ガイドの方が教えてくれなければ見過ごしていた。
巽櫓南側には、ビルとビルの間から瀬戸内海が見え、
今、一艘の船が通り過ぎて行く。
元和5(1619)年、小笠原忠政が徳川秀忠に命じられ築城したころは、
淡路島との間を行き来する船を見渡すことが出来たのだろう。
今日の暦:寛永18(1641)年、
江戸・日本橋桶町から出火「桶町の火事」。
結果、本格的な火消し部隊を編成
ガイドの方が教えてくれなければ見過ごしていた。
巽櫓南側には、ビルとビルの間から瀬戸内海が見え、
今、一艘の船が通り過ぎて行く。
元和5(1619)年、小笠原忠政が徳川秀忠に命じられ築城したころは、
淡路島との間を行き来する船を見渡すことが出来たのだろう。
今日の暦:寛永18(1641)年、
江戸・日本橋桶町から出火「桶町の火事」。
結果、本格的な火消し部隊を編成
巽櫓から直線距離にして約1㎞東方に
明石天文科学館が櫓一層目屋根の先に見える。
明石天文科学館は昭和35(1960)年に開館した
日本で最初に出来た科学館。
時計塔は北緯34度38分、東経135度0分に位置する
日本標準子午線の真上に建っている。
現在国の登録有形文化財に登録されている。
今日の暦:明治3(1870)年、国旗「日の丸」が制定される。
通常非公開らしいが運よく内部の見学ができた。
元和5年(1619年)に徳川秀忠の命により着工した明石城。
現存する巽(たつみ)櫓。
坤(ひつじさる)櫓と共に2棟の櫓は(国指定重要文化財)。
信州松本から明石に移封された小笠原忠真(ただざね)が
徳川秀忠の命を受け、西国諸藩に対する備えとして。
幕府の一国一城令により廃城となった
伏見城の建物が移築された記録が残ると。
阪神淡路大震災により、石垣など崩れる大きな被害を受けたが、
建物自体が傾いたにもかかわらず、
明治期の修理の際に加えられた筋違が柱や梁などを守ったことから
驚くほど損傷が少なかったらしい。
櫓は明石西方にあった船上城(ふなげじょう)の
遺材が使用されたと伝えられている。
今日の暦:元和6(1620)年、幕府が諸大名に大阪城の修築を行わせる。
1605年頃に築城技術が一気に飛躍し、
角石の積み方「算木積み」技術も完成したとされている。
角石には綺麗な「はつり仕上げ」がされた石が見られるが、
はたして400年まえの当時のままの石なのだろうか…。
今日の暦:安永3(1774)年、幕府が虚無僧の取り締まり令を出す。
右側の高石垣の上は東の丸、
二の丸。正面に見える櫓が乾櫓で
その向こうには坤(ひつじさる)櫓が遠望できる。
右に曲がり長~い石段を登り乾櫓に向かう。
画像の右側がJR明石駅正面からくるルート。
今日の暦:寛政11(1799)年、東蝦夷地を幕府の直轄とする。