山口城で昼食をとった家康一向は、街道沿いにこの遍照院へたどり着き、多羅尾を経て北伊勢、白子浜へと向った。境内の墓地の入口には鎌倉時代後期の作とされる石塔「無縫塔」がある。笠、火袋のない石燈籠とも云える石塔で町指定文化財に指定されている。
猿丸大夫は三十六歌仙の一人として知られてる。『古今和歌集』に詠み人知らずとして「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」として詠まれた歌が猿丸大夫の作といわれている。またこの神は瘤(こぶ)などのできものに霊験があり、多くの参拝者がある。宇治田原町HPより。
江戸時代1794(寛政6)年の建築。神社にはそれ以前の時代の棟札が残されているという。近年は極彩 色の彩色が復元されている。鳥居の正面は田圃になっており、駐車場からは鳥居は見えない。参道を進んで90度左に向くとある。
山口城を出た徳川家康は信西塚、大道寺前を通り山道を遍照院へと向う。大道寺から少し車で走ってみたが、茶畑の中の細い道。途中でショートカットして国道309号線へ出た。画像は左が国道309号線信楽方面、右に行けば「家康伊賀越えの道」茶畑の細い山道へと続く。