《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

発掘体験で、わーっくわくっ

2018年12月31日 | Weblog

12月に入って富雄丸山古墳が丸山自治会を始め、
市民や子供対象に発掘体験が行われていて、
河童もその手伝いをさせていただいている。
その模様は12月23日のNHK昼のニュースで流れていた。
1月7日から再開予定。
今年再測量の結果、確認されている円墳では
日本最大であることが分かった。
来年の発掘で新しい何かが分かるかもしれない。
画像は12月17日市民対象発掘体験の模様。

今日の暦:昭和42(1967)年、テレビ受信契約数が
2000万を突破し復旧率83.1%となる。


今昔奈良名所「東大寺西大門」

2018年12月30日 | Weblog

みどり池の北側が東大寺の西面南門である西大門(国分門・こくぶんもん)跡。
門は平城京二条大路に面して開き、礎石もあり、
石碑も経っているが、やや北東が本来の門跡とみられる。
「金光明四天王護国之寺」の額がかかっているもんで、
東大寺の正門は本来この門だとされている。
現在、門跡とされる地には、一里塚跡のエノキの大木の枯れ株があり、
織田信長が一里塚の制度を設けた時、
松杉以外の「余の木」を植えよと命じたのを「えのき(ヨノキ?)」と
聞き間違えたと言う。
またこの地は東大寺境外の護神八箇所を祀ったとも、
また、修験道・聖宝(しょうぼう)が大峰山から追っかけてきた
大蛇を退治し埋めた地ともいう。

今日の暦:昭和21(1946)年、文部省が6・3・3制教育制度を決定。


今昔奈良名所「異説もある轟橋」

2018年12月29日 | Weblog

みどり池から流れにかかる敷石の「轟橋」。
「南都八景」の一つ。
南都八景は近江八景などと同じく中国の瀟湘(しょうしょう)八景をモデルとして設定されたもので、
室町時代には確立されており、佐保川蛍、東大寺鐘、三笠山雪、春日野鹿、南円堂藤、猿沢池月、
雲井坂雨、轟橋旅人でこの中の雲井坂は轟橋から北、京街道(R24号線)の坂である。
轟橋に関しては異説があり≪河童≫の旅メモ(2014_06_26)にある。

今日の暦:昭和4(1929)年、上越線・群馬県~新潟県の清水トンネルが貫通。


今昔奈良名所「当時は南へ見透視がきいていたが…」

2018年12月28日 | Weblog

県庁駐車場の東、国道24号線沿いにある「みどり池」と呼ばれている小池は、
ここから南に向かって春日大社の「一の鳥居」が見え、
池に映る見鳥居池(みとりいけ)として名所であった。
この池からの流れにかかる橋が「南都八景」の一つ「轟橋」で、
舗道に敷石で表示され石標が立つ。

今日の暦:治承4(1180)年、平重衡が東大寺、興福寺を焼き払う。


今昔奈良名所「東大寺や春日大社だけではないっ」

2018年12月27日 | Weblog

森下惠介著・今昔奈良名所に戻る。
県庁県庁東側の登大路交差点北東にある拍子神社。
殆どの人が素通りするが、
鎌倉時代に実在し興福寺に所属していた天才的な雅楽の名手、
狛近真(こまちかざね)を祀る。
舞楽の陵王面を土中に封じると言う。
音曲、芸能の守り神で、楽の拍子が良い、
商売の拍子が良いと信仰が拡大された。
北側に幕末から明治にかけて農事改良に尽くした中村直三の顕彰碑がある。

今日の暦:昭和35(1960)年、閣議(池田内閣)で国民所得倍増計画を決議。