《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

飛鳥を巡る「鬼の雪隠」

2009年07月31日 | Weblog
「ここを通った鬼が食事をして雪隠を使った」と云う伝説があるので、そのように云われている。この雪隠はこの位置の上にある丘の「俎板」から転げ落ちてきたもの。画像左右の平らな部分が石室の下部(俎板)に当たるところ。画像下の部分には溝があるが石の扉をはめ込み後に開けられないような構造。また排水の配慮も見受けられる。「俎板」と想像で組み立ててみるのも面白い。今は俎板と雪隠をばらばらにしないで「俎板雪隠古墳」と云う。
(今日の歴史=1959年東海道新幹線特急「こだま」が狭軌世界新記録、時速163キロメートルを樹立)

飛鳥を巡る「石舞台を上空から見る」

2009年07月30日 | Weblog
この石舞台の位置は多武峰麓を源とする冬野川と飛鳥川が合流する所にあり、その間6キロ、古墳の数約160基もある。いずれも6世紀後半から7世紀前半に造られた。石舞台前の右に延びる道を行くと多武峰方面と稲渕への三叉路に続く。画像左角辺りから7基の古墳が見つかった。(日本の古代遺跡・奈良飛鳥より)
(今日の歴史=1918年米価大暴落し、各地取り引き所が停止・米騒動へ発展する)

飛鳥を巡る「石舞台」

2009年07月29日 | Weblog
いまさら説明も要らない蘇我馬子の古墳として飛鳥を代表する遺跡だが確証は無い。ただ石舞台古墳の西南側墳丘裾あたりに7基の古墳が見つかっており、また石舞台の下には20基以上の古墳があったと推定されている。それだけの古墳を潰して新たに造るということは、かなり有力な豪族であったと思われている。
(今日の歴史=1867年土佐藩士・中岡慎太郎が京都で陸援隊を組織する)

飛鳥を巡る「上居の立石」

2009年07月28日 | Weblog
石舞台から多武峰に向かうバス停・上居のすぐそばにある加工痕跡の無い長方形の石。飛鳥には先の「岡の立石」「祝戸の立石」「飛鳥の立石」「川原の立石」など人工的に立てられた石が点在する。これらの石は各寺院の境を示す結界石と云う説もあるが定かではない。
(今日の歴史=1603年7歳の千姫が12歳の秀頼のもとへ嫁ぐ)

飛鳥を巡る「岡の立石」

2009年07月27日 | Weblog
「岡の立石」と呼ばれている。「これより先、危険につき進入はご遠慮ください」という立て看板を見なかったことにして進む。なるほど転がり落ちるような細い危険な崖ぶちの道(?)。しばらく登ると「あと200メートル」、続いて「左へ10メートル」と案内標識に出くわす。杉林を標識どおりに進むと大きな石が一個。何故、ここに!このような大きな石が、それも一個だけあるのか不思議だ。
(今日の歴史=1830年パリ市民が蜂起、7月革命が始まる)