郡山城下の外堀は秋篠川の水が引かれていた。画像は外堀を模した緑地公園。近くには多くの藍染職人集まった紺屋町がある。染め上がった藍染を晒すのも秋篠川の水を引いて利用していた。近くには「金魚すくい道場」や「箱本館」で藍染の体験が出来る。
出発は近鉄郡山駅。室町期に筒井氏の臣が築城し犬伏城とも呼ばれた。後に筒井順慶が整備し城下町となり、豊臣秀長の入城で飛躍的に発達した。駅前には城下町らしい交番。
(今日の歴史=1927年上野-浅草間2.2キロに日本最初の地下鉄開通)
(今日の歴史=1927年上野-浅草間2.2キロに日本最初の地下鉄開通)
平城京は南北約4.7キロあるが、そのうちの3.5キロほどを南から北へ秋篠川の沿って歩く機会を得た。秋篠川は奈良市の西部、登美ヶ丘の丘陵に発し、秋篠町で押熊川が合流、西大寺、西ノ京を経て、西九条町で佐保川に合流する。延長は9.6キロ。西大寺付近から大和郡山市奈良口町付近までは南北にほぼ真っ直ぐに流れている。これは1300年前、奈良の都、平城京の造営に際し、条坊にあわせて直線化され、右京の西市へ物資を運ぶ運河として使われたためで、秋篠川は西堀川とも呼ばれた。
(今日の歴史=1566年松平家康が徳川と改名)
(今日の歴史=1566年松平家康が徳川と改名)
約1時間半余りかかって出来上がった、大安寺出土の大官大寺式軒丸瓦。個人収集用拓本としては、まづまづ合格か?何よりも奈良時代前期の瓦の実物を手にすることの感動が大きい。中には当時の工人と思われる指跡なども残っていて、どのような人だったろうと想像を巡らす。
(今日の歴史=1572年徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れる)
(今日の歴史=1572年徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れる)
何度か水打ち、押さえ込みを繰り返し凹凸がハッキリしてくれば次に墨打ちをする。ただし凹凸の差が大きい部分は和紙の伸びる限界が越えるので破れることがあるので注意が必要。
(今日の歴史=1336年後醍醐天皇が吉野に潜行する)
(今日の歴史=1336年後醍醐天皇が吉野に潜行する)