初期ヤマト政権の中枢を担った大王墓の可能性が高い奈良県桜井市の前方後円墳。南北に中心軸が通る全長200メートルの紀元3世紀~4世紀台に築かれた大型前方後円部。今年春に訪れたときは後円部分は草刈はしてあり表土が露出しているだけだった。それがこの度60年ぶりに埋葬施設の詳細調査が行われ、木管が取り出された。竪穴石室の内部は水銀朱を塗布した石材で組まれその水銀朱の量は200キロにもなるとか。石室内には木棺がが置かれていたが、腐食と盗掘のため破壊され副葬品も玉製品、鉄製、青銅製の武具そして銅鏡があったようだが位置や数量は不明。天理市の黒塚古墳の内部によく似ていると思うのだが果たして関係ありやなきや?
《河童》のデジブック「担ぐ人・それぞれの顔」公開中
《河童》のデジブック「担ぐ人・それぞれの顔」公開中