「織田信長の弟、有楽に始まり、芝村藩一万石として幕末に及んだ」とある。茶人として有名な織田有楽斎である。その芝村織田氏の菩提寺だった所で、山門は芝村藩織田家の表門を移築したもの。境内には有楽斎の分骨もされたと云われている織田家代々の墓碑がある。こんな所に織田家に繋がるものがあろうとは…
桧原神社から巻向川沿いに下りてくる道の脇に「金毘羅大権現 天照皇太神宮」と彫られた石柱があった。これは灯篭だろうか?この辺りにはホケノ山、箸墓古墳や神社、お寺などが点在している。どこへお参りする灯篭なのか気になったが聞くにも人影が見当たらない。
国津神社は「太陽の道」(北緯34度32分線)の線上にあると云う。東の端は「伊勢の斎宮址」、西の端は古事記の日本列島「国生み」に登場する淡路島。伊勢とこの淡路島の二つの間には、古代遺跡や古社が多く点在すると云う。これは太陽信仰に関係があるのか?境内にある狛犬は、嘉永6年(1853)の銘があると云うが確認するのを忘れてしまった。