《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道・大和奈良街道2「大和川付け替えと中甚平衛」

2015年12月31日 | Weblog

宝永元(1704)年、洪水に悩む地域の百姓の悲願を、江戸幕府に大和川付け替えや治水計画を
明暦3(1657)年~宝永元(1704)年に渡り50年近く嘆願し続け、
最後は農民の身でありながら並み居る幕臣に交じって、付け替え工事を指揮した「中 甚平衛」の像。
この像の北側に築留二番樋がある。


旧街道・大阪奈良街道2「大和川の堤防」

2015年12月29日 | Weblog

出発して約10分。三叉路に突き当たった。正面の堤防が大和川の堤防である。
柏原は大阪と河内、大和の物資輸送で栄えた村。宝永元(1704)年の大和川の付け替えで、
旧大和川の流れを堤防で堰き止め、西に流れを屈折させたところ。
近くに築留二番樋があり、付け替えられた新しい大和川から旧の川筋(長瀬川)に
農業用水を引くために設けられたもので、明治21年(1888 年)にレンガ積みに造り変えられた。
レンガはイギリス積みで、開口部は樋門としては珍しく
鉄道トンネルのような半円アーチからなる馬蹄形をしている。


旧街道・大阪奈良街道2「いざっ出発・大和川沿いに」

2015年12月28日 | Weblog

JR柏原駅から三郷町までの約11㌔の行程。
「歴史的には、約3万年ほど前にさかのぼってその足跡を知ることができます。
山麓台地に残るプレ縄文、縄文、弥生式時代の遺跡にはじまり、
松岳山古墳をはじめとした玉手山古墳群や高井田横穴群など全国的に有名な古墳の散在、
さらには奈良時代の舟橋廃寺や田辺廃寺、国分寺、国分尼寺など
十指にあまる古代寺院跡の存在などから往時の繁栄がしのばれます」と柏原市のHPにある。
古墳には大いに興味のあるメンバー、興味津々のいざ、出発。