《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

山陰山陽の旅「赤名宿2」

2008年05月30日 | Weblog
車を降りて散策するも道標が残るぐらいで当時の面影は少ない。歴史を保存するか、生活環境を優先するか、何処も問題は大きい。道標脇に立つ看板・大森銀山道道標の説明には「この道標は、大森銀山道と松江広島道の合流点に位置し、左は石州さけ谷 大田大もり五百らかん 右はとん原 松江 大やしろ この道標は1603年から江戸幕府が崩壊する1866年まで、銀を積んで過酷な道のりを行く赤名宿の人々の哀歓を見守ったのであろう」とある。

山陰山陽の旅「赤名宿1」

2008年05月29日 | Weblog
赤名宿は、国道54号線を走っていたのでは、案内標識もないので分かりずらい。旧街道に入ると、陣跡を示す石柱やそれらしき町並みがある。案内板には「石見銀山を出発した銀の輸送隊は、第一夜を九日市で過ごし、翌朝早くに出立。酒谷をすぎ赤名宿に着く。赤名宿で馬換えをしさらに銀の道を南へと向かった」とある。

山陰山陽の旅「荒神谷遺跡」

2008年05月28日 | Weblog
1983年に山間の斜面から358本もの大量の銅剣が一箇所から発見され、マスコミでも取り上げた。このほかに銅鐸6個と銅矛16本も見つかった。何故この山地、人目につきにくい場所に弥生時代の大量の青銅器を埋めたのか?またすべての銅剣の下部には「×」印がある。これの意味するところは…。謎はつきない。今回この地を訪れてみて、この「×」印は「ひょっとして失敗作!」「授けるべき豪族の数より多く造りすぎて、捨てたのか?」なんて、自分なりの想像をしてみたが…いかが?

山陰山陽の旅「神崎神社」

2008年05月27日 | Weblog
鳥取県・琴浦海岸。小泉八雲が妻セツと新婚旅行の折この地を歩き、絶賛した海岸。西より逢束海岸、八橋海岸、赤崎海岸、下市海岸、坂の上海岸と続く。その中の赤碕海岸にある神崎神社。あまり見かけない本殿の屋根。1653年に完成されたもの。また拝殿天井の龍の彫刻は見る人を圧巻させる県の指定文化財。