久しぶりの戦国時代。
内田康夫さんの「地の日 天の海」を読みました。
天海僧正、とっても興味あります。
数年前、日光まで天海のお墓参りにも行っております
といっても、このお話は「天海」になる前のお話。
天海って、前半生不明…みたいによく言われますが(だから天海=光秀説みたいなのも出てくる…)、
考えてみれば、年齢的にも家康だけでなく、秀吉や信長の時代も見てきているわけで…。
このお話は、信長の天下統一までの道筋とともに、随風(天海)がみた秀吉、光秀といったところでしょうか。
秀吉、光秀の性格の違いまでしっかり分析しているところが、歴史上の「結果」を知った上での小説だけれども
面白かったです。
ミステリっぽく扱われてしまいがちな、「本能寺の変の動機」(光秀とか秀吉とか朝廷側の動きとか含めて)、
秀吉の「中国大返し」とか家康の「神君伊賀越え」なども、しっかりと納得できるストーリーになっていて、
こういう理路整然とした感じは、さすがミステリ作家の内田先生!と思わずにいられないのでした。
出家の身の随風(天海)が見つめた信長、光秀、秀吉、そして家康の時代(途中甲斐武田の滅亡などもあり…)は、
やっぱり猛きものもついには滅びる…的な無常観が満載で、ちょっと切ないです。
でも、流れを止めることはできない、というような思想が何回か出てきて、それは信長の勢いだったり、
その勢いを止めようとする流れだったり、それはもう人の力の及ばないむしろ「大いなる力」の存在をも感じさせるのでした…。
それに気づいていた秀吉も結局滅んでしまうのですが…
やっぱり無常ですね。