌であったが、
私は父親似であったから美貌には程遠かった。
 
せめて秀才と言われていた父の頭脳でも遺伝していればよかったが、
そんな頭脳も持ち合わせていなかった。
 
それだけじゃなく、
中学2年のときに難聴ということが判明して、これがどれだけ両親をがっかりさせたことか。
 
それでも、私も、私なりに、親の期待には応えたいと思うところもあって努力はした。
 
有名になるということも、その目的の一つだったかもしれない。
 
が、容姿も頭脳もずば抜けているわけでなく、
その上、難聴という障碍まであれば、人並みに生きていくことさえ困難な状況である。
 
それでも、私は私なりに頑張ったかもしれない。
 
せめて人も羨むような結婚をすれば、親が喜んでくれると思って、
現在の夫と結婚したところもあったかもしれない。
 
夫は、こんな何の取り柄もない私には過ぎた相手だったと思う。
 
それが、幸せな結婚であったかどうかということは、また別の話であるが、
結婚した当時は友人達にも羨ましがられたから、ある目的は達成できたかもしれない?
 
私に、過分の期待をした母は、昨年亡くなってしまったが、
しかし、私は、まだ有名になることを諦めきれていないところがあるようである。
 
これが自分を苦しめているということは十分承知しているが、
しかし、私は、こういうに育てられて、こういうふうになってしまった人間なのである。
 
すべて母のせい?
 
そうかもしれない。

現在、しんどいあなたへ(お題に応募)

2019-09-06 17:33:57 | ブログ記事
極限の生き方をした人の本を読むのもいいかもしれない。

私は、最近、吉村昭の小説にハマっている。

数日前に『三陸海岸大津波』を読み上げた。

この本を読んで、いま生きていることがいかに幸せなことかと思えた。

この小説は、最初、『海の壁』という題名がつけられていたらしいが、
津波は、まさに海の壁だったのだろう。

これは平成の津波ではなく、
明治29年と昭和7年の津波について書かれた本だが、
平成23年の津波も、おそらく同じようなものだったろう。

場所によっては、高さ50メートルまで押し寄せたという津波。

もう人の力ではいかんともしがたい。

その津波で、九死に一生を得た人は、たぶん、
ただ生きているだけでもありがたいと思えたことだろう。

家族をなくした人は、
一時は生きていることが辛いと思ったこともあったかもしれないが、
しかし、やはり生きているということは奇跡だと思うところはあっただろう。

この小説のあとで、江戸時代に、乗っていた舟が嵐に遭い、舵を失い流され、
陸の孤島である鳥島に漂着した人のことが書かれた『漂流』という小説も読んだ。

この本の主人公は、その鳥島で12年4か月生き延びて帰還した。

その12年あまりの生の厳しさ、苦しさと言ったら、
現代の私達が想像できないほどのものである。

鳥島は岩山で植物も動物も生きられない死の島である。

その島に、舟が難破して何も持たずに漂着したのである。

最初は飲み水を飲むことさえ満足にできなかったらしい。

食べ物も、もちろん何もないから、海岸で貝や海藻を採って飢えをしのいだ。

やがて渡り鳥であるアホウドリを食べることを覚えて、
12年あまりも生き延びられたのであるが、その艱難辛苦は、筆舌に尽くしがたい。

こういう極限の小説を読むと、現在、しんどいと思っていても、
そんなことは言っていられないような粛然とした気持ちになる。

現在、しんどい人に一読をお勧めする。

なぜ謝らなきゃいけないの?

2019-09-06 05:25:17 | ブログ記事
先日来、週刊ポストの見出しを問題にするニュースが多い。

そして先ほど見た記事では謝り方まで問題視している。

これです。

「その軽さと分かりやすさを憂う~『週刊ポスト』の”嫌韓”記事をめぐって」

この記事で、江川紹子氏は謝り方が軽いと断じている。

私に言わせれば、全然謝るべき問題でもないことに対して、
なぜその謝り方まで言われなければならない?

韓国がどれだけ日本に対して失礼な発言をしているか知らない日本人はいない。

だから、
今回の週刊ポストの見出しも、われわれ日本国民は皆こころの中で思っていることなので、
謝る必要などないと思っている。

それでも、たぶん騒ぎを収めるためにしたであろう謝罪を「謝り方が軽い」とは?

「江川さん、何言うてはりますの」と言いたい気分である。

あなたオウム事件のときはテレビに出づっぱりでしたが、そんな人でしたか?

私は、もっとまともな人とお見受けしていましたが、見損ないました。

「貧すれば鈍する」の言葉は、あなたにこそお返ししたい言葉です。

それにしても、
今回のこの当たり前の見出しに対して、
「以後、週刊ポストに寄稿しない」と言われる作家のいることにも二度びっくりです。

いえ、私も、週刊ポストがつまらぬ記事ばかりの三流週刊誌とは思っています。

しかし、今回の見出しは、上等とは言いませんが、われわれにはしごく全うなものでした。

この見出しを謝らせようとする勢力は日本人ではないと思いますが、
その勢力の母国にこそ私達は謝ってほしく思っています。

ありもなかったでっちあげの過去を教科書にまで載せて子供の頃から反日教育をする、
その母国に・・・。

日本人は今まで我慢してきましたが、これからも大人しく見て見ぬふりをするとは
ゆめ思われませぬよう、この際、警告しておきます。

年金って何だったの?

2019-09-05 19:15:30 | ブログ記事
私達の若い頃は年金に加入していたら老後の心配はいらないように言われていた。

実際、義母などは、ほとんど年金だけで老人ホームの費用は賄えた。

私の母は、私の父が国家公務員であったから、年金ではなく恩給であったが、
やはり贅沢をしなければ、恩給の遺族年金だけで生活できた。

われわれの世代は、どうだろう?

なんだかんだ言っても、まだなんとなるだろう。

が、子供の世代、孫の世代になれば、年金などはまったく当てにはできなくなるようだ。

こういう記事を見つけた。

☟クリックしてお読みください。
「年金は30年後に20%目減り」厚労省の公表内容に怒りの声が殺到」

ということは、私達の子供の世代では年金は当てにできなくなる?

それなのに、子供達は年金を納めさせられている。

これが孫の代になったら、どうなるだろう。

もう破綻してしまっているのではなかろうか。

どうしてこんなことになったのだ。

国民が老後を安心して暮らせるようにできた年金制度であったのに、
それを悪用して食い物にしている元官僚がいたり、
大切な年金資金の運用がでたらめであっため、資金そのものが目減りしたという事情もあった。

年金さえかけておけば老後が安心だからと少ない給料から天引きされてきたサラリーマンたちの老後はどうしてくれる。

私は、私達の世代が何とかなったらいいと簡単に思うことはしない。

私達より、
日本のこれからの世代の人達が安心して生きていられるような年金制度であってほしい。

そのために、今私達は何をすればいいのだろう?

とにかく私達の年金をエリート官僚の退職後の食い物にされることだけは避けなければならない。

そのためには、私達は、もっともっと世の中のことを勉強する必要がある。

高齢者といって安穏とはしていられない!

元国税が暴露。年金を喰い物にする天下り官僚たちのピンハネ天国

2019-09-05 08:41:29 | ブログ記事
昨日の「安倍さん、増税する前にお願いします」の記事に追伸します。

今朝、タイトルにしたようなニュースを見ましたが、
これは絶対にやめてください。

☟クリックしてお読みください。
元国税が暴露。年金を喰い物にする天下り官僚たちのピンハネ天国

われわれに消費税を増税するのだったら、まずその前に手をつけていただきたい案件です。

こういう官僚に甘い体質が増税の遠因になっているのなら、
私達はもっともっと目を光らせている必要があります。

でないと、われわれ高齢者の年金は、ますます実質目減りします。

私は無駄に長生きをしようとは思いませんが、
しかし、生きている間は、
こういう官僚たちの理不尽な利権に大切な年金を分捕られたくはないです。

また、消費税は、金持ちも貧乏人も等しく取り立てられる税です。

一見平等のようでいて、見方に依っては、非常に不平等な税徴収の仕方です。

だからこそ消費税値上げの前に、
現在の年金制度のいかがわしさや理不尽な国税の使用に厳しくありたいと思います。

こちらもクリックして併せてお読みください。

元国税調査官が暴露。財務省が消費増税をゴリ押しする本当の理由

私も安倍さんの政治が満点とは思わないけれど

2019-09-04 17:10:51 | ブログ記事
しかし、ほかに誰がいるでしょうか?

東北大震災当時、政権をとっていた民主党の対応の悪さと言ったらなかったです。

が、さきほどたまたま「晴天〇〇日記」とかいうblogを読ませていただいて驚きました。

日本人で、こんなふうに思う人がいるなんてと。

週刊ポストの見出しは、普通の日本人の感覚からすれば、当たり前のことなのに、
大問題にしているんですね。

一瞬、凍ってしまいましたが、このblogの順位が高いのに二度びっくり。

しかも普通の日本人なら日本の対馬に韓国人が大挙してくることを快く思わないのに、
このblogでは韓国人が来なくなったことを島の人達が嘆いているというふうに書いています。

対馬は観光のみで成り立っている島なのでしょうか?

漁業などでは生計を立てることができないのでしょうか?

ほんとうに読めば読むほど、うそ~という記事ばかりです。

このblogを運営している人は本当に日本人?と思ってしまいました。

こんなblogが「日記、雑談」ランキングで上位にいる日本は大丈夫ですか?

安倍さん、増税する前にお願いします

2019-09-04 12:34:49 | ブログ記事
現在、在日と言われている人達に対する特権を失くしてください。

私達国民の血税が国民ではない人達のために油水のごとく使われるのは耐えられません。

昨日も書いたように、まず、いの一番に通名という制度をやめてください。

通名という制度は諸悪の根源です。

それからパチンコ店を法律でなくすようにしてください。

パチンコの収益は北朝鮮に流れていると聞きましたし、
もしそうでなくても、パチンコは健全な娯楽とは言えません。

それから、現在はどうなっているか知りませんが、
数年前にパナマ文書とかいう金持ちの税金の抜け道が報道されたことがありましたが、
あの抜け道をふさいでください。

われわれ庶民の少ない収入からも等しく徴収する消費税を導入する前に、
まず、大口の金持ちからの脱税を見逃さないようにしてください。

それでも、必要であれば、国民は税金を納めますが、
しかし、諸外国に無用な援助等はしないでください。

昨日書いたロシアなどにも、今後いっさい経済援助はしないようにしてください。

プーチン大統領が北方領土を返す気がないことは昨日アップした記事で判明済みです。

狡いプーチンは北方領土を餌に安倍さんから経済援助をせしめているだけです。

そんなことは誰にでもわかります。

よもや私達は、
そんなわかりきったこともわからない愚かな宰相を戴いている国民ではありませんよね。

私達国民は、直接選挙で安倍さんを選んだわけではありませんが、
しかし私達が選んだ議員さん達が選んだのが安倍さんということですから同じことですよね。

私達国民も、もっと政治の勉強をして、選挙のときに見間違いをしないようにしないといけません。


人は人相が大事

2019-09-04 07:21:06 | ブログ記事
私は時々心配のあまり、この国の現状を憂える記事も書く。

が、それは飽くまで一国民としての気持ちで書いていることで、
政治的な思惑は一切ない。

が、そういう記事を書くと、
右や左の方々からコメントをいただくこともある。

が、私は、あくまで一国民としてのスタンスで書いているだけなので、
特定の団体の影響は受けない。

コメント欄でいろいろ教えてくださる方もあるが、
私は、そのお顔が拝見できる場合は、まずお顔の拝見をさせていただく、

人の顔というものは、ある年齢以上になると履歴書になる。

それまでその人がどういう生き様をしてきたかが一目瞭然になるのだ。

それを見て、私は判断させていただく場合が多い。

政治的に右であろうが、左であろうが、要は人次第ということである。

どれだけ清廉潔白な人であるか、あるいは汚い心を持った人かは、顔には現れる。

顔の美醜を超えて現れるのである。

たとえ俳優になるほど顔の整った人でも、
その生き様がよくなければ、年を取るに従って、卑しい顔になったりする。

美男美女でも年を取れば老人の様相を呈するが、しかし、生き様に筋が通っていれば、
そこには老醜を超えた高貴がみなぎっている。

これは夜中に見せていただいたフォロワーさんの記事に載っていた
かつてのスター、アランドロンその他の俳優さんの近影を拝見して思ったこと。

そのせっかくの履歴書を、最近では、整形という愚かな手段で消す人達がいるが、
これは自分への冒涜以外の何物でもない。

千島2島に地対艦ミサイル配備へ ロ、北方領土防衛線が近く完成

2019-09-03 20:55:57 | ブログ記事

「千島2島に地対艦ミサイル配備へ ロ、北方領土防衛線が近く完成

という記事を見た。

もう北方領土は返してもらうことを諦めて、

今は北海道をロシア、あるいは中国にとられないようにしないといけない。

ロシアという国は、先の大戦でもわかるように、

隙あれば奪おうとしていることは明白なことだ。

それなのに、

ロシアの言うままに経済援助などするのは愚の骨頂である。

とにかく取られたものを取り返すより、

今は、これ以上盗られないことが肝要である。

現在の日本は、比喩でなく、実際に四面楚歌の状態である。

ロシア、中国、北朝鮮、韓国に狙われている。

これというのも、自分の国を護る軍隊を持たないからだ。

戦争をするための軍隊ではなく、

自国を守るための軍隊が必要ということが未だにわからない人達がいる。

これは国土だけでなく、国民を守るためにも必要なのだ。

強い軍隊をもっていれば、大事な国民が北朝鮮に拉致されることもなかったし、

拉致されても力で奪い返せたと思う。

いつまでもアメリカにおんぶにだっこでは国土、国民は守れない。

誰が考えても自明のこのことがわからない日本人がいることは本当に嘆かわしい。

私は、自分はもういつ死んでもいいと思っているが、

子供や孫のために、国がなくなるような事態には陥ってほしくない。

そのために、国防のことは、これからも書こうと思う。


まず通名をやめるべきでは?

2019-09-03 13:16:46 | ブログ記事

なぜ今現在も通名というものが存在するのでしょう。

お昼のNHKニュースで、週刊ポストの最新号の記事が問題になっていると放映していました。

その見出しとは「韓国なんていらない」です。

これは国民みなが内心思っていることです。

なぜ日本放送協会が、この一週刊誌の見出しをお昼のニュースで流さないといけないのでしょう?

NHKは、本当に日本放送協会ですか?

わざわざニュースにする問題でもないのに、大々的に放送するその姿勢を疑います。

NHKが本当に日本放送協会であるというのなら、

その前にもっと放送しないといけないことはあるでしょう?

いつから日本放送協会は韓国放送協会になったのですか?

今回のこのニュースとは直接関係ないことですが、

日本では、なぜ現在も韓国、北朝鮮の人達の通名を認めているのですか?

もし、このNHKのニュースを流した人が日本名を名乗った北朝鮮、韓国の人だった場合、

私達には、そのことがわかりません。

聴くところによると、NHKには大勢の北朝鮮、韓国の人がいるらしいですね。

だから、日本放送協会であるにも関わらず、こういう放送がなされるのです。

この際、日本で暮らす外国籍の人の通名は一切やめるべきです。

これは当たり前のことです。

なぜ今まで許していたのかと私は不思議でしようがありません。

日本国民は、みな内心そう思っています。

言わないだけです。

と書いたけれども、

小学館の発行する週刊ポスト、ならびに女性セブンの皇室記事には常々疑問をもっていることは申し添えておきます。


本の題名と短歌

2019-09-02 21:49:17 | ブログ記事
最近は図書館で本を借りても読み上げないで返すことが多い。

が、先日三陸地方に行って風景を観たせいで、この本を読み上げることができた。



この本は、もともと『海の壁』という題名がつけられていたらしいが、
本の内容そのままに『三陸海岸大津波』に改題されたらしい。

私も『海の壁』より改題された『三陸海岸大津波』のほうがずっといいと思う。

『海の壁』は三陸海岸の津波の様を表現した題名だと思うが、
この津波の恐ろしさは、どんな表現をしても表しつくせるものではないと本を読み上げて思った。

だから、そのまま『三陸海岸大津波』でいいのだ。

これと似たようなことは、歌作でもしばしば行われる。

いかにもしゃれた言い回しの歌がそうだ。

短歌でも、そのままずばり詠ったほうがいいと思うような事象を、
しばしばこういうもって回った表現にすることが多い。

また、選者という人達は、
そのままの表現の歌より、こういう気取った表現をした歌を選ぶことが多い。

数多くの歌の撰をしなければならない選者には、
こういうもって回った表現をした歌のほうに目が行くからだろう。

いちいち作者の生き様に心を寄せることなどはしていられないから。

それで、短歌作者も、日夜、こういうふうにもって回った表現を磨くことに鎬を削る。

が、日常のありふれた事象を、こういうもって回った表現で詠ったところで、
読者を感動させることはない。退屈なだけだ。

歌集出版が隆盛が極めているが、こういう退屈な歌集は掃いて捨てるほどある。

私は歌は上手く詠わなくていいと考える。

それより、その生き様を正直に吐き出せばいいのだ。

事実をそのまま詠えばいいのだ。

それが感動されないとすれば、
その人の生き様が感動されない生き様であるということに他ならない。

選者として崇められている人達の歌でも感動を催させない歌はごまんとある。

それはその選者が、歌をうまく詠うことのみに生きているからである。

本当に感動を催す歌の作者は選者とかいう立場にあぐらをかく人達の中にはいない。

それは生きることに日夜呻吟している人達であるからだ。

ゆえに、いわゆる短歌界の有名歌人という人達の歌はろくでもない。

そう断言できる。

本の題名の話から常日頃おもっていることを書いてみた。



吉村昭の作品は初めて読んだが、このルポタージュ風の小説はいいと思った。

実は、この本を借りてから、『漂流』という題名の本を買った。

こちらは、すでに有名なジョン万次郎よりもっと前に、
やはり太平洋で遭難して鳥島に漂着して生き延びた土佐の漁師の物語だ。

図書館の蔵書検索で探したが、なかったからAmazonで取り寄せた。

『三陸海岸大津波』と同様、極限の生を描いたものだから読んでみたいと思ったのだ。

こういう本を読むと、
現在、自分が生きている、あるいは生かされていることの意味を考えさせられる。