《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京を南から北へ「郡山城下」

2010年12月31日 | Weblog
郡山城下の外堀は秋篠川の水が引かれていた。画像は外堀を模した緑地公園。近くには多くの藍染職人集まった紺屋町がある。染め上がった藍染を晒すのも秋篠川の水を引いて利用していた。近くには「金魚すくい道場」や「箱本館」で藍染の体験が出来る。

平城京を南から北へ歩く「秋篠川」

2010年12月29日 | Weblog
平城京は南北約4.7キロあるが、そのうちの3.5キロほどを南から北へ秋篠川の沿って歩く機会を得た。秋篠川は奈良市の西部、登美ヶ丘の丘陵に発し、秋篠町で押熊川が合流、西大寺、西ノ京を経て、西九条町で佐保川に合流する。延長は9.6キロ。西大寺付近から大和郡山市奈良口町付近までは南北にほぼ真っ直ぐに流れている。これは1300年前、奈良の都、平城京の造営に際し、条坊にあわせて直線化され、右京の西市へ物資を運ぶ運河として使われたためで、秋篠川は西堀川とも呼ばれた。
(今日の歴史=1566年松平家康が徳川と改名)

知ったかぶりの考古学「瓦15」

2010年12月22日 | Weblog
約1時間半余りかかって出来上がった、大安寺出土の大官大寺式軒丸瓦。個人収集用拓本としては、まづまづ合格か?何よりも奈良時代前期の瓦の実物を手にすることの感動が大きい。中には当時の工人と思われる指跡なども残っていて、どのような人だったろうと想像を巡らす。
(今日の歴史=1572年徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れる)