稱明寺境内にある千体地蔵尊。「永禄元年(1558)に戦国武将・松永久秀が多聞城を築城する際、その城壁に用いた地蔵石像。その数は約1,900体。多聞城が廃城となった時、散乱していたこれらをこの位置に集められた」とある。数えていないが、それにしてもこの数!
室町時代中期の茶人。村田 珠光(むらた じゅこう)が子供のとき、親に強制的に出家させられた寺が稱明寺。その後出家の道を嫌い勘当され一休と出会い、茶の湯と禅を加えた四畳半「わび茶」の創始者とされている。
黒漆喰の二階建ての家。「黒漆喰の家はお金持ちの家」とか聞いたことがある。大きな屋敷である。玄関に「国産・御筆司」と云う金属製のプレートがかかっているので、奈良筆の商いされているのだう。お尋ねしょうと思ったが、残念ながらお留守のようで応答がなかた。
「起り(りむく)屋根は草庵や数寄屋など、庶民の少し豪華な屋敷に用いられることが多く、質素にして控えめ洗練された面持ちをつくります」とある。さらに「屋根に降った雨水が最後まで残るのは軒先で、軒先ほど勾配を急な傾きにして、軒先ほど早く水を切ろうとする効果が得られます」と。木造家屋に対する「智恵」は近代建築により、このような伝統的な家屋がどんどん消えてゆく寂しさが、いま、この奈良町にある。