「本神社は、建速須佐命(日本書紀では素戔男尊)を主神として奉斎し、
相殿の神は大山咋神、天照大神、三筒男命なり。当社の伝記は散逸、
或いは火災に罹り知るに由なしとも、鎮座多くの歳月の経て
奈良朝の頃には存在したるものの如し。…」とある。
何時の頃か現・学園前駅南西にあったものをこの地に遷したとも。
富雄町史には、「葛上神社(水神)で享保(1730年)
9月14日には雨乞いの芝居が行われた」と、
数行だけ記述されている。
富雄川にかかる「藤宮橋」を西に渡ると石の鳥居と
その奥に大正15(1926)年5月大阪・天満市場村井組と
大阪・山熊会(共に世話人・前川嘉雄)献納の、
高さ2メートル余りの神前型の石燈籠がある。
その先60段の石段を上がると左側に社務所、
時計回りに籠もり所、拝殿その奥に本殿四社殿があり、
その右側には三集所、その隣に浅間神社の祠がある。
本殿の前には♂♀一対の狛犬があり、
左右奥には元禄8(1695)年~大正15(1926)年までの
14基の石燈篭がある。
奈良県奈良市西千代ヶ丘2丁目4にある。
「峙(そわ)」は奈良・中町の旧字名。
「行者堂とされるがお堂には弘法大師が祀られている。
正面に自然石彫込役行者像があり室町期の造立と考えられている。
上部が笠石のように突き出た半肉彫りの行者像は
神変大菩薩と呼ばれている」とあが、詳細は不明。